13.借りは返さないと
「おったおった、おーいサッキー!」
休み明け、食堂の定位置で昼食を食べていた咲希は突然背後から聞こえた声にゆっくりと振り返った。
唐揚げ定食らしきお盆を持って立っていたのは金髪糸目の男──親友の傍武晶だった。
「おー⋯⋯ショー、元気⋯⋯?」
傍武は咲希の隣の席に腰を下ろしながら小さくため息をつく。
「こっちのセリフな。折角良いニュース持ってきたのに何辛気臭い顔しとるん」
「別に⋯⋯。良いニュースって?」
元気かどうかはさておいて、今までの経験から傍武が持ってくるニュースに期待なんてものはしていないのだがやけに話したさそうだったため仕方なく聞き返す。
「おう。こないだの食堂の一件が大学のお偉いさんにバレて、サッキーをボコボコにした三年の田中と渡辺が二週間の謹慎喰らったらしいで」
「ほう」
まさかの、というか案の定物騒な話で思わず目を細める。田中と渡辺という名前にピンとくることは無かったが、そういえばあの時そんな名前で呼び合っていたような気がしなくもない。
「ちなみにサッキーはお咎め無し。反撃⋯⋯というか抵抗すらせんかったから完全に被害者ってことになっとる」
「へぇ」
本当の被害者は入学早々変に絡まれていた夏愛であって自分ではないと思うのだが、やはり直接的な暴行を受けたという事実は大きかったようだ。
「⋯⋯てかさっきから反応薄くない?機嫌悪いんか?」
その指摘にぴくりと動いた頬を手のひらで押さえながら「悪くない」と投げやりに返答する。
「いやいやいや、嘘じゃろ絶対悪いって」
「だから⋯⋯別に何も悪くないし言うつもりもありません」
何だか面倒くさくなってきたため敬語モードに切り替えて会話を終了させようとしたのだが、傍武はいつの間にか取り出したスマホの画面を弄りながら何故かにやにやと笑っていた。
「はぁ⋯⋯⋯⋯お前最初から知ってて声かけてきただろ」
「いやなんも知らんよ?相合傘とか聞いたこともないし」
「⋯⋯⋯⋯、」
傍武が何を見ているのかなんてわざわざ聞かなくても分かる。
先週末夏愛と一緒に書店に行った日、帰り道で相合傘をしている姿を同じ大学の学生に目撃されていたらしく、そのことがウリ坊で拡散されてちょっとした噂になっているのだ。
実際咲希は今日の朝大学に来てから何人もの知らない人に声をかけられた。どうやら写真等の証拠が無いことであくまでも『噂』の範疇に収まっているらしいが、下手に情報を漏らすと噂が事実になってしまう恐れがあったため受け答えをする間ずっと神経を使い続けるはめになったという裏話がある。
だから今咲希は死にかけと言っていいほど疲弊していた。
「それにしてもまさかサッキーがなぁ⋯⋯てか相手があの難攻不落の要塞少女こと神原お嬢とは、お主中々やりおるな」
「おい待て勝手に話を進めるなあれは僕が傘を忘れたから貸してくれてただけであって決してお互い他意があった訳では無いぞ!?」
傍武のとんでもない誤解に疲れなんて全て忘れて全力で否定する。
夏愛はこんな地味な眼鏡と勝手にくっつけられるのは嫌だろうし、こちらとしても出来るだけ目立つのは避けたい。
「ふーん違うんか⋯⋯まぁええけど。サッキーにはそんな度胸無いし、最初からどうせ根も葉もない噂だと思っとったけん」
「⋯⋯泣いていいか?いや事実だけども」
飄々としている、と表現すべきだろうか。言っていることが本当なのか嘘なのか微妙に判断しにくいのが傍武の厄介なところだ。
「んで本題」
「今までのは前置きかよ⋯⋯僕早く麻婆丼の続き食べたいんだけど──ってああっ!?おい馬鹿やめろ麻婆に唐揚げを投入するな!」
半分ほど残っていた麻婆丼に3個の唐揚げがダイブし徐々に沈んでいく。
「これが前払いの分な」
意味不明な発言をした傍武だったが食べ物の恨みによる咲希の鋭い視線に口を尖らせると、代わりに素早く手を伸ばした。
「ぐふっ!!」
何故か脇腹に指を突き刺された咲希は小さく呻く。当然ふざけているだけなので痛いということは無かったのだが、それにより一瞬正気に戻った咲希は再び傍武の方に視線を向ける。
「何だよもう⋯⋯」
「頼みがあるんよ。唐揚げあげたんじゃけん受けてくれるよな?」
