35.魅惑の誘惑(1)
「ご馳走様でした」
「お粗末様です」
感謝の意を込めて頭を下げると夏愛はこちらの手から空になったお椀を取ってお盆に置く。
何だかんだ一皿まるまる食べ切って貰えたことでご満悦な様子の夏愛が食器の片付けのために部屋を出て行くと、一人になった咲希は小さく呟いた。
「⋯⋯死ぬかと思った⋯⋯」
風邪以外の理由で熱くなった頬を両手で押さえながらため息をつく。
あの後「遠慮せずどんどん食べてください」という夏愛の言葉の元『あーん』による羞恥心との戦いが幕を開けたのは咲希の名誉のために言わないでおくが、それも案外悪いことばかりでは無かった。
「⋯⋯嬉しそうだったな」
もしも夏愛にしっぽがあればぱったぱったと揺れていそうなくらいの喜びようだったなと思ったが、すぐに我に返り慌ててその妄想をかき消す。
「ふぅ⋯⋯」
もう一度深く息を吐いてからベッドに身体を倒す。
相変わらず頭は痛いがお腹が満たされたからか忍び寄ってくる睡魔になんとか身を委ねようと目を閉じた瞬間、ゆっくりと部屋の扉が開かれた。
「⋯⋯眠いですか?でも、もう少しだけ我慢してくださいね」
そう言って歩いてくる夏愛の手には天然水のペットボトルと何かの小さな箱があり、寝たままでは悪いだろうということで咲希は肘をついて上体を起こした。
「それは⋯⋯?」
「市販の風邪薬です。寝る前に飲んでおけば少なくとも頭痛くらいは和らぐと思いますよ」
椅子に腰掛けながら「必要ないなら片付けますが」と付け加えた夏愛にお礼を言ってそれらを受け取り、箱から出した錠剤を一粒口に含む。
(なんか⋯⋯久しぶりだな、この感覚)
咲希は他人に比べて身体が若干丈夫らしく体調を崩すことは滅多に無いし、たとえ崩したとしても基本的にずっと寝て治すタイプであるためこんな風に薬を飲むのは珍しいことなのだ。
水で一気に流し込んで小さく息を吐くと無意識に視線が下に落ち、そして何故か横に吸い寄せられた。
「⋯⋯⋯⋯」
その先にはタイツに包まれた夏愛の健康的なおみ足があったのだが、頭痛と眠気で頭がぼんやりとしている咲希は何も考えずにそれをじっと凝視してしまった。
「⋯⋯気になりますか?」
「はっ、!?」
その言葉にようやく自分のしている事に気付いた咲希が慌てて視線を上げると、少しだけ頬を染めた夏愛と目が合った。
「っ⋯⋯」
申し訳なさと気まずさですぐさま顔を逸らしたのだが、横から聞こえてきたのは独り言のような小さな声だった。
「河館さんは⋯⋯こういうのが、お好きなんでしょう⋯⋯?」
とんでもない質問に咲希は何も言うことができず、顔を背けたまま視線を彷徨わせる。
(な、なんて返せば⋯⋯!?)
熱のせいで鈍くなった思考回路は思うように動かないということをすぐに理解するが、それでも左手で額を押さえながら必死に考える。
確かに今の夏愛の格好は新鮮でとても魅力的でありそこを否定する気はさらさら無いが、馬鹿正直に「好き」と言うことは絶対に出来ない。
かといって「嫌い」と言うのも違うため真面目に何と返せばいいのかが分からなくなってしまった。
「ぅ⋯⋯⋯⋯」
答えあぐねている咲希を見かねたのか、夏愛は脚の上で両手を組みながら口を開いた。
「実はこれ⋯⋯この前の八代さんを参考にさせて頂いたんです」
「望冬を⋯⋯?」
落ち着かないのか忙しなく指を動かしながら自らの手元を見つめる夏愛とは当然視線が合わない。
「はい。三日前に街で話した時、河館さんが八代さんの脚の辺りをちらちら見ていたのでこういうのが好みなのかなと」
「ち、ちがっ⋯⋯」
その発言に冗談抜きで咲希の心臓が一瞬停止する。
決して邪な気持ちがあった訳では無いが、夏愛の言う通りあの時望冬の短すぎるスカートが気になってしまったのは事実であるため全てを否定することは残念ながら出来ないのだ。
一応言っておくとあくまでも幼なじみ目線で見た時に防寒や防御力の面で問題があったという意味であり、咲希はどちらかと言うと保護者側につくはずだ。
本人的にあまりよろしくない部分を指摘されたことによる羞恥心からおろおろとする咲希に対して夏愛は涼しい顔でさらりと告げる。
「別にいけないこととは言ってません。私としてはむしろ嬉しかったので」
「嬉しかった⋯⋯?」
何故夏愛がそんな風に思うのか分からずオウム返しをしてしまったが、夏愛はすっと口許に弧を描くと白百合色の瞳を半分ほど隠した。
「河館さんもちゃんと男の子なんだなって、少し安心しました」
「そういうのに全く興味無さそうでしたから」と独り言のように呟いた夏愛は自らのふとももに手を置くと、ちらりとこちらに視線を向けた。
「⋯⋯触りたいですか?」




