44.邂逅、そして⋯⋯(1)
百合浜市最大の河川である桜葉川には一キロメートルほど続く桜並木の沿道があるが、そこは春に満開になった桜の花弁が水面に落ちて桜色の絨毯を作るのが特徴の観光スポット兼デートスポットだ。
そんな場所に一人でやって来た咲希は暗闇の中、大型の橋の下にある河川敷の平地で足を止めた。
余程の事が無い限り浸水しないここは普段から親子のキャッチボールや中高生の遊び場として利用されているらしく、土の地面には沢山の足跡が残っている。
しっかりとした管理がなされていることは落書きなどが無い綺麗な橋の柱を見れば分かる。
ぽつぽつと立つ街灯とスマホのライトを頼りに軽く辺りを見回した咲希はふと言葉を零した。
「変わってないな⋯⋯」
この河川敷は咲希が幼い頃、たまに友人や幼なじみと集まって鬼ごっこやカードゲームをして遊んだある種思い出の場所でもある。
こちら方面は中心街と真反対であり特に何も無いため滅多に来ることが無かったのだが、こうして訪れてみるとしっかりと懐かしさは感じるらしく不思議な気持ちになる。
感傷に浸るのは後にして頭を切り替える。
時刻は十九時五十八分、ほぼほぼ全力で走ったはずだがやはり体力が回復し切っていなかったのか予定よりも遅くなってしまった。
「──⋯⋯!」
まだ相手の方は来ていないのか、と思ったところで遠くから声が聞こえた気がして顔を上げると、土手の上から誰かがこちらに手を振りながら走って来るのが見えた。
(誰だ⋯⋯一体⋯⋯、!?)
こんな時間にわざわざここを訪れる人物は限られている。いつでも動けるように身構えた咲希だったが、駆け寄ってきたのが誰か分かった瞬間僅かに身体を強ばらせた。
「さっくん!」
咲希のことをそう呼んだクリーム色のツインテ少女は咲希から二メートルほどの位置で立ち止まると息を切らせながら微妙な笑顔を向けてくる。
「やっと追いついた⋯⋯相変わらず速いね」
「⋯⋯何で、望冬が⋯⋯?」
「えっ?」
咲希の問いかけにきょとんとした顔になった望冬は何かに気付いたようにバッグから取り出したものをこちらに差し出して来た。
「大丈夫?顔色悪いよ?これ水。飲んでいいから」
「あ、ああ⋯⋯ありがとう⋯⋯、?」
心配そうにこちらを見る望冬から受け取ったのはペットボトルの天然水。未開封らしいそれはキャップを回すとパキッという軽い音と共に開封される。開いていないのなら少なくとも危険は無いだろう。
そういえば今日は朝以降まともに食事も水分補給もしていなかった。自覚はしていなかったが身体はかなりの水分を欲していたらしく、五百ミリリットルのペットボトル半分程を一気に飲み干してから口を離し、零れた水滴を手の甲で拭う。
すると変わらない笑顔でこちらを見つめる望冬と目が合った。
「落ち着いた?」
「⋯⋯お陰様で」
「良かった。それにしても、凄いやつれてるね」
「ちょっと、こっちの話で。⋯⋯⋯⋯ところで、望冬はどうしてここに?」
会話もそこそこにもう一度同じことを尋ねると望冬はこてんと首を傾げた。
「さっきも言ったでしょ?たまたまさっくん見かけたから追いかけて来たの」
「たまたま⋯⋯見かけた?」
「うん。用があってさっくんの家に向かってた時に丁度玄関から飛び出してくるところを目撃して、これはただ事じゃないなって思って⋯⋯それで」
「それで、こんな所まで⋯⋯?」
咲希の家からこの河川敷まではそれなりに距離がある。スマホの連絡先も交換したはずなのにそれを使わず見かけたという理由だけでわざわざこんな所まで徒歩で追いかけて来るというのはあまりに非効率的だ。
そんなのはあの望冬らしくないと思ったが、4年も会っていなかったのだ。性格や考え方などが変わっていても別に不思議では無いだろうと思い直す。
視線を向けると望冬は自らのツインテールの先をくるくると指に巻き付けながら目を逸らしていた。
