42日目 風が吹いて売れた桶
「おう助さん、どうした?」
「桶が壊れっちまってなあ。商売あがったりだい」
「あんた商売してないだろうに」
「ちぇっ、バレちゃあ仕方ねえ」
威勢のいい会話を聞いて目が覚めた。
「にしても、最近は桶がよく売れるなあ」
「そうかい?」
持ち上げられた。俺、桶なんかい。神様殴るのは今日も無理だな。
「おうよ。向こうの次郎も鼠の奴に囓られたってついおとついに買いに来たぜ」
「こりゃたまげた」
「どうした兄弟」
「うちのも鼠にやられたんだ。ほい、お代」
「なんだって? ほれ、釣りだよ」
この時代の通貨単位ってなんなんだっけ。両? 文?
ま、俺はわかったところでどうせ売られるだけの桶ですけど。まな板の鯉、商店の桶。
「あんがとよ。にしても……鼠、増えてんのかい? そんな急に増えるなんてことあんのか?
「増えてんのよ」
「……あんた、何か知ってるな?」
「おうよ」
商売をしている方の兄ちゃんが、にやっと笑う。
「教えてくれよ」
「おう兄弟、考えてもみろ。鼠が増えるなんて、理由は一つしかねえ」
「……なんだ?」
「猫だよ。猫が減ったんだ」
「そういや最近タマの野郎を見ねえな」
「猫が減ったら、当然鼠にとっては天国ってわけだ。ちょろちょろ走り回ったって食べられることがねえ」
「ほう」
あれ、俺、この話知ってる気がする。桶だもん。
「じゃあ次だ。どうして猫は減った?」
「どうしてって、くたばるから死ぬんだろう」
「そう、くたばったんだ。でもよ、たくさんの猫が一斉にくたばるなんて、普通は考えられねえ」
確か次は――
俺がそう考えた瞬間、通りの向こうで「♪ボロン」という音がした。
店の兄ちゃんが、顎でそっちを指す。
さっきより少しだけ声を落として、続ける。
「三味線だよ。三味線にはな、猫の皮を張るんだ。知ってたか?」
「……おい、まさか。タマは……?」
「お生憎様」
「許せねえ……」
肩を回し始める助さんを、店主が押しとどめる。
「おい待て待て、まだ終わっちゃいねえ」
「どういうことだい?」
「つまりな、猫が減ったっちゅーことはたくさんの三味線が作られたっちゅーことだが……どうして、三味線を欲しがる人が増えたと思う?」
「三味線弾きっつったら相場が決まってらあ」
「めくらだ」
「でもよう、どうしてそんなに急にめくらが増えたんだい?」
「そこは俺もすっきりしねえと思ってたんだが、ついさっき思い至ったんだよ。一月前。なんか普段と違うことがなかったかい?」
「一月前……風が強かったことしか……」
「それだよ」
「なんだってい」
「風が吹いて、砂埃が目に入った奴らの目が悪くなったんだよ」
俺は、この話を知っている。
「すると……」
男が唾液をごくりと飲み込む。
「目が見えなくなった者どもは三味線を弾き始める。足りなくなる」
「三味線には猫の皮を張るから、猫が減る」
「すると鼠が増える」
「増えた鼠がうちの桶を囓る」
「てなわけで、最後にはうちが儲かるってわけだ」
この一連の話を、「風が吹けば桶屋が儲かる」という。




