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空色の告死天使<アズライール>  作者: 柊らみ子
第三章・欠けて弾かれ廻る歯車

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32・母親

 ぱぁんと景気の良い音が響き、二人の青年の間で大きな赤と黒の花が咲いた。顔を半分以上吹き飛ばされ、ぼたぼたと肉片とも体液ともわからぬものをこぼしながらも、『母さん』だったものは首をかくんと後ろに曲げ、残った銀色に霞む左目を息子へと向ける。


「……こんナ、ことシか……でキナカった、ね……」


 許してね、許してね、と血と瘴気を一緒に溢れさせながら、うわ言のように続けるそれを、レイモンドは微動だにせずに見つめていた。そのあいだにも、やせ細った身体は崩れながら膝をつき、衝動でなんとかはまっていた眼球もころりと床に落ちる。

 動けずにいたのは、ウィルも同じだった。彼は、()()()()()()()()()にまだ指をかけている状態であり、目の前でいったいなにが起こっているのか把握できずにいる。


「撃つ覚悟ができないなら武器を持つな。あたしは、そう教えたわよね」


 カツン、と硬質な靴音とともに、冷ややかな言葉が降ってくる。久しぶりに聞くその声に、ウィルはなんの感情も乗らない単調な声音でぽつりと言った。


「……母さん。なにしに、きたんですか」

「ダーリンの通信を聞いて戻ってきたのよ。世界中ひどいもんだけど、()()が一番ひっどいわ」

「奇遇ですね。僕も、そう思います」


 母親――イザベラ・コナーを振り返ることもなく。

 ウィルの瞳は、眼前の二人に釘付けだった。動かないレイモンドと、声のような音のような空気の混じった言葉を発するたびに崩れていく、不完全な魔人。人であることをやめさせたものと、人であることをやめさせられたもの。

 一線を越えてしまった友人と、それでも守ろうとした母親。レイモンドが、取り戻そうとしたもの。

 人生の歯車は、いったいどこで狂ってしまったのだろうか。


「……かあ、さん?」


 抑揚のない、掠れた声が聞こえた。レイモンドは、それが自分の声だと気付くこともなく。崩れ落ちた母だったものの残骸を見下ろし、ぱちぱちと瞬きをする。


「かあさん」


 とさり、とちからの抜けた膝が地に落ちる。転がっている(しろがね)を震える両手でそっと包み込み、ゆるりと辺りを見回した。黒く残っている魔人の身体だったものは、次第に瘴気に姿を変え、空気に紛れて消えていく。


「……ダメだ。ダメだよ、母さん」


 (しろがね)をポケットに突っ込み、レイモンドは必死に黒いものをかき集めようと両手を動かす。膝も腕も瘴気にまみれながら、消えていく残骸を止めようとする。


「どうして。どうしてだよ! やっと優しくなってくれたのに、俺の知ってる母さんに戻ってくれたのに! なんで……ッ!」


 俺の知ってる、母さん。

 そんなはずは、決してないのに。

 気付けた、はずだ。

 幼馴染の虚しくも激しい慟哭が、ウィルの胸を貫いていく。


「嫌だ……! 置いていかないで……かあさん」


 かき集めた残骸が、抱きしめたどろりと黒い物体が、腕の、両手の隙間からこぼれ出てゆく。血も、骨も、肉も、空気に触れたそばから瘴気に姿を変え、上へとのぼって行く。そこに、人間だった頃の名残りは存在しない。浄化されることもなく、ただ空気に混じり霧散して見えなくなっていく。人として生をうけながら、魔人としてなにも残さず消えていく。


