10.見抜かれた隠し事
簡単なお茶会の時間を過ごしていた時、恐れていたことは起こった。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯どうかしました?」
咲希がロールケーキを食べていた時、やけにこちらの手元を見てくる夏愛にそう尋ねてみると、視線がぱちりとぶつかる。
「あ、いえ、河館さんは左手も器用なんだなって思って」
「まぁ、それなりに練習してるので」
「⋯⋯練習?」
フォークを持っていた左手の動きが止まる。何も考えずに反射的に返答してしまったのだが、既に夏愛の視線はこちらの右手辺りに向いている。
(⋯⋯しまったなぁ)
そういえば言い回しが少しおかしかったなと今更後悔するが時すでに遅し。ほんのり眉を寄せた夏愛から予想通りの言葉が放たれる。
「⋯⋯河館さん、右手、袖捲ってみてもらってもいいですか?」
夏愛から目を逸らしながらなんとか声を絞り出す。
「⋯⋯⋯⋯嫌だって言ったら⋯⋯⋯⋯?」
「力ずくで捲ります。押し倒して動けなくしてから捲ります」
「いや、押し倒すって⋯⋯」
あまりそういう事を男に言うものじゃない、と言いたいのを堪えながらこっそりと右腕を背中の陰に隠して考える。
(どうすれば切り抜けられる⋯⋯?)
このまま大人しく夏愛の言う通りにすればまた面倒なことになるのは明白だ。しかしはぐらかしたとしても実力行使に出ると言われてしまっている。
もう一度夏愛の方を盗み見ると、こちらをじっと見つめる綺麗な白百合色の瞳に貫かれてしまった。
大人しく従い迷惑をかけるか拒否して押し倒されて迷惑をかけるか。
咲希的にはDead or Dieで絶望的なのだが、こうなっては比較的被害の少ない前者を選ぶしかないだろう。
「⋯⋯分かりましたよ。⋯⋯⋯⋯これでいいですか?」
覚悟を決め、肩の高さまで上げた右手の袖を捲る。
露わになったのは当然太くも細くも無い至って普通の男の腕だったが、その手首にはベージュ色の何かが貼られている。他でもない、湿布だ。
「その手首⋯⋯⋯⋯」
「それ以上は言わなくていいです。僕が勝手に捻っただけなので神原さんは関係ありません」
おそらく余計な心配をさせてしまったであろう夏愛の方を直視できずに自らの右手に視線を集中させる咲希は苦笑を浮かべた。
「⋯⋯ごめんなさい」
消え入りそうなほど小さな声に思わず夏愛の方を見ると、俯いた少女の姿が目に入る。
咲希は夏愛に気づかれないように小さく息を吐いて左手を後頭部に当てた。
(こういう所は鋭いんだよな⋯⋯)
実際、原因は数日前の一件で間違い無いのだが、動かすのを躊躇うくらいまで悪化したのはしばらく放置していた咲希の責任であって夏愛は何も悪くない。
「だから謝らないでいいって⋯⋯⋯⋯というか、いつから気づいてたんですか?」
咲希自身全く気にしていなかったため夏愛の謝罪に何と返すか迷ったが、結局若干話を逸らすことしかできなかった。あまり褒められはしない方法だが、女性を慰められる上手い言葉をかけられるほど自分は聖人ではないことを理解している咲希は今までもこうしてきた。
「⋯⋯それは」
夏愛は夏愛で質問にどう答えるべきか迷っているようだが、意識を逸らすこと自体は成功したらしい。
それに、咲希的にはかなり上手く隠していたつもりだったのものを夏愛がどう見破ったのかが単純に気になっていた。今後似たようなことが起きた時のためにも聞いておきたい。
「⋯⋯最初は気のせいだと思ってたんです。左手で私の手を引いたり、本を取ったり、傘を持ったり。フォークを左手で持つのもただ左利きなだけかなとも思いましたが、他の場面であまりにも右手を使っていなさすぎる──まるで意図的に庇っているように見えました」
いきなりの核心をついた発言に流石にあからさますぎたかと歯噛みするが、夏愛の言葉にはまだ続きがあった。
「⋯⋯というのは嘘でただ何となくカマかけてみただけです」
「⋯⋯⋯⋯へ」
まさかの当てずっぽうだったことが判明し、返答次第では普通に誤魔化せていたかもしれないということに気づいて心の中で泣いた。
「⋯⋯手首、大丈夫ですか?」
「まぁもうほとんど痛く無いですし気にすることじゃ無いですよ」
軽く手を叩きながら賞賛、否、降参する。
しかし夏愛の表情は固かった。
「嘘、ですよね。痛くないなら庇いません」
「っ⋯⋯」
「それに湿布の貼り方が下手です」
「うっ」
