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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
56/79

56.そういうことは恋人と(1)

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯うっ、」


 否定、出来なかった。


 現に今、頭では起き上がらなければならないと分かっているのに、身体の方はどれだけ指令を出しても動いてくれないのだ。


 抗い難い誘惑というか、このぬくもりから離れたくなかいという気持ちが自分の体を支配していた。


 目を逸らす事で内心の動揺を必死に隠し、油断すればすぐ裏返りそうになる声を何とか落ち着け喉から絞り出す。


「こっこれは⋯⋯」


「これは?」


「⋯⋯ふ、不可抗力というか⋯⋯」


 そう弁明する咲希(さき)だが、夏愛(なつめ)の膝の上に頭を載せたまま何を言っても当然説得力など欠片も無い。


 冷房によって部屋は涼しく保たれているはずなのに変に身体が火照っているのかだらだらと嫌な汗が全身から吹き出すような感覚に、頭の中がぐるぐると回り始める。


「不可抗力⋯⋯」


 そう復唱した夏愛はいつも通りの涼しい表情で、異性──と認識されているのかも怪しいが──との膝枕という行為にも一切動揺なんてものはしていないらしく、それどころかもはや慌てふためく咲希の反応を楽しんでいる節まであるように思えてしまう。


 そもそも彼女はほとんど初対面の男に相合傘を提案して誘いを受けて家まで入り込むような人物だ。もしかしたら彼女にとっての膝枕は友人と手を繋いだり話したりするのと同じようなもので、大して他の意味は無かったりするのではないだろうか。


「⋯⋯本当にすみませんでした」


 気付けばそんな言葉が漏れていた。


「⋯⋯⋯⋯」


 ずっとなよなよとしたままの咲希に流石の夏愛も呆れたようで、それに対する返答は特に何も無かった。


 訪れた沈黙に、そっと唇を噛む。


(僕は一体⋯⋯何を期待してたんだ)


 最初から分かっていた事だが、彼女がこんな事をしているのはあくまでも善意と義務感から来るものだ。そこに至った原因は間違いなく彼女の目の前で弱い部分を見せた咲希であるが、だとしても今回は救いようが無い。


「⋯⋯⋯⋯」


 他人の事を放っておけないその性格を知っていて、助けてくれと言わんばかりに暗い空気を至近距離で漂わせ続けていた。しかも当の本人はそれを隠しているつもりだったというのだから尚更タチが悪い。


「⋯⋯⋯⋯」


(⋯⋯自分だけ舞い上がって⋯⋯馬鹿みたいだ) 


「ふー」


「〜〜ッッ!?!?!?」


「あ、びくってした」


「なっ、ななななんっ!?みっ、耳⋯⋯っ!?」


「ふふ。咲希くん、お耳にちょっと息吹きかけただけで顔真っ赤になっちゃうなんて⋯⋯意外と敏感さんなんですね?⋯⋯あ⋯⋯たった一回しかしてないのにまだびくびくしてる⋯⋯かわいい⋯⋯♪」


「っ!、?」


 どうやら何か変なスイッチが入ってしまったらしく、「これなら耳かき用の道具も持ってくればよかったなぁ」と呟きながら今まで一度も見た事のない恍惚とした表情を浮かべる夏愛に、謎の危機感を感じた咲希は反射的にその場から逃れようと身体に力を込めた。


 しかしそんな隙などある訳が無く、当然のように肩を押さえられる。


「だーめ。逃がしませんから」


「せ、せめてこのてをはなしてもらうことは⋯⋯」


「だめです。言ったでしょう?お仕置きだって。咲希くんは大人しく膝枕を堪能してればいいんです!⋯⋯それに⋯⋯脚、好きですよね」


 その言葉にぴたりと咲希の動きが止まる。


「そっ、れは⋯⋯えっと、その、えぇっと⋯⋯」


 無意識に視線が下に向く。視界に映るのは薄いタイツから透けて見える真っ白な柔肌。


 もう結構な間そこに触れ続けている以上否定など出来るはずも無く、駄目だと分かっていながら欲望を抑えられなかった自分がどうしようもなく情けなくなって来る。


(というか望冬(みふゆ)の件くらいから巡り巡って趣味趣向というか(へき)がバレてる気がする⋯⋯ッ!)


