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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
57/79

57.そういうことは恋人と(2)

「⋯⋯こっ、恋人なんて、今まで一度もいたことないです!!!」


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯。


 瞬間、完全に場が凍った。


 沈黙。静寂。ため息も何も無い本当のノーリアクション。


 すぅっ⋯⋯と、咲希の頬を一筋の水滴が伝う。


(何だこの公開処刑⋯⋯いっそころせ⋯⋯ころしてくれ⋯⋯っ!!)


 心の中でわっと泣き出し現実の方でも若干泣きそうになっていた咲希(さき)だったが、その時視界に映った申し訳なさそうな笑みに小さく眉を寄せた。


「流石におふざけが過ぎましたね。すみません、変なこと聞いて。⋯⋯えと、本当に言いたかったのはそれじゃなくて⋯⋯」


 咲希の頭に、そっと手が触れる。


「!?」


 そのままもふもふと動きだした手に目をぱちくりとさせていると、ふふ、という(かす)かな吐息が耳にぶつかった。


「⋯⋯こうやって私に弱い部分を見せて、頼って⋯⋯いえ、甘えてくれるのは嬉しいですよ。咲希くん、最初の頃に比べたら何倍も素直になってますよね。ぎこちなさが無くなったというか」


「っそ、そう⋯⋯見えますか」


 ともすれば悪い意味とも捉えられるその言葉に息を呑む。


「見えますよ。だってついこの間までの咲希くんは、私が何をしても何を言ってもまず最初に『怖い』って感情が表に出てくるような人だったので、何気に色々と大変だったんですよ?」


「それは本当に申し訳ないというか⋯⋯」


「あ、謝らなくていいんです、謝ってほしいんじゃなくて、むしろ私の方が謝るべきというか⋯⋯。一応、私もその気持ちは分かるので⋯⋯。考えとか目的が不明な知らない人が近付いてくるのって、すごく怖いですよね⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 夏愛(なつめ)は日常的にかなりの頻度でナンパされたり言い寄られたりしているらしいので、そういう事に関しては間違いなく咲希の何倍も経験があるはずだ。


 彼女が他人の思考を的確に読み取れるのもそこから来ているのかもしれないが、だとすれば大変なのだろうなと思ってしまう。


(僕が言っても他人(ひと)事にしかならないけど⋯⋯。多分、幼い頃からずっと、そうでもしないと自分を守れないような環境に置かれてたんだろうな)


 基本的にあまり良くないイメージのあるナンパという行為だが、そのイメージ通り大抵はろくでもない輩だ。


 言い方は悪くなるが若い女性相手なら力でどうにでも出来ると考えている危険な連中も少なくない。


 夏愛の性格的にそれら全てを丁重に断っているのだろうが、それでも声を掛けられたという事実とその時感じた恐怖などは嫌でも記憶に刻まれる。それは怖くて当然だ。


(⋯⋯でも、そうだとしたら⋯⋯余計に分からない)


「⋯⋯何で、僕にはこんな事までして⋯⋯優しく、接してくれるんですか?」


 全体で見れば彼女が日常生活の中で接する人の(うち)ナンパをしてくるような人は極々少数のはずで、裏を返せば大多数はあくまでも他人として普通に接するだけの一般人であり、最初の時点で多少想定外があったとはいえ咲希も当然その枠に入る。


 夏愛は良い所のお嬢様らしいが、だからと言って男に対する警戒心が低い箱入り娘という訳ではなく、むしろ寄ってくる人間には上辺だけの笑顔で接し、深い部分では他人を避けているように見えてしまったのだ。


 だからこそどうして自分だけがここまで夏愛に認められたのかが分からず、どうしても不安になってしまう。


 夏愛は一度さらりと咲希の髪に指を通すと小さく呟いた。


「んー、この前約束したんですけど多分覚えてないと思うので⋯⋯強いて言うなら恩返し、ですかね」


「恩返し⋯⋯?四月の⋯⋯?」


「⋯⋯⋯⋯。もちろんそれもありますけど、私は咲希くんに救っていただきました。だから今は⋯⋯いえ、今もその時の恩を返してるだけなんです」


 彼女が返答するまでにあった間が若干気になるが、尋ねる勇気も無いため今回は諦めて話を進める。


「救われたって、そんな大袈裟な。僕はただ話に割り込んだだけで──」


「大袈裟じゃないです!たとえ咲希くんはそう思っていなくても、少なくともあの時、私の方は⋯⋯そう、思ったんです。⋯⋯⋯⋯本当に、覚えてるのはもらった側だけなんですね⋯⋯」


