03.度を超えた自己犠牲
「⋯⋯ふぅ、そっか。助かったよショー」
ショーというのはこの金髪の男、傍武晶の名前を音読みしたあだ名だ。
咲希のひとつ上の大学三年生である傍武と出会ったのは咲希がこの大学に入ってからであるため、付き合いはまだ一年程度しかない。
それでも咲希にとってはほとんど初めての友人であり、傍武の気さくな性格も相まって自然と親友と言えるくらいには仲良くなっていた。
「おうよ。ほれ眼鏡」
「ありがとう。⋯⋯いてて、ほぼ防げたとは言え流石に受けすぎたか⋯⋯手と首が⋯⋯」
殴られる時に手のひらや腕で受け止めていたため目立った怪我は無いのだが、それでも痛いものは痛い。
ひとまず受け取った眼鏡をかけ直すと、ぼんやりとしていた視界が一気にクリアになり、すぐに特徴的な糸目の金髪をはっきりと捉えることができた。
「全く⋯⋯多少喧嘩慣れしとるからって毎度毎度無理し過ぎなんよ。どうせ今回も時間稼ぎとか考えとったんじゃろ?」
「別に。⋯⋯少なくとも僕が殴られてる間はあの子は安全だろ?⋯⋯とはいえ眼鏡を守るためにわざと頬を殴らせるのは失敗だった⋯⋯」
意図的に頬に拳を受けて壊される前に遠くに飛ばした、ということを簡単に察した傍武は「眼鏡が無事で良かったー」という咲希の呟きを聞きながら呆れたように鼻から息を吐いた。
「いや、お前ならあいつらくらい普通に勝てたんじゃないんか」
その言葉に咲希の動きが一瞬止まり、そして苦笑を浮かべた。
「⋯⋯言ったろ、暴力はあんまり好きじゃないんだ」
確かにやろうと思えば勝てたのかもしれないが、それでも他人を傷付けるのは許されない行為だ。暴力を咎めるのに暴力を使うのでは何も解決せず、ただ因縁を生むだけだ。
「ったく⋯⋯」
傍武の方もそう返されると分かっていたのか、特に何も言わずに手を差し伸べてきた。その手を掴んでゆっくりと立ち上がる。
「うん、特に怪我は無さそう。軽い打撲くらいで済んで良かった」
ぽんぽんと砂埃を落としながら呟くと、正面にいた糸目の隙間からじとーっとした視線が飛んでくる。
「それは自分で言うことじゃないと思うんじゃけど⋯⋯お前の自己犠牲の精神は凄いがやっぱりたまに怖いわ⋯⋯間違っても命だけは捨てちゃいけんで」
「⋯⋯分かってるよ、それは。」
命を捨てるかもしれないと思われているなんて心外だ。そもそもそこまでして他人を救う必要なんてあるのだろうか。
「気をつけろよ」
恐らくこちらを気遣う意味での言葉をかけてくれた傍武に感謝しつつ、何となく目を逸らした咲希は軽く身体を伸ばして話題を変える。
「偶然ショーが居たから助かったけど、やっぱ一人で割り込むもんじゃないな⋯⋯」
「ん?偶然じゃないで?」
傍武はさらっと否定する。偶然じゃないというのはどういう意味か分からないが何だか嫌な予感がする。
「もしかしてウリ坊見てないんか?」
「⋯⋯待っ、⋯⋯まさかまた⋯⋯?」
「御明答」
「勘弁してくれ⋯⋯」
額に手を当てため息を吐く。
ウリ坊というのは掲示板の愛称だ。正式名称は『百合浜市立大学敷地内専用掲示板』。平たく言えば百合浜市立大学の敷地内でしかアクセスできない学内SNSのようなものだ。
百合浜をローマ字表記にしたYURIHAMAと、掲示板の板でboard、合わせてウリ坊と呼ばれるようになったと言われている。
かなり利便性が高く百合浜大学のほとんどの学生が利用しているらしいが、咲希は掲示板という性質上、晒すような形であることないこと好きに拡散されるというのがあまり好きでは無かったため滅多に開くことが無かった。
「ほらこれ見てみ」
傍武がスマホの画面を向けてくる。そこには食堂での騒ぎの時の写真と、それについてのコメントが大量に付いたスレッドがあった。
一番最初にでかでかと『二年生の黒髪メガネくんまたまた活躍』というタイトルが記載されている。
「⋯⋯うわぁ⋯⋯デジャブ⋯⋯」
「サッキーは目立ちすぎなんよ。ついこの前もなんか同じようなスレ立っとった気がするんじゃけど」
「仕方ないだろ⋯⋯」
もう一度画像を見るが、モザイクがかけられているとはいえこれは間違いなく自分だ。
頭痛を堪えるように人差し指を曲げてこめかみをぐりぐりするが、あんなド派手にやってしまった以上諦めるしかないし、きっとこの先も同じことをするような気がする。
「ん⋯⋯?」
コメントを流し見ている途中、気になる文を見つけたため指を止める。
「この『難攻不落のお嬢様』って誰だ⋯⋯?」
「ああそれな、サッキーが助けた女子のことなんじゃけど」
「は?」
何を言ってるのかいまいち理解できず聞き返すと、傍武はこちらに近寄ってきて内緒話をするように耳元で囁く。
「(何でも入学して一週間で告白された回数二桁、貰ったラブレターも推定二桁、んでそいつら全員をばっさり振ったことが由来らしいで)」
「何でそんな小声なんだよ⋯⋯てか会って一週間程度で告白ってすごいな、度胸が。普通に考えて振られる以外無いだろうに」
「それを俺に言われても困るんじゃけどな」
「いや別にお前に言った訳じゃ無いけど」
「アッハイ⋯⋯」
耳元に口を寄せていた傍武がするすると離れていく。何故か満面の笑みを見せられているが、咲希の方は相変わらず微妙な顔を浮かべるしか無い。
「まぁしょうがないんじゃと思うで?あの子可愛いし。サッキーもそう思うじゃろ?」
一瞬何と言うか迷ったが、あまり他人に言うことでも無いと思ったため話を逸らすことを選択した。
「いや⋯⋯それは⋯⋯今関係無くないか?」
「大アリだと思うんじゃけど⋯⋯まぁこれ以上はやめとくわ。お嬢本人に聞かれたらまずいし」
「そのお嬢サマとやらはここには居ないんだけどな」
「ほんとにそう思っとるんか?」
傍武の言葉に一瞬息が止まる。いや、有り得ない。こいつだって最初に『帰した』って言っていたではないか。
「きっと直接言いたいことでもあるんじゃろうなぁ」
「⋯⋯⋯⋯、」
ここは三方向が壁で囲まれているため、道があるのは一方向だけ。もし本当にあの少女がいるならそっちではないかと視線を傍武の後ろに向ける。
しかし見えたのは建物の方に続く開けた道だけだった。
「ほら、誰も居ないじゃ──」
そう言いかけて、もう一度見るとそこには⋯⋯。