 ここに、空色の少女がいたならば。

 彼女には、なにが見えたのだろうか。

 元の、人の魂か。それとも、魔に穢された魂か。

 彼女ならば。

 救いを、与えられただろうか。

 ぼおっと、詮無いことを考える。


 立ちのぼるものがなくなっても、レイモンドはうずくまったまま動かなかった。かき抱いた両腕の中にはなにも残っていないというのに、突っ伏したまま声もない。

 ぽん、と背中を押され、バランスを崩して一歩足を踏み出す。怪訝な顔で振り返ると、イザベラが鮮やかなアメジストの双眸で見つめている。


「話せるときにちゃんと話しておかないと、後悔するでしょ?」

「……そう、ですね」


 まるで、いま現在自身の胸の内にある後悔を見透かされたようだ。ウィルは一度逡巡し、ちからのない言葉を返す。

 だが。

 こんな状態の彼に、いったいなにを話せばいいのだろう。なんと声をかけたら良いのだろう。自分の声など、いまの幼馴染に届くのだろうか。

 ず、と小さな音がして反射的に顔をあげる。のろのろと起き上がったレイモンドの、疲れ切った瞳と視線が交わった。


「……レイ、モンド」


 その視線に刺すような鋭いものが含まれていたような気がして、ウィルは息を呑む。かろうじて口にできたのは、彼の名前だけだった。

 レイモンドはすぐにウィルから目を逸らし、自分の両手をじっくりと見つめた。魔人の残骸は跡形もなく、埃で汚れているだけの両手を。なんども瞬きをして、そこに自分が望んでいるものがないことがわかったのだろう。両手をだらりと身体の横におろし、俯いたまま小さく息をつくとおもむろに口を開いた。


「……ずるいと思ったんだ。コナー家に生まれた時点で、望まれることが決まってるウィルさんが。『なんで自分が?』って顔をしているウィルさんを見て、あのとき心の底からずるいと思った。だから」


 まぶたを上げながらゆぅるりと向けた視線には、動きに反して強い光がともっていた。見たことのない幼馴染の顔に一瞬気圧され、ウィルは口を紡ぐ。


「少しだけ、意地悪をしたくなった。わがままを言ってみたくなった。困らせてやりたくなった。でも結局、困ったのは俺のほうで、後悔しか残らなかったけど」

「……なんの、話です?」


 やっと割り込めたウィルの困惑した声を聞き、レイモンドはうっすらとちからのない笑みを浮かべた。瞳にともっていた強い光もなりを潜める。


「ウィルさんが聞いてきたんじゃないですか。あのときの、ケンカの理由。ただのわがままだったって言ってるんですよ」

「いまさら、ですね」

「そう、いまさら。理由なんて、全然大したことじゃない。でも、真実なんて結局みんな、そんなもんなんじゃないのかな」


 憑き物が落ちたかのような、いやにすっきりとした顔でレイモンドは息を吐く。


「全然、大したことじゃないんだ。母さんは、父さんが中央(セントラル)に行ってから、家にほとんど戻ってこなくなったのが寂しかっただけ。研究に熱中したら、まわりが見えなくなる人だって知ってたはずなのに。寂しかったからいらいらして、俺に当たるようになった。最初は、そんな些細な理由だったんだ」

「あなたは、すべて、わかっていて――」


 息を呑んだウィルに、レイモンドは首を横に振ってみせる。


「残念ながら、気付いたのはかなり後。だって、当時は子供ですよ? 母親に叩かれることが怖くないわけがない。しばらく経って、あの人が夜中に泣いているのを見たんです。中央(セントラル)に越しても、父さんが帰ってこなかったら寂しい、近くにいたいけど、近くにいればそれだけ寂しさが増す。自分でも、どうしたら良いのかわからないって、一人ぼっちで声を殺して」


 ああ、とウィルは心中で深いため息をもらす。

 心の弱い人だったのだ。

 間違っていると理解はしていても、寂しさをどこにぶつけたら良いのかわからず、耐えることもできず。

 溢れた感情は、幼い息子に向かった。それが、良くないことだと知りながら。

 どうしようもない感情と理性の狭間で揺れ動き――結果、彼女は壊れてしまった。


「わかっていても、俺にだって限界はある。どうして自分がはけ口にならなきゃいけないのか、どうして俺は我慢してなきゃいけないのかってさ。それでふと――母さんは、寂しくて病気になっちゃったんだって、考えてみたんだ。寂しくて、ひとでなしって魔物に憑りつかれちゃったんだってね。そう考えてみたら、母さんが哀れに見えた。俺が治してやらなきゃって」


 俺もそのとき、壊れたんだよ、とレイモンドは穏やかに言う。


「凄く、気が楽になった。母さんを元に戻すという理由のためには、なにをやっても許されるって気がした。いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()って思いこむことで、自分自身を正当化したんだ。そうじゃなきゃ、やっていられなかった」