「うん、まぁ⋯⋯そうと言えばそうかな」
微妙に歯切れの悪い言葉に眉を寄せる。
「本当の本当にただの偶然で、望冬は何も知らないんだな⋯⋯?」
「知らないって、何が?やっぱり何かあったの?」
「⋯⋯⋯⋯、いや、何でもない。知らないならいいんだ」
「ふーん?⋯⋯──じゃあ、なんでそんなに離れてるの?」
その言葉にびくりと肩を揺らした咲希はすぐに作り物の笑顔を貼り付ける。
「離れてるって⋯⋯普通だろ、これくらい」
「嘘。少しずつ下がってるの、バレてないと思った?⋯⋯何かあったんだったら話してよ」
「⋯⋯⋯⋯」
普段の咲希なら望冬を『信用出来る人』と判断していくらか話をしていたかもしれないが、現時点では白か黒か分からない望冬にバラしてしまうのは得策ではないように思えるのだ。
しかし白だった場合何も言わないのが余計な詮索に繋がる可能性があるためここは限りなく嘘に近い真実で誤魔化すことを選択した。
「⋯⋯今日の午後八時、この河川敷で待ち合わせしてる人がいる。どうやら一人で来ないといけないみたいだから、望冬と話してる所を見られるとまずいんだ」
嘘は言っていない。あくまでも事実を少し言い換えただけだ。
賢い望冬のことだ。こう言えば帰ってくれると思ったのだが、彼女が言い出したのは予想と正反対のものだった。
「ならあたしも一緒に待つ」
「いやだから、一人じゃないと駄目なんだって⋯⋯」
「大丈夫。しっかり謝ればその人も⋯⋯きっと許してくれるから」
「どうしてそんなことが──っ」
そこで言葉が切れたのはおそらく無意識ではない。目の前の少女の笑顔が突然平べったく、言い換えるなら作り物のように見えた気がしたのだ。
沈黙した咲希の視界に小さな笑顔が映る。
「⋯⋯⋯⋯あれ、もしかして気付いちゃった?⋯⋯それとも疑念が確信に変わった感じかな」
くすくすと笑いながら口許に手を当てる姿はやけに妖艶で、次にこちらを向いたはちみつ色の瞳には確かな愉悦が浮かんでいた。
「んー、ほんとはもう少し時間稼ぎしたかったんだけど流石にあからさま過ぎたかな。よくよく考えれば設定もガバガバだったし」
「⋯⋯神原さんは今⋯⋯どこにいる?」
「直球だね。⋯⋯もう、そんな怖い顔しないでよ。心配しなくてもまだ何もしてないし、あなたがあたしの要求を飲んでくれれば無事に返してあげるから」
「要求⋯⋯?」
「うん、要求」
そう呟いて距離を詰めてくる望冬に咲希は一歩後ずさろうとしたが、突然足の力が抜けてバランスを崩しそのまま尻もちをついてしまう。
「っ⋯⋯?、⋯⋯?」
立ち上がろうとするが上手く身体に力が入らない。おまけにやけに頭がぼんやりとする。
元々悪かった体調に今度こそ限界が来たのかと思ったが、衝撃で手から離れて地面に転がったペットボトルを見て嫌な予感がした。
「結構飲んでたしそろそろかなとは思ってたけど、意外と耐えたね。これ速効のはずなんだけど」
そう言いながら目の前で足を止めた少女を見上げ、声を絞り出す。
「⋯⋯何を⋯⋯盛った⋯⋯?」
「んー?何って、ただの睡眠薬だよ?⋯⋯まぁ、ギリギリまで濃くはしたけど」
最初に望冬が手渡してきたペットボトルは見た感じは完全に未開封だったが、どうやら細工がされていたらしい。
睡眠薬が溶け込んだ水を半分以上一気飲みしてしまったことを理解した咲希は自分の呼吸と鼓動が速くなっていくのを感じる。
薬による眠気と風邪による体調不良で少しずつ意識が薄くなっていく中、膝を折って両手をついた望冬が咲希に覆い被さるように迫ってくる。
「な、何を⋯⋯ッ!?」
爽やかな花のような優しい香りの夏愛と違い、香水を付けているらしい望冬からは熟れた果実のような濃密な甘い香りが漂っている。
「ここまで来たら分かるでしょ?あたしの要求が何なのか」
ちらりと舌を覗かせた望冬は咲希の耳元でそっとその言葉を口にした。
「──あたしの恋人になって」




