32.体調不良とお嬢の訪問
『生きとるかサッキー』
「⋯⋯死んでる」
『ほんまに声死んどるな』
「⋯⋯頭痛いから手短に頼む⋯⋯」
時刻は丁度お昼時を過ぎた頃、咲希は自宅のベッドで布団を被ったまま耳元のスマホから響く声になんとか返答していた。
電話の相手は傍武だ。朝から寝込んでいたため当然大学は休んだのだが、昼になっても咲希が食堂に現れなかったことで心配して掛けてきてくれたらしい。
『んで今何℃あるん?』
「⋯⋯朝測ったら三十八度六分だった」
『普通に高熱じゃな。ヤバそうなら病院連れてくで?』
「⋯⋯いや、必要ない。寝てれば治る⋯⋯」
いくら親友とはいえ流石に風邪程度でそこまでしてもらうのは気が引ける。それにこれくらいなら一日二日で自然と治るはずだ。
『そうか、分かった。んじゃ代わりにこの後救援物資持ってくわ』
「⋯⋯助かる。鍵は開いてるから勝手に入ってくれ⋯⋯」
『防犯って知っとるか?』
「家にいる時くらい良いだろ別に⋯⋯というか出迎えられる自信が無い⋯⋯」
『おーおー結構辛そうじゃな。まぁあと一時間かからんくらいじゃけん待っとってな』
傍武がそう言い残して通話を終了させたため、咲希はスマホの画面を消してサイドテーブルに置いた。
(何だかんだいいやつなんだよな⋯⋯)
普段はチャラチャラしているがこういう時に当たり前のように手助けしてくれるのが傍武の良いところだ。素直に感謝するべきだろう。
身体は怠く頭は痛いが何故か自然と頬が緩むのを感じ、咲希はゆっくりと目を閉じた。
♢
突然額に触れた冷たい何かに驚き反射的に目を開くと、ぼんやりとした視界に誰かが映った。
「あ⋯⋯すみません、起こしてしまいましたか」
小さく聴こえた優しい声に思わず耳を疑う。
「⋯⋯神原、さん⋯⋯?」
のそのそとサイドテーブルに手を伸ばし、置いていた眼鏡を手に取る。
それを着用して改めて視線を向けると、そこにはベッドの横で膝立ちしてこちらの顔を覗き込む夏愛がいた。
「⋯⋯⋯⋯?」
状況が飲み込めず目をぱちくりさせていると、夏愛はほんの少しだけ眉を寄せた。
「どうして、という質問は受け付けませんよ。私言いましたよね、『何かあったら連絡してください』って」
「え?あぁ⋯⋯」
そういえば以前そんなことを言っていたような、と思った直後、まだ眠っていた思考が遅れて目を覚ました。
「きゃっ!?」
がばっ!と突然起き上がった咲希に驚いた夏愛が小さな悲鳴を漏らしたが、構わずベッドから降りようとした咲希は即座に両肩を押さえられる。
「ちょっ、何してるんですか!?ちゃんと寝てないと!」
「⋯⋯大丈夫です、ちょっとお茶菓子を用意してくるだけなので」
「そんなこと気にしなくていいのでとにかく今は休んでてください!」
やけに真剣な夏愛の剣幕に押されて渋々体の向きを戻し上半身を起こした状態で落ち着くと、彼女は安堵したのかほっと息を吐いた。
「河館さんが体調不良って聞いて心配したんですよ?電話もメールも反応ありませんし⋯⋯」
「え⋯⋯」
心配した、という部分が引っかかりつつもスマホを開くと確かに夏愛からの不在着信とメッセージが届いていたが、それとは別のことで頭がいっぱいになる。
「十四時⋯⋯」
画面に表示された時刻に目を眇める。傍武と電話でやり取りしたのが確か十三時前だったと思うのだが、そこからの記憶が全く無い。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ふと額に手を当てるとそこには少しごわついた布のような感覚──冷却シートが貼られていた。
「神原さんがこれを⋯⋯?」
丁度同じくらいの高さになった夏愛に視線を向けるとこちらを捉えた白百合色の瞳が細められる。
「私以外に誰がいるんですか」
少し不機嫌そうに端的に返されたことで咲希の頭にとある可能性が浮かんだ。いや、浮かんでしまった。
「⋯⋯もしかして傍武に頼まれました?」
