23.手のひらのぬくもり
咲希は夏愛に体重をかけ過ぎないよう気をつけながらそっと手を取って立ち上がる。
「すみません、悪ふざけが過ぎました⋯⋯怪我してませんか?」
「まぁ、大丈夫です」
「良かった⋯⋯」
ほっと胸を撫で下ろしている夏愛だが、夜道で突然陰から人が飛び出してくるなんて冗談抜きでこちらの命日になりかねないのでもう二度とやらないで欲しかった。
「もしかしてずっと隠れてました⋯⋯?」
「それはその⋯⋯はい。すぐ近くに居たのに河館さん全然気づいてくれませんでしたけど」
「勘弁してくださいよ⋯⋯ほんとに心ぱ⋯⋯心臓に悪いので」
「⋯⋯⋯⋯?」
危うく気持ち悪い発言をしそうになったのをギリギリで堪えたため逆に不自然になり夏愛に不思議そうな目で見上げられるが、どうやら聞き取られはしなかったらしくそれ以上は何も言われなかった。
「⋯⋯では、家までお願いいたしますね」
その直後、咲希の左手に少しひんやりとした何かが触れた。
「えっ⋯⋯?あの、神原さん、なんで手⋯⋯っ!?」
夏愛の小さな手で優しく握られた左手を見た咲希が明らかに上擦った声でそう言うと、隣の夏愛は一瞬きょとんとした顔になった後すぐに柔らかい笑顔を浮かべた。
「これならもう、迷子になる心配は無いですから」
迷子、という単語を聞いて思い出すのは二週間ほど前、夏愛と一緒にショッピングモールに行った時のことだ。
あの時は訳あって咲希の方から夏愛の腕を掴んでしまい『突然触るのはマナー違反です』と怒られてしまったが、やむを得なかったためか許してくれた。
しかし今は状況が違う。夏愛の方からこうして手を握ってくれているのだが、このまま握り返してしまえば流石に怒られるのではないだろうか。
そんなことを頭の中でぐるぐると考えていると、意図的に開かれたままの咲希の手が少しだけ強く、きゅっと握られた。
「⋯⋯私に触れられるの、嫌ですか⋯⋯?」
「っ⋯⋯それは⋯⋯」
眉尻を下げてしゅんとしてしまった夏愛に上目遣いで見上げられ、罪悪感を感じた咲希は僅かにたじろいだ。決して嫌という訳では無いが、これ以上は戻れなくなるような気がするのだ。
もう一度夏愛の方を見るが、白百合色の瞳は変わらず不安そうに揺らいでいる。
(⋯⋯何やってるんだ僕は⋯⋯!)
散々自己犠牲を語っておきながら自分の都合だけで相手の思いを蔑ろにするというのはあまりにも矛盾しているだろう。ならば今やるべきことはただひとつ。
「っ⋯⋯!」
握られた左手にそっと力を込めた瞬間、少しだけ夏愛の身体が揺れた。
もしかしたら痛かったのではないかと内心焦っていると、目を細めてやけに嬉しそうにこちらを見上げる夏愛と目が合った。
「⋯⋯河館さんの手、あったかいですね」
「ッ⋯⋯!?」
その言葉のとんでもない破壊力に、咲希の中の何かが確かに揺さぶられた。
(ああもうこの子は本当に⋯⋯ッ!!)
流石にわざとだと思いたいが、もしもこれが素なのだとしたら夏愛は天性の小悪魔だ。咲希なんて初めから手のひらの上でずっと踊らされていただけなのかもしれない。
「⋯⋯⋯⋯?」
しかし小首を傾げる夏愛を見ると、そんな最低な妄想も萎んでいってしまった。
せめて今だけは彼女を信じていたい。そう思っていると、ふいに小さな笑い声が聞こえた。
「⋯⋯河館さんはやっぱり優しいです」
その言葉に一瞬目を見開いてしまった咲希は反射的に顔を逸らす。
「⋯⋯そう⋯⋯ですかね⋯⋯」
「そうですよ。別に振り払うこともできたのにそうはしませんでしたし、この前も、今も⋯⋯ずっと私のことを気遣ってくれているというのは分かっていますから」
「⋯⋯そんな大袈裟に言わなくても⋯⋯ただ当たり前のことをしているだけです」
「当たり前のことを当たり前にできる人って案外少ないんですよ?」
「っ⋯⋯それでも、僕はそんな柄じゃ⋯⋯!」
「柄なんて関係ありません。少なくとも私は河館さんに親切にしていただいたと思っていますし、そう思われるようなことを河館さん自身がしたというのは変えようのない事実です 」
「ぅ⋯⋯」
夏愛には勝てない。そう悟った咲希は彼女の言葉を否定するのを諦め、口を閉じて受け身の態勢に入るしかなかった。
「だからもっと、自分に自信を持ってほしい──⋯⋯なんて言うのは私の我儘ですね。ごめんなさい、忘れてください」
僅かに頬を染め、照れくさそうに笑う夏愛に思わず咲希の頬が緩んだ。
「⋯⋯ありがとうございます。出来るだけ⋯⋯努力してみます」
夏愛は小さく「無理はしないでくださいね」と告げると、繋いだ手を引いてゆっくりと歩き出した。
「──⋯⋯さっくん⋯⋯⋯⋯?」
車道を挟んだ反対側の歩道にて、微笑ましく手を繋いで歩く二人の姿を目にした女性は小さくそう呟いた。




