22.夜道は怖い
「喫茶店に来てたので」
「なるほどそういう⋯⋯じゃなくて!何であんな所に立ってたのかという意味です」
危うく納得しかけたが夏愛が店に来ていたことは咲希でも流石に把握している、というか自分で接客したのだ。忘れるはずが無い。
「それは⋯⋯」
夏愛が珍しく言いにくそうに目を逸らしたことで咲希はこれ以上の追求をするかここで諦めるかの二択を迫られることとなってしまったが、よくよく考えれば言いたくないことをわざわざ言わせるのはあまり良いことではないような気がする。
咲希が一人で思い悩んでいると、意を決したらしい夏愛の方が先に口を開いた。
「⋯⋯その、お店を出る時に、都築さん⋯⋯?に『もう暗いから少しだけ店の前で待ってて』と言われて⋯⋯」
「⋯⋯なるほど⋯⋯」
何となく合点がいったような気がしたが、それでもツッコミどころは残っている。
(『待ってて』って⋯⋯客に対してなんてことを言ってるんだあの店長⋯⋯というか、多分ここまで計画通りなんだろうな⋯⋯)
やはり幼なじみというだけあってあの二人──霞と傍武はよく似ている、と普段の咲希なら思うところだが、十七時とはいえ今日は曇っているため薄暗い。
夏愛がどこに住んでいるのかは分からないが女性一人で帰るには確かに少々不安だろう。夏愛を引き止めた上で咲希を追い出した霞のことも一概には責められない。
「そういえば河館さん、眼鏡なんですね⋯⋯?」
「え?ああ⋯⋯流石に裸眼だと何も見えないのでバイト中はコンタクト着けてやってたんですけど、やっぱり眼鏡の方が落ち着くんですよね。よっぽどのことが無い限りは基本眼鏡です」
唐突な話題転換に戸惑いながらもしっかりと返答しておく。別にこの部分は言って困ることではない。
「⋯⋯そうだったんですね」
「⋯⋯⋯⋯?」
若干の含みを持ったその言葉が少し引っかかったが、わざわざ尋ねることでもないかと無言を返す。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯えっと、だから⋯⋯」
突如訪れてしまった沈黙を破ったのは夏愛の方だったが、それでもまだ迷っているらしく要領を得ない。
一方、今までの会話の流れと微妙に落ち着かない様子の夏愛を見た咲希はようやく"それ"を言う決心がついていた。
(⋯⋯ここまでやるのは初めてなんだけどな⋯⋯)
心の中で若干躊躇いつつも小さく咳払いをして告げる。
「僕で良ければご自宅までお送りしますよ」
「ほ、ほんとですかっ⋯⋯?」
「はい」
どうやら正解だったらしく、夏愛は嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
(⋯⋯本当にこれで良かったのかなぁ⋯⋯)
咲希の心の中に僅かな疑念が生まれかけるが本人が望んだことなのだから問題は無いのだと自分を説得する。どのみちもう引き返せはしない。
とはいえまずは目標地点を知らなければ色々と不都合がありそうなため、動く前にひとつ質問をしておく。
「神原さんの家ってどこにあるんですか?」
そう言った瞬間に夏愛の動きが停止し、明るかった表情が僅かに陰る。
「⋯⋯どこ、というのは?」
「場所が分からないので案内して貰おうかなと」
「⋯⋯⋯⋯、河館さん」
「はい⋯⋯?」
「⋯⋯やっぱり何でもないです」
そう言うやいなや夏愛は一人ですたすたと歩き出してしまった。
「え、ちょ、待っ⋯⋯!?」
早くも置いてけぼりにされそうになった咲希は慌てて夏愛に追いつくが、それでも待ってはくれないようで、ペースは全く落ちない。
咲希は夏愛の斜め後ろに付きながら恐る恐る声をかける。
「あの、神原さんもしかして怒ってます⋯⋯?」
「別に怒っていません。⋯⋯何でですか?」
「これ早歩き⋯⋯というか小走りくらいになってますけど」
「⋯⋯それが何か?」
「あの、速いです。あ、ちょっと、あの⋯⋯待って⋯⋯」
言ってる間にもぐんぐん加速しもはやダッシュを始めた夏愛を再び追いかける。通行人からの視線がちくちくと刺さるが今は我慢するしかない。
その直後、疾走する夏愛が脇道へと続く角を曲がった所で咲希はついに彼女を見失ってしまった。
(⋯⋯え⋯⋯?)
薄暗いとはいえここは中心街。人通りもそれなりにあるためこんなところではぐれることがあるかと思いながら辺りを見回すが、あるのは閑散とした細道だけでどこにも夏愛の姿は見当たらない。
(まさか⋯⋯)
頭を過ぎった記憶に、咲希の頬を嫌な汗が伝う。
(⋯⋯とにかく、探さないと⋯⋯)
顔を上げ、心の中の不安を振り切って足に力を込める。
とりあえず一旦大通りまで戻ろうと振り向いた瞬間、何かが横から飛び出してきた。
「わっ」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!?」
「⋯⋯あ、」
突然の声に咲希は悲鳴のような絶叫を上げながらバランスを崩して後ろに倒れ込む。
一瞬何が起きたのかが理解できずに目をぱちくりさせていると、ようやく周りの状況が見えてきた。
「ご、ごめんなさい、そんなに驚くとは思わなくて⋯⋯」
身を屈めて手を差し伸べてきたのは咲希を驚かせた張本人だった。
「⋯⋯ほんとに⋯⋯洒落にならないんでやめてください⋯⋯心臓止まるかと思いましたよ、神原さん」
ばくばくする心臓の辺りを押さえながら咲希がそう言うと、夏愛は申し訳なさそうに苦笑していた。
 




