31.喧嘩するほど何とやら
「あれ、待ってなくても良かったのに」
支払いを終えて店から出てきた咲希は壁際に立つ二人に対してそう言った。
「今から行ってもどの道間に合いませんし、それなら急ぐ必要は無いかなと」
「あたしは今日元々休みだし。というかまださっくんの連絡先貰ってないから帰りたくても帰れないんだけど」
夏愛の言葉を若干遮りながら、咲希にとって割と大変な要求を突き付けてきた望冬に少したじろぐ。
「前持ってたやつは」
「スマホ変えた時に全部一新したのよ」
「な、なるほど⋯⋯?まぁ、分かった」
ツッコみたい部分はいくつかあるが、拒否することでも無いかと思い望冬と連絡先を交換する。
チャットアプリの友達一覧に追加されたアイコンを見ていると、初めて夏愛を家に招き入れたあの日の事を思い出す。
しばらくして回想シーンから現実に戻ってくると、はちみつ色の瞳が半目でこちらを見つめていることに気付いた。
「⋯⋯さっくんが別の女のこと考えてる」
「い、いや、そんなことは⋯⋯というかその言い方は誤解を招くのでやめてください⋯⋯」
疑いの視線から逃れるように顔を背けながら、どうして自分の周りの女性は皆やけに鋭いんだ、と心の中で零す。
「あ、そうだ」
「⋯⋯?」
何かを思い出したらしい望冬はそう言うとわざわざ咲希の顔の正面に回ってくる。
「久しぶりにあんたの家に行きたいんだけどいい?折角帰ってきたならおじさんとおばさんにも挨拶しときたいし」
その言葉に咲希は一瞬目を見開き、すぐに苦笑を浮かべた。
「⋯⋯ごめん、両親は今ふたりとも家にいないんだ」
ぺこりと頭を下げると慌てたような声が返ってくる。
「そ、そういえば共働きだったわね!まだ二人とも働いてるんだ?⋯⋯うん、それなら仕方ないわね。また今度にしておくわ」
「助かる」
この辺の説明をしなくても分かってくれるのは幼なじみの良い部分だろう。家族ぐるみでそれなりの付き合いになるため互いに互いの家庭のことはよく知っている。
すると近くで再び着信音が鳴った。音のした方を向くと、スマホとにらめっこしながら微妙な表情になった夏愛がいた。
「⋯⋯すみません河館さん、そろそろ行きますね」
「あ、はい、お気をつけて⋯⋯」
どうやら時間が押しているらしく、彼女は咲希にそう言うとひとりで先に大学の方へ歩いて行ってしまった。
「⋯⋯神原夏愛さんって言ったっけ。かわいい子じゃない」
引き留める理由も無いため小さくなって雑踏に紛れていく背中を見送っていた時、ふと隣の望冬がそう呟いた。
一瞬嫌味かと思い振り返るが、すぐにそれは違うと理解した。遠くを見つめるはちみつ色の瞳はどこか寂しそうで、同時に幾許かの羨望が滲んでいるような気がしたのだ。
他意などは無く、ただ純粋な気持ちでの言葉だと察した咲希は「まぁ⋯⋯否定はしない」とだけ返す。
「ふーん、珍しいわね。あんたがそんなこと言うなんて。⋯⋯⋯⋯大事なの?」
問いかけと共にちらりとこちらに向けられた目線には曖昧な笑顔を見せる。
「それは⋯⋯どうだろう、正直分からない」
大事かどうか、と聞かれれば大事だと答えることはできるだろう。ただ、それがどういう意味でのものなのかが咲希自身にもよく分かっていなかった。
夏愛は自分に良くしてくれている、というのは事実であり自覚もしているが、それを別のものに結びつけるなどと言った都合のいい解釈をする気にはどうしてもなれないのだ。
あの時助けた分の恩が返されているだけ。それで彼女の行動や言動の大半は説明できるはずだ。
少なくとも今はそう思うようにしている。
そんな咲希の様子を見た望冬は呆れたように何度目かも分からないため息をついた。
「なんか疲れちゃったからあたしも行くね」
「え?いいのか?もう帰って」
「うん、折角の休みだしゆっくりしようかなって。⋯⋯それに、やること思い出しちゃったから」
「そう、か。引き留めて悪かった」
「気にしないでいいよ。元々さっくんと話をするのが一番の目的だったし」
わざわざ咲希の通う大学の近くまで来ていたのだからもっと言いたいことは沢山あるように思えるのだが、本人は別れを惜しむことも無く笑顔で手を振ってあっさりと帰ってしまった。
「⋯⋯⋯⋯」