「え?」


「⋯⋯いえ。最後のは独り言なので気にしないでください。⋯⋯とにかく!咲希くんが私のやりたいことを受け入れてくれるのが嬉しいんだってことですよ」


「そ、そういう話だっ──!ちょ、髪!わしゃわしゃやめっ、」


 完全に気を抜いていた状態での突然の頭皮への刺激に変な声が出そうになり慌てて両手で口を押さえるが、夏愛は気付いてないようで構わず続けた。


「そういう話です!こうすることで咲希くんが癒されてるのなら、同じくらい私も癒されてるってことを分かってください」


 夏愛の言う『こうすること』が何を指すのかは考えなくても分かるが、気になる部分はそこではない。


「い、癒されるって、どういう⋯⋯?」


「そのままの意味ですよ?まぁ、建前としてオキシトシンとだけ言っておきます」


「オキ、何⋯⋯?」


「⋯⋯意外。まぁ知らないなら知らないでいいんですけどね。そのままの咲希くんでいてください」


「ちょっ、それじゃ余計に気になるから!えっと、スマホどこだっけ⋯⋯」


 分からない事はまずネットで調べようと思い自分のポケットに手を伸ばした咲希だったが、その手が途中で止められる。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯そんな目で見てもだめです。こんな状況でスマホを見ようとするなんてひど──⋯⋯いえ、寝る一時間前スマホNOですよ。せっかくいい感じにリラックスしてきてるんですからブルーライトは厳禁です」


「え?いや、まだ寝るには早すぎるんじゃ⋯⋯」


 壁の時計に目をやるが時刻はまだ午後五時前で、南側の窓からカーテン越しに射し込む日差しもまだまだ眩しい。


 どう考えても寝るには早いのだが、頭を載せている膝からはふるふると首を振ったような振動が伝わってくる。


「咲希くんは隠してるつもりかもしれませんけど、ここ数日ちゃんと眠れてませんよね」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯今、ぴくりと身体が動きましたし何も言わないということはそういうことなんですね。変に言い訳したり誤魔化したりしないようになったのはえらいですけど⋯⋯いつからですか?眠れてないのは」


「⋯⋯二週間前」


「にっ、二週間前!?な、なんでそんなっ──あ、すみません、声⋯⋯大きかったですよね⋯⋯?びっくりさせてごめんなさい⋯⋯」


「い、いや⋯⋯それは全然。こっちこそ、心配させて申し訳ないというか」


「咲希くんが謝ることじゃないです。⋯⋯その、眠れてない理由は、私からは聞かないでおきますので⋯⋯咲希くんが言ってもいいと思えた時に、また」 


「⋯⋯助かる」


 咲希の一言を最後に長く続いた会話が途切れた。


 しかし不思議と気まずさは無く、膝から伝わる夏愛の心地よいぬくもりによりゆっくりと瞼が下りてくる。


 するとその時、咲希の顔から眼鏡がそっと抜き取られた。


(あ⋯⋯)


 同時に気付いたある事に、心の中で舌打ちをする。


(眼鏡、帰ってからずっと着けっぱなしだったか⋯⋯。そのまま膝に載ったから、フレームとか痛くなかったかな⋯⋯)


 流れ的に逆らえない部分があったとはいえ、今になるまで全く気が回らなかった自分を本当に殴りたくなる。


 無意識に右手に力が篭もった時、咲希の頭がそっと撫でられる。


「⋯⋯大丈夫。ゆっくり⋯⋯休んでください」


 紡がれたのは、優しい声音。


(⋯⋯っ)


 強ばっていた筋肉が緩み、反動で深く息がが吐き出される。


 あっという間に、溶けるように、咲希の意識は夢の世界へ消えていった。



 自らの膝の上ですやすやと寝息をたてる咲希の頭を撫でていた夏愛はふと動きを止めた。


「⋯⋯咲希くん?泣いてるんですか⋯⋯?」


 呼吸のリズムと全身の弛緩具合からして意識は無いはずだが、閉じた瞼の端から今にも零れそうになっていたその水滴をそっと人差し指の腹で拭う。


「⋯⋯⋯⋯」


 濡れた指を見つめること十数秒。誰も見ていないことを確認した夏愛は、いけないことだと思いながらも目を閉じた。


「⋯⋯⋯⋯しょっぱい」


 唇から指を離しながらそう呟くと、次第に彼女の頬が真っ赤に染まっていく。


「で、でもっ!こうでもしないと我慢⋯⋯できないんだもん⋯⋯」


 微妙に不安定な呼吸を繰り返しながら、八つ当たりのように咲希の髪をいじくる。


「眠かったからなのかな⋯⋯最後の方、敬語外れて素が出てて⋯⋯すっごく可愛かったなぁ⋯⋯。こうやって、眼鏡外した素顔も見せてもらえて満足なんですけど⋯⋯」


 ぴたりと手が止まる。


「本当に覚えてないんですね⋯⋯あの日のこと。⋯⋯私にとっては大きな出来事でも、咲希くんにとっては違うんですか⋯⋯?」


 当然、返事は無い。


「⋯⋯⋯⋯」


 くすりと苦笑して、すぐに笑みを消す。


「⋯⋯私の知らない、咲希くんを縛る枷⋯⋯。早く、これを見つけないと。⋯⋯⋯⋯でも、今は⋯⋯今だけは──」


 無防備な耳に、そっと唇が近付けられる。


「この幸せに浸かっても⋯⋯いいですよね⋯⋯?」

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