 気のせいというか完全に事実なのだが、自分でも知らなかったような(性)癖を、よりによって女性である夏愛に知られているというのは実質的に弱みを握られている状態だ。


 どう考えても幻滅され軽蔑され捨てられる流れのはずなのだが、何故か夏愛はむしろ嬉しそうにしていた。


「⋯⋯お、怒ってない、?」


 言ってから声に出ていたと気付いて口を塞ぐが時すでに遅し。どんな事を言われるのかと覚悟した咲希だったが、聞こえたのは小さな笑い声だった。


「もう。どこに怒る要素があるんですか。いえ、あるにはありますけど、今回は関係ないですから」


「いやでも僕、こんな情けないこと⋯⋯」


 年下の少女の膝に頭を載せた状態でどの口が言っているのかと我ながら思ったが、こうでもしないと今の状況を耐えられそうに無かった。


「情けなくなんかないですよ。むしろもっと甘えてほしいくらいです。⋯⋯咲希くん危なっかしいから、私がちゃんと見てないとだめみたいですし」


「うっ⋯⋯」


 多少引っ掛かる部分はあるが、実際最初に会ったあの日から今日までの間にしょっちゅう危ないところを見せてしまっているという自覚はあるため反論は出来ない。


「⋯⋯だとしても、いいんですか?こ、こういう事って普通⋯⋯こっ、恋人とか、そういう、親しい人とやるものだと僕は思ってたんですけど⋯⋯」


 視線を逸らしてそう呟く。若干話を変えたのはわざとだが、自分と彼女の認識の違いをどうしても確認しておきたかった。


「⋯⋯んー」


 夏愛は一度きょとんとした表情になると、すぐににんまりと笑みを浮かべた。


「恋人⋯⋯恋人ですか。⋯⋯やってること自体は、そうかもしれませんね」


「!?」


 衝撃的な発言に自分の耳を疑うが、「そうかもしれませんね?」と悪戯っぽく笑いながらもう一度繰り返され、聞き間違いではないと悟る。


(ど、どういう意味なんだ⋯⋯ッ!?)


 思わず心の中で頭を抱える。


 彼女は膝枕を恋人とやるような行為だと認めたが、それを何でもないただの男であるはずの咲希にする意味が分からない。


 今時中学生でもあるような初歩的な経験すら無い残念な頭で必死に考えるが、その思考も彼女の口から漏れた「あ、」という声ですぐに中断された。


「説明不足というか失言でした。勘違いしないでほしいんですけど、やってる側にその気がなければ別に普通のことというか、同年代なら皆さん結構やってることだと思いますよ?」


「えっ、そ、そういうものなんですか⋯⋯?」


「はい」


「本当に普通の、誰でもやってることなんですか⋯⋯?」


「はい。お互い他意がなければセーフです」


「⋯⋯⋯⋯、」


 きっぱり言われるとそれはそれで少し真顔になるのだが、彼女がそう言うのならばそうなのだろう。


(危うく変に勘違いするところだった⋯⋯。そうか、それが普通なんだ⋯⋯。やっぱり自分の認識が間違ってたんだな⋯⋯。とにかく、違うなら良いんだ⋯⋯違うなら⋯⋯)


 微妙に歯切れの悪い呟きは口の中で転がし、音を消してからため息の形で外に吐き出す。


「⋯⋯というか咲希くん、」


 すると突然、何の脈絡も無く夏愛がとんでもない事を聞いて来た。


「こういうのは恋人とすることだなんていっちょ前に言ってますけど⋯⋯今までに恋人いたことあるんですか?」


「え!?そ、それは⋯⋯」


 何だか話が変な方向へ進み始めたぞと思いつつも跳ねた心臓の辺りをぎゅっと押さえ、思考回路をフル稼働させる。


(な、何て答えるのが正解なんだ⋯⋯!?普通にいないって事実を言う?見栄張って一人って言う?いやでもその場合嘘をついたことになってかえって軽蔑されたり⋯⋯えっ、ほんとにどうすれば⋯⋯!、)


 ちらりと盗み見た夏愛の浮かべる表情にはあくまでも好奇心しか読み取れず、特に甘くも酸っぱくもない。


何故か悔しく思いつつ考えることおよそ三十秒。ゆっくりと咲希の口が開く。

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