「まず内容は?どんな頼みかも分からず受けられる訳ないだろ」
そう告げると傍武の目が一瞬だけ泳いだ。
「⋯⋯まぁそれもそうじゃな。端的に言えば知り合いの店を手伝ってほしい。どうせゴールデンウィーク暇じゃろ?期間中だけの短期バイトでええけん」
ゴールデンウィーク、という言葉で思い出した。そういえば4月も最終週でもうすぐ5月になるのだ。実際特に予定も無いため暇と言えば暇である。
「⋯⋯確かに暇だけどさ⋯⋯バイトって?」
「おう。丁度一人足りんかったけん困っとったんよ。条件に合う人が中々おらんでなぁ⋯⋯」
条件、というのがどんなものなのかは分からないが、傍武の遠い目を見ればそれなりに厳しいものだということは察した。
「店って、何の店?」
先程の説明では分からなかったことであり、当然の質問のはずなのだが傍武は何故か難しい表情を浮かべていた。
「サッキーの得意な接客業なんじゃけど⋯⋯」
「けど?」
「若干特殊だから若干苦労するかもしれんって若干思った」
「若干多いなおい」
明らかなボケにツッこみつつ思考する。珍しく歯切れの悪い傍武の言葉がやけに引っかかる、というか微妙に内容をぼかしているような気がするため受けたら面倒なことが起きる予感しかしない。ここはやはり⋯⋯。
「⋯⋯いや、今回は遠り」
「こないだの貸しってまだ返して貰ってないよな?」
貸し、というのはこの前の食堂の一件のことだろう。満面の笑みで遮るようにそう告げた傍武に、それを言われると抵抗できない咲希は苦い顔を浮かべて仕方なく頷いた。
「⋯⋯分かった、これでチャラだぞ」
「よっしゃ!!助かったサッキー!」
抱きついてこようとする金髪糸目をなんとか押しのけながら視線を別の場所に向ける。
そこには人だかり──正確には学生に囲まれた夏愛がいた。あっちはあっちで尋問を受けているらしく、彼女の圧倒的な人気を失念して一緒に外出してしまった咲希は心の中で土下座する。
しばらく眺めていると偶然人だかりの僅かな隙間から夏愛と目が合ってしまい思わず顔ごと目を逸らすと、その様子を見ていた傍武は呆れたように言った。
「やーっぱなんかあったよなぁ⋯⋯?」
「⋯⋯だから何も無いって何度も言ってるだろ」
「そんなに視線で追っかけとるのに?」
その指摘にぐ、と言葉を詰まらせる。実際、無意識的ではあるが何となく夏愛の方を見てしまっているというのは自覚していた。
これは意味深な行動と言動を繰り返してきた夏愛のせいだと思いたいのだが、真意が分からない以上咲希はただ悶々とすることしかできない。
「──そんなに心配なら信用できるやつ着けとくか?多分サッキーの願いなら快く引き受けてくれると思うで」
その申し出に一瞬だけ眉を寄せた咲希はため息をついてから小さく呟いた。
「⋯⋯申し出は有難いけど、必要ない。邪推されて噂になっても困るし、何より本人が知らない所で監視され続けるのはいくら悪意が無くても嫌だと思う」
確かに傍武たちの力を借りられれば百人力だ。彼らの実力は咲希も多少は知っている。
しかしそんな人達の力を借りてしまうとまだ入学したばかりの夏愛の大学生活に悪影響を及ぼしてしまう可能性があるし、それが原因で変な繋がりを疑われでもしたら土下座では済まされない。
「そうか。分かった」
気分を害すでもなく素直に納得した傍武はほとんど無くなった唐揚げとご飯をかき込むと手を合わせて「ご馳走様」と告げて立ち上がった。
「あ、そうじゃ」
去り際に背後から肩に手を置いてきた傍武は背中を向けたまま咲希にだけ聞こえるような小さな声で言った。
「⋯⋯咲希にとってあの子がどういう存在なのかは知らんが、別に責任を持てとまでは言わない。ただ無理はするな。キツくなったらいつでも頼れ」
「っ」
その言葉に思わず後ろを振り返ろうとしたのを途中でやめ、窓越しに見える外の景色を眺めながら静かに頷いた。
「⋯⋯分かってる。昔みたいにはならないよ」
間違ってもあの頃のようにはならない。あんなことをしても無意味だというのはもう学んだ。
傍武は咲希の返答に満足したのか、こちらを向いて笑顔で親指を立てた。
「まぁそれは置いといて、サッキーなんかと噂にされとる神原お嬢には土下座しとけよ!!」
「⋯⋯おい⋯⋯」