いきなり言葉の棘に貫かれてしまったが、悪意は無いだろうしその通りのため悪く言うこともできない。
「救急箱ってありますか?無ければ湿布だけでも」
「ありますけど⋯⋯ホントにほっとけば勝手に治るので大丈夫ですよ」
「ダメです。ちゃんと処置しないと」
もはや頬を膨らませながらお説教をしだした夏愛を見ていると、自然と笑みが零れてしまった。
「な、笑ってる場合じゃありませんよ⋯⋯!」
「いやその、申し訳ない、、、救急箱取ってきますね」
立ち上がり、リビングの棚にある救急箱を目指してその場から逃げるように移動する。
(⋯⋯⋯⋯やり辛い⋯⋯)
夏愛に背中を向ける形で棚の前に立った咲希は、額に手を当てながら深呼吸をして心を落ち着かせていた。
何度も言うが一々距離が近い。理由は分からないが信用されている、というのは間違いないと思うのだが、必要以上に親身になられるとどう接していいのか分からなくなる。
(女性の扱いが分からない)
こういう時に助けとなる知識が無いというのは悲しいことであり、同時に仕方の無いことでもあった。
「河館さん、救急箱ありました?」
「は、はい、ありました!」
動かない咲希を不審に思ったのか声をかけてきた夏愛に返事をしてから救急箱を持ってソファ前まで戻る。
「こっち来てください」
「⋯⋯はい」
手招きする夏愛の方へ移動し、腰を下ろす。
「では、治療を始めます。と言っても湿布を貼り直すだけなんですけどね」
夏愛に変わった様子は無い。先程の葛藤は上手く隠せているらしい。
「お願いします」
咲希はまず自分で貼った湿布を剥がし、消毒液とガーゼで手首を拭いてから腕を差し出した。昨日一昨日はもっと酷かった気がするのだが、今は外見は普通に見える。
「失礼します」
夏愛のほっそりとした指が咲希の腕に触れる。軽い触診だろうか。
(⋯⋯⋯⋯つめたい)
夏愛は体温が少し低いのか、腕に触れる指はひんやりとしていた。それが手首をもみもみするのだから何というか変な感覚がする。
「⋯⋯おそらく軽い捻挫でしょうね。冷やして数日間安静にしておけば治ると思います」
そう言いながら夏愛は手際よく湿布を貼り直していく。
「詳しいんですね」
「⋯⋯ただの予備知識です」
「なるほど」
それなら頼もしい。
湿布を貼り終わった後、言われた通り軽く手首を動かしていると夏愛は微妙に不安そうな顔を浮かべていた。
「剥がれそうですね⋯⋯固定用のサポーターみたいなのってありますか?」
「サポーター⋯⋯無いですね⋯⋯」
「ふむ⋯⋯じゃあ包帯で留めましょう」
救急箱から包帯を取り出した夏愛はそれを咲希の手首に巻いていく。
「きつくないですか?」
「大丈夫です」
手の平まで巻くと邪魔になるということで手首だけにしてもらったのだが、夏愛の手際があまりにも良すぎてつい見とれてしまう。
訳あって咲希もそれなりに応急手当の知識は持っているのだが、触診で怪我の程度が分かり、かつ的確に処置できる夏愛の知識と技術は常人を超えている気がする。
(凄いなぁ⋯⋯)
単純に尊敬していると、キュッという音と共に手首が僅かに絞まった。
「⋯⋯できました。少なくとも今日一日は動かさないでくださいね。お風呂に入る時はタオルを巻くなどして極力濡れないように」
「は、はい、ありがとうございます」
完成した手首は包帯で見えなくなっているが、自分でやった時とは比べ物にならないほどのフィット感を感じるのは血管を圧迫しない程度に縛られた包帯のお陰らしい。これならすぐに治りそうだ。
「怪我した日から結構経ってますし、明日になってもまだ痛むようなら早めに病院に行ってください」
「はい」
「無理しちゃダメですからね」
「⋯⋯分かってます」
最後に釘を刺され微妙に視線が泳ぐが、これはもう性みたいなものだから確約はできない。
夏愛の前に座ったまま自らの右手を眺めていると、疑問に思っていたことがつい口から漏れてしまった。
「⋯⋯神原さんはどうして僕なんかのためにここまでしてくれるんですか?普通知り合ったばかりの男にはこんなことしないものだと思うんですけど」
目は合わせず、あくまで独り言のふりをしておく。言いたくなければ聞き流してくれればそれでいい。
「⋯⋯⋯⋯、」
夏愛は軽く腕を組んで一瞬迷うような素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「⋯⋯結論から言ってしまえば、私が河館さんを信用しているからです」