結局またひとりだけ取り残された咲希は左手で後頭部をこつこつと叩きながら何となくスマホを手に取った。
「お話は終わりましたか?」
「ッ──!?!?!?」
突然背後から聞こえた声に危うく落としそうになったそれを両手で掴み直しながら慌てて振り返ると、そこには先程見送ったはずの人物が立っていた。
「神原さん⋯⋯どうして」
「歩いてる間に一限が終わってしまったので戻ってきました。やっぱり間に合いませんでしたね」
「え、えぇ⋯⋯?」
首を傾げ「何か問題でも?」とでも言いたげな目で見つめられた咲希は何も言い返せず、ただただ困惑の声を漏らす。
少し遅れて夏愛の眉が若干寄せられていることに気付き一瞬心臓が縮んだが、すぐにいつも通りの柔らかい表情に戻り安堵する。
「河館さんにあんなに綺麗な幼なじみ(⋯⋯しかも女の子)がいたなんて初耳です」
「言ってないので⋯⋯というか、ぶっちゃけ忘れてましたよ」
なんだかついさっきも似たようなやり取りを別の誰かとしたような気がしなくもないが、会話に付き合うこと自体に問題は無い。
と思っていたのだが、白百合色の瞳が半分ほど隠されたことでそれは失敗だったと悟った。
「忘れてた?あそこまで個性的な女の子をですか?」
「ぐ⋯⋯それは⋯⋯」
痛いところを突かれ言葉に詰まった咲希に、夏愛は目を閉じると小さく息を吐いた。
「別に、八代さんを悪く言うつもりは無いんです。確かに口は悪かったと思いますけど、根は良い人だというのは彼女と楽しそうに話す河館さんを見てたら分かりましたから」
困ったような笑顔を浮かべながらそう言われ、咲希は全身に張り詰めていた空気が抜けるのを感じた。
「⋯⋯なんで笑ってるんですか」
「い、いや、すみません、何と言うか⋯⋯あれだけ言い争ってたのにしっかり名前を覚えてる上に意外と評価が高いことに驚いちゃって」
「む⋯⋯。私だって他人を見る目くらいちゃんと持ってますよ。あまり見くびられては困ります」
「そうですよね、すみません」
若干頬を膨らませながら弁明する夏愛を見ていると何故か自然と頬が緩んでしまう。
そしてその緩んだ口から言葉が漏れた。
「望冬は⋯⋯昔から不器用なんです。他人の気持ちを読み取るのは得意なくせに自分の気持ちを表現するのは下手で⋯⋯四年も経って本人は色々と変わったみたいですけどね。だからきっと今回も悪気なんて無くて、ただ初めて会った神原さんに興味が湧いただけなんだと⋯⋯僕はそう信じてます」
流石に口には出せなかったが、望冬は場の空気を軽くするためにわざとあの場面で突然胸の話を出したのではないだろうか。彼女なりの茶化し方という訳だ。⋯⋯一歩間違えれば大惨事だったのは言うまでもないが。
ただの独り言を長々と語ってしまったことに気付き顔を上げると目を細めてこちらを見る夏愛と視線がぶつかる。
彼女はふっと笑い、小さく呟いた。
「あの人は⋯⋯本当に河館さんに信頼されてるんですね」
「え⋯⋯⋯⋯?」
どこか含みのある言葉に首を傾げるが、夏愛はそれ以上は何も言わずこちらに背を向けた。
何か声を掛けるべきかと迷っていると、先に夏愛の方が口を開いた。
「今日は⋯⋯八代さんと話したことで思わぬ収穫がありましたから、彼女にはある意味感謝するべきかもしれません」
「思わぬ収穫⋯⋯?」
「⋯⋯内緒です♪」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
首だけ振り返って口許に人差し指を当てるという不意打ちに咲希は思わず顔を押さえた。
(油断したらすぐこれだよもう⋯⋯)
毎回毎回防壁を削るような行動や仕草をされると咲希の心が保たない。いつかオーバーヒートでもしてしまいそうだ。
精神的ダメージによるものなのか、ちくちくと痛む後頭部をもう一度軽く叩く。
「どうかしましたか?」
咲希の様子を不思議に思ったのかそう尋ねてきた夏愛には笑顔で「何でもないですよ」と言っておく。
(⋯⋯これ以上⋯⋯余計な心配はかけたくない)
夏愛には色々と迷惑をかけ過ぎているため、こんなことで彼女の時間を奪いたくはなかった。
「大丈夫なので。本当に」
念の為もう一押しすると夏愛はようやく納得したらしく、それ以上の追求はされなかった。
──そしてその三日後、咲希は体調を崩した。