その言葉に夏愛の動きがぴたりと止まった。否定しないということはつまりそういう事なのだろうか。
「⋯⋯代わりに謝らせてください、僕なんかのために無理強いして本当に申し訳ありませんでした。冷却シート、助かりました。もう帰っても大丈夫なので⋯⋯」
夏愛の性格的に他人から頼まれたことは中々断れないだろうし、今回も傍武に言われて仕方なく了承したに違いない。そうでなければわざわざ男の自室に女性一人で来る理由が無いはずだ。
そう思って謝罪したのだが、夏愛は機嫌を直すどころかむしろますます不機嫌になっていた。
意味が分からず咲希が首を傾げると夏愛はため息と共に小さく呟いた。
「勝手に悪い方に考えて勝手に自己完結しないでください。確かに頼まれたのは事実ですが、ここに来ることを選んだのは私の意思です」
「いや、だからって⋯⋯」
夏愛本人の意思と言われてもいまいち理解が出来ない。第一、こんな所に来たって夏愛にメリットは何も無いのだ。
中々納得しない咲希に夏愛は迷うように口を動かした後、結局"それ"を告げた。
「だって河館さん、一人暮らしじゃないですか」
「っ!?」
何故それを、と問うよりも早く夏愛が続ける。
「河館さんのお家はどの部屋も整理整頓されていてとても綺麗だと思います」
咲希はその言葉に眉を寄せる。確かに咲希自身極力部屋は散らかさないようにしているつもりではあるが、関係の無いことでいきなり褒められても困る。
どういうことだと思っていると夏愛はゆっくりと核心をついた。
「でも、そうじゃないって気付いたんです。片付いているのではなくあまりにも物が少なすぎる──言い換えれば生活感がほとんどありませんでした。ご家族と暮らしているにしてはおかしいなと」
「それは⋯⋯」
バツが悪そうに目を逸らした咲希は心の中で舌打ちする。
(流石に家に入れ過ぎたか⋯⋯)
いくら向こうからの提案とはいえお菓子作りを教えるという名目のもと週一で他人を家に入れるのはやはりやり過ぎだったようだ。
隠したことが裏目に出た。夏愛はリビングにしか入っていないはずなのだが、それでも彼女の観察眼は少しの違和感も見逃さなかったらしい。
しかしながら夏愛を自然な形で帰すのにはもう失敗しているし、そもそもの話としてわざわざここまで来てくれた彼女の善意を踏み躙るのはあまりにも酷いことなのではないだろうか。
(そうか、僕は神原さんを追い返そうとしてたのか⋯⋯)
自分のしてしまったことの重大さに思わず視線が落ち込む。
「──河館さんはいつも、自分ひとりでどうにかしようとする悪い癖があります」
独り言のように呟かれた言葉に顔を上げると、優しく微笑みながらこちらを見つめる夏愛と目が合った。
「でも、それってとても不安定で、いつか必ず限界が来るものなんです。人間って独りだと案外脆いんですよ?⋯⋯⋯⋯だから⋯⋯」
白百合色の瞳が一瞬だけ伏せられ、再びこちらに向けられる。
「だから、こういう時くらい頼ってください。私はいつでも河館さんの力になりますから」
そこまで言うと夏愛は突然体ごと後ろを向き、ぺたりと正座を崩した形となった。さらさらの黒髪の隙間からは真っ赤に染まった耳が覗いているため、どうやらかなり頑張って言ってくれたらしい。
しばらくそっとしておくべきだろうと判断し、目を閉じる。
(頼ってください、か)
その言い回しは夏愛にしては珍しかった。いつもなら「頼ってほしい」と言うような気がする。
普段から慎重に言葉を選んでいる夏愛がわざわざそんな言い方をしたのだから、それには必ず意味があるはずだ。
(頼る⋯⋯)
昔からずっとひとりでどうにかしてきた咲希には『頼る』というものがどういうものなのかいまいち分からない。
ちらりと視線を向けると、火照っているのか両手で顔をぱたぱたする夏愛の後ろ姿が目に入る。
(頼って、いいのだろうか)
未だに夏愛を信じ切ることができない自分がどうしようもなく嫌いだった。




