21.GW4日目──バイトにクレームはつきもの(2)
女性客は本当に煩わしそうに、かつ自分が被害者かのように口を曲げている。
咲希は一気に湧いてきた不快感をなんとか押し留めながら口を開く。
「何と言われたんですか?」
「私は煙草吸ってただけなのに『やめなさい』って。ありえないと思わない?客に対してそんな態度」
後ろに視線を飛ばすと何も言わず歯噛みする霞の姿が目に入る。
女性客の方へ向き直り、咲希はわざとあからさまにため息をついた。
「お言葉ですがお客様、店内は禁煙となっております。入口にも表記があるはずですが⋯⋯」
一旦執事のことは忘れて普通のクレーム対応に切り替えておく。咲希は経験から知っている、こういう輩は調子に乗らせると後々めんどくさくなるのだ。
「そんなの知らないわよ。私がやりたいことをやって何が悪いの?」
「⋯⋯⋯⋯」
あまりの暴論に思わず咲希の頬が引きつる。
「⋯⋯というかそもそもこんなしょぼい店じゃ私を満足させられる訳無かったわね、ごめんなさい私ったら興味本位でこんな所に立ち寄ってしまって」
口許に手を当てて不敵に笑いながら店を馬鹿にするような発言をし始めた女性客に、バイトの咲希よりも店長である霞の方が我慢の限界を迎えそうになっていた。
「何か言ったらどうかしら?それとも何も言い返せないの?」
「っ⋯⋯!」
(まずい⋯⋯流石にもう⋯⋯ッ!)
霞どころかカウンター付近で待機していた楠木と傍武までもが動き出そうとした瞬間、ホールに誰かの声が響いた。
「あ、あの!!」
全員の動きが停止し、声のした方向へ視線を向ける。
声の主は少し離れた席で椅子から立ち上がった黒髪の少女──夏愛だった。
咲希はそんな夏愛に眉をひそめながら、もし何かあればすぐにでも対応できるように身構える。夏愛は夏愛で一気に集まった視線に狼狽えているのが目に見えて分かるが、その場にいる皆が彼女の言葉を待っていた。
「そ、その⋯⋯みんな⋯⋯見てますよ⋯⋯?」
夏愛の震えるような小さな言葉に店内を見回すと、来店していた数組の客の冷たい視線が一斉にこちらに向いた。
当然それらは全て、ルールを守らない迷惑な女性客ただ一人に集中している。
女性客は「え⋯⋯あ⋯⋯」と声にならない声を漏らしながら忙しなく首を左右に振っている。
「⋯⋯違っ⋯⋯えっと⋯⋯ご、ごめんなさい!調子にのりました⋯⋯!!」
今更自分の行動の異常さを理解したのか顔を真っ赤にした女性客は荷物とレシートを持って慌てて立ち上がり、何をするのかと思ったらそのままレジへ向かい会計を済ませてそのまま逃げるように去っていってしまった。
クレーマーが居なくなると、どうやらかなり緊張していたらしい夏愛がよろよろと椅子に崩れ落ちた。
「すごい⋯⋯」
そう言葉を零した霞が思わずといったように手を叩くと、他の客もそれに吊られて手を叩き始め、静かな店内が夏愛に対する拍手の音で包まれた。
「えっ、あの⋯⋯っ」
突然のことに困惑する夏愛に歩み寄った霞はその場に膝をついた。
「お嬢様、先程は私たちを助けて下さりありがとうございました。当執事喫茶『Trajectory』代表都築霞より、最大限の感謝を」
透き通るような凛とした声音と共に頭を下げた霞の姿に、その瞬間だけは性別問わず全員が目を奪われていた。
「つ、都築さん、顔を上げてください!私、別にそんなつもりじゃ⋯⋯」
「お嬢様は私たちのヒーローです」
霞は顔を上げ、白百合色の瞳を真っ直ぐ見つめながらそう言った。
「⋯⋯ありがとう、ございます⋯⋯」
夏愛は霞に礼を告げると顔を逸らしてしまったが、黒髪から覗くその耳は真っ赤に染まっているように見えた。
♢
「ということで河館くんは帰ってね」
「⋯⋯え?」
クレーマー騒ぎから約1時間、大活躍であり懸念点だった夏愛も帰ったらしく「あと少しで終わるー」と気を抜いていた咲希は霞から突然言い渡されたその言葉に危うく手に持っていたお盆を落としそうになってしまい慌てて指に力を込めた。
「帰ってって⋯⋯まだ十七時まで三十分くらいありますけど」
「うんそうだけど、今日は頑張ってくれて疲れてるだろうから早めに上がってほしいなって」
軽くホールを見回すが客は二組だけで咲希が居なくても問題は無さそうに思える。
「⋯⋯⋯⋯」
霞の表情にふざけている様子は無く、どうやら本当に気遣ってくれているらしい。
別に突っぱねることも出来なくはないがそれはそれで失礼になるように思うためここは大人しく従うべきだろう。
「⋯⋯わかりました、お言葉に甘えさせて頂きます。先失礼しますね」
「あ、そうだ河館くん!」
頭を下げてバックヤードに戻ろうとすると霞に呼び止められ、何だろうと思って振り返ると申し訳無さそうに顔の前で両手を合わせた霞の姿が目に入った。
「実は今日の分まだ用意出来てなくて⋯⋯ごめんね、明日絶対渡すから」
一瞬何のことか分からず間が空くが、すぐに給料のことだと思い至った。
「⋯⋯あぁ、別に気にしなくていいですよ、充分貰ってますし」
「そう言って貰えると助かるよ。ああ、もう時間無いから急がなきゃ⋯⋯じゃあまた明日!気をつけてね!」
「は、はい、お疲れ様です⋯⋯?」
何故か勢いでごり押す霞に両手で背中を押されてバックヤードまで押し込まれてしまった。
着替え等諸々の身支度を済ませ、荷物等が置いてあるロッカーから自分のバッグを取り出しながら心の中で呟く。
(⋯⋯解せぬ)
こちらを気にかけてくれているのは本当なのだろうが、何故半強制的に追い出されてしまったのか如何せん納得がいかない。
悶々とした気持ちのまま咲希が店の裏口から表通りに出た瞬間、その答えは分かった。
「⋯⋯⋯⋯神原さん⋯⋯?」
目に入ったのは何故か執事喫茶『trajectory』の前にある電柱の傍に立つ夏愛の姿。来店時に被っていたキャップとマスクは今は見当たらない。
どうやら夏愛の方も咲希の存在に気づいたらしく、てくてくとこちらに歩いてきた。
「河館さん、お仕事お疲れ様です」
「え?あの、えっと⋯⋯ありがとうございます⋯⋯?」
満面の笑みで労ってくれる夏愛に困惑しながらもなんとか言葉を返す。
「どうしてここに⋯⋯?」




