15.GW初日──お嬢の訪問(2)
「か、河館さんっ!激しすぎますっ!もっと⋯⋯ゆっくり⋯⋯っ!」
「こ、こうですか⋯⋯?」
「そうです、力を抜いて、丁寧に円を描くように⋯⋯そう、落ち着いて⋯⋯」
キッチンにて、咲希は夏愛の指導のもと再びお菓子作りに挑戦していた。
「⋯⋯ここで切るように混ぜる、ですよね?」
「正解です。河館さん本当にレシピは頭に入ってるんですね⋯⋯」
「レシピ"は"⋯⋯一応、何度もやってるので。失敗しかしてませんが」
やはり疑われていたかと思いながら軽く返すと、隣に立つ夏愛から小さな笑い声が聞こえた。
「心配しなくてもこの調子ならすぐ上手くなりますよ。少し雑ですけど、手際はすごく良いので」
「⋯⋯ありがとうございます」
お褒めの言葉に礼を言いながら目を逸らす。
(なんで一緒にやることに⋯⋯)
『私で良ければ力になりましょうか?』という夏愛の提案によりパウンドケーキの作り方を教えてもらうことになったのは良いのだが、まさか一緒にやることになるとは思っていなかった。
指導してもらえるのは有難いとはいえ相変わらず夏愛が何を考えているのか分からないためいまいち距離が掴めない。
しかも今までできるだけ意識しないようにしてきたというのに夏愛がすぐ傍に立っているせいでお菓子とは別の、爽やかな花のような甘い香りがしてきて正直つらい。女性というのは皆こんな感じなのだろうか。
様々な要因により思考がまとまらないままあとは焼くだけというところまで来てしまい慎重に型に生地を入れていると、ポケットの中のスマホが震えた。
「着信ですか?」
「あ、はい、⋯⋯すみませんちょっと出てきます」
基本的にスマホは肌身離さず持っているちょっとダメな人間である咲希は着信などの音は鳴らないように設定しているのだが、近くに居た夏愛にもそのバイブレーションの音が聞こえたらしく、一言断ってから廊下に出る。
スマホの画面に表示された名前を見て思わずエガオになった。
「もしもし?」
『もしもしサッキー!元気だったか!』
「すこぶる元気だよお陰様でな」
電話をかけてきたのは傍武だった。
『そりゃ良かった。んで早速本題な。業務連絡なんじゃけど』
業務連絡、というのは例の一件だろう。
「やっとか⋯⋯遅いんだよ毎回。いくらバイトとはいえ責任ってものがあるんだから早めに連絡し」
『はいはいごめんて。そんで、場所と概要とあと役立つ動画をさっき送っといたけんそれ見て準備しといて!シフトは五月の三四五の三日間!十一時から十七時な!んじゃ!!』
「おいちょっと待っ⋯⋯!」
言うだけ言って一方的に電話を切った傍武に、やっぱり肉を奢るのはやめようと心に決めながら届いていたメッセージと動画に目を通す。
「⋯⋯これは⋯⋯」
絶対大変なやつだ、とため息をついてキッチンに戻ると、どうやら先に進めていてくれたらしい夏愛と目が合った。
「あとは完成するまで待つだけです」
オーブンの中で焼かれているパウンドケーキが目に入る。
「⋯⋯最後任せてしまって申し訳ない」
「いえ。ここは決まった時間に設定するだけなので私がやっても河館さんがやっても変わりませんし、早めにやっておいた方が効率的でしょう?」
夏愛の言う通りであるため素直に納得し、使った調理器具を洗おうと流しに立った時再びスマホが振動した。
「またか⋯⋯」
おそらくかけ直して来たであろう傍武に心の中で悪態をつきながら乱暴に取り出したスマホの画面を見て咲希の動きが停止した。
「⋯⋯河館さん?」
心配そうに声をかけてきた夏愛にそっと笑顔を見せ、ドアノブに手をかける。
「すみません、もう一回出てきます」
そう言ってまた廊下に出ると今度はその先にある自室へ足を踏み入れる。
扉を閉めて深呼吸をし、電話に出た。
「⋯⋯もしもし──母さん」
♢
「お、美味しい⋯⋯っ!?」
一時間ほどしてようやく焼き上がったパウンドケーキを一口食べた咲希は、思わず驚愕と歓喜の言葉を漏らした。
「さすがですね。味も焼き加減も絶妙で、上手にできてますよ」
同じように一口食べた夏愛はそう賞賛してくれる。
「いや、神原さんのお陰ですよ。僕だけじゃこんなに美味しいものなんて絶対作れませんでしたし。本当にありがとうございます」
冗談抜きで今までの失敗が嘘のように思えるくらいの出来だった。夏愛には頭が上がらない。
「ふふ。そんな大袈裟に言わなくても⋯⋯。どういたしまして。これくらい当然ですよ」
そう言って優しく笑う夏愛からは静かに目を逸らした。
(一々勘違いさせるようなことはやめてほしい⋯⋯)
興味は無いが恐怖はある。自分なんかにそんな表情を見せて目的は一体何だと問い詰めたいくらいだった。
♢
「そういえば河館さん、バイトするんですか?」
お昼をご馳走になるのも悪いということで帰る支度をしていた夏愛がふとそんな質問をしてきた。
「え?」
「その、電話で話してるのが聞こえてしまって⋯⋯」
申し訳なさそうに白状する夏愛に「なるほど」と置いてから続けた。
「友人に手伝ってほしいと頼まれたので。駅前の喫茶店らしいです」
色んな部分を端折ってぼやかしているが少なくとも嘘は言っていない。
「そうなんですね。頑張ってください。あ、それと⋯⋯言うタイミングを逃してしまってたんですけど、忘れ物を見つけて頂きありがとうございました」
忘れ物、というのはお菓子作りの前に返した例の栞のことだろう。確かにあの時はなんやかんやで流れていた気がする。
「いえ、こちらこそお菓子作りを教えて頂きありがとうございました。お陰で自信が付きましたよ」
「それは良かったです。では、どうぞ」
焼き上がったパウンドケーキの半分を包んで入れた紙袋をお土産として渡すと夏愛は「良いんですか?」という目で見てきたが、一緒に作ったのだから当然のことだろう。
夏愛はしばらくその紙袋を見つめた後、再び目線をこちらに向けてきた。
「宜しければこれからも他のお菓子作りなど手伝いましょうか?」
「え?」
「河館さんは飲み込み早くて腕も良いのでできるはずです」
「いや、そうじゃなくて⋯⋯」
それはつまりまた一緒に料理をしてくれるということなのだろうか。
特に断る理由は無いのだが、理屈以外の思考の一部が拒否しようとしてくる。
「そんなことをしても神原さんにメリットがあるとは思えないんですけど」
かなり失礼なことを言っている自覚はあるがこれは本当だ。教えてもらう側の咲希と違って、教える側の夏愛が得る物は特に無いように思える。
本当は何を企んでいるのか気になってしまった。
夏愛はその質問に目を瞬かせた後、そっと言葉を漏らした。
「⋯⋯誰かと一緒に料理するのって、楽しいじゃないですか。⋯⋯私はそれだけで充分です」
その言葉に若干の違和感を感じたものの、穏やかな笑みを浮かべる夏愛にはそれ以上の追求はできなるはずがなかった。
「⋯⋯⋯⋯、ほどほどに、お願いします⋯⋯」
好意を無下にはできない、という免罪符を手に入れた咲希はそう言って少女に頭を下げた。




