55日目 マスク(N95)
持ち上げられた感覚で目が覚めた。
ぐわっと引っつかまれた俺は弾みで目を開く。
つるつるとした床の上を歩く、青いツナギのような服(ただし半袖)(医師がよく着てるやつ)を着た女性が、きりりと引き締めた紅色の唇の前に俺を持っていく。
彼女は、俺を開くと、自分の鼻と口の前に密着させた。俺の手……じゃない、紐を頭の後ろに回し、俺を顔に固定する。
……何のプレイだって話だな、こうやって言葉にしてみると。俺の主観では、俺が彼女の顔面に抱きついているような格好だけれど。
彼女は、手洗い場の鏡の前で自分の姿を確認した。
俺の視界は外側についているらしく、自分の姿をはっきりと確認することができた。
彼女の鼻と口は、ふつうより分厚い、ごっついマスクで覆われていた。
◇ ◇ ◇
医師の彼女の目線――口線?から、病院の様子を観察し――ようと、思ったのだけれど。彼女はどこからかもう一枚、今度はふつうのマスクを取り出し、俺の上に被せてしまう。なんで二重にするねん。
こうなってしまっては何も見えない。幸い聴覚は生きているので、俺はこっちに集中することにした。ここはどうやら救急患者が担ぎ込まれてくるスペースらしい。「救急車入りまーす」という声が聞こえた。
「発熱あるから、フルで。コビッド採取もお願いしていい?」
「準備してあります」
「さっすがー。じゃあ俺カルテ書くよ」
男性の声と女性の声。女性の声はめちゃくちゃ近くで――唾液が飛びそうなくらい近くから聞こえてくる感覚があるから、まず間違いなく俺を装着している彼女の声だ。
「こちらお願いします!」
自動ドアが開き、がらがらと地面をキャスターが転がる音に反応して、彼女は呼び声を上げる。
そのまま患者の名を呼び、診察をはじめた。
◇ ◇ ◇
この患者は大したことなかったらしい。
てきぱきと対応を一段落させると、彼女はスタッフルームのようなところに戻ってきて、まずは俺の前にかかったマスクを外す。ペットボトルとコンビニのレジ袋と本が積み重なったデスクが見えた。ついで俺も取り払われる。そのまま捨てられるのかと思いきや――ポケットから取り出したポリ袋に、俺はしまわれた。
えっ。再利用するんだ。
この日――俺は、5回着用され、5回ポリ袋に戻された。