 穏やかな笑みに影が落ちる。


「もちろん、どこかでは気付いてたんだ。魔人に居場所なんてないってことに。自我があろうがなかろうが、魔人なんて誰も受け入れてくれないってことに。それでも、俺は」


 母さんが、好きだったから。


「嫌いになれれば、楽だったんだ。一生懸命、嫌いになる努力をしたし、離れてみようとも思った。……だけど」


 滔々と話し続けていたレイモンドだったが、初めて躊躇うように言葉を切った。視線が頼りなく宙を泳ぎ、自分の両手をちらりと見て小さくうなづく。


「離れられなかった。……エリーさんを、一人にしないって約束したから」

「……エリーと、約束?」


 そういえば、テオも言っていた。レイモンドを雇ったのは、エリーのためだと。


「わがままを言って困ったのは、俺のほうだって言っただろう? 本当は、中央(セントラル)に――父さんのところにでも行こうかと思っていたんだけど、エリーさんに言われたんだ。俺まで、いなくならないでくれって」


 ――レイまで、いなくならないよね? また三人で、遊べるよね?


 思い出したのか、レイモンドは柔和な顔をくしゃりと歪ませて、困ったように笑った。


「初めて、望まれた気がしたんだ。ここにいてもいいって、一緒にいて欲しいって。たとえそれが、ウィルさんやメビウス君の代わりだとしても、素直に嬉しかった。だから、約束したんだ」

「代わりだなどと、エリーは思っていないと思いますが」

「エリーさんは、優しいから。俺は、メビウス君のように憧れにはなれないし、ウィルさんのように家族にもなれない。でも、一人がどれだけ寂しいかだけは、知ってるから」

「エリーは、レイモンドにそばにいて欲しかったんですよ。決して誰かの代わりじゃない、あなたにいて欲しかった。いまだって、そう思っているでしょう」


 だから。

 帰りましょう、とウィルは手を差し出す。レイモンドはその手を一瞥すると、背後のイザベラに視線を向けた。


「……やっぱり、羨ましいよ、ウィルさん。俺の家族は、いったいどうして壊れちゃったのかなあ」


 壊れた檻を眺め。母親が倒れた床を、ぼおっと無気力な瞳で見つめた。なにも残っていない、髪の毛一本、衣服すら残っていない床の上を。

 唯一残ったものは。

 別のものを取り出そうとしてポケットに手を突っ込み、指先がそれに当たる。爪にこつんと小さな音を響かせたそれを、指でくるりと撫でるとレイモンドは顔を上げた。


「ウィルさんの質問に答えたのは、懺悔のつもりです。俺一人で持っていくのは、ちょっと重たかったから」


 ポケットから、目的のものを取り出す。


「……行くな、レイ!」


 レイモンドが指に挟んだ小さな紙片を見て、ウィルは友の名前を叫んだ。それは、メビウスに持たせるために自分がよく扱っている魔法道具(マジックアイテム)だったからだ。

 転移陣が封じられた四つ折りの紙を開こうとして、レイモンドは一瞬、瞳を見開いてウィルを見る。寄せられた眉とは反対に、眼鏡の奥では泣きそうなほど目を細めている幼馴染を映して、レイモンドはくしゃり、と顔を歪ませた。


「うん。ありがとう、ウィルさん」


 ――ありがとうとは、一体どんな意味なのか。

 考える前に、足を動かしていた。みじかな起動の言葉が聞こえ、はらりと紙が落ちて仄かに発光を始める。転移の光に包まれるレイモンドに向かい、精一杯手を伸ばす。


「行くな! エリーとの、約束は――!」


 光の壁の向こうで、レイモンドがかすかに口を動かした。淡い残滓と苦い後悔だけを置いて、転移の光は泣き笑いの顔のまま、レイモンドとともに消える。

 また。

 届かなかった。

 だけど。

 伸ばした手をおろし、固く拳を握りしめる。しかしそれは、怒りのためではない。ウィルの、意思の表れだ。


 ――たすけて。


 消える間際、レイモンドの口はそう動いたように見えた。彼は今度こそ明確に幼馴染に助けを求め、そしてウィルも今度こそレイモンドのサインを受け取ることに成功したのだ。


「……プロフェッサー」


 レイモンドが出会ったという人物の名前を呟く。否。それは、名前ではない。ウィルが出会ってきた上位の魔族たちは、それぞれを役職で呼んでいた。


「その名前、中央(セントラル)でなんどか聞いたわね。でも、いまあそこに乗り込むのは得策じゃないわねえ」

「どうしてです。理由は、ちゃんと説明できる理由があるんですか?」


 珍しく気色ばんだ様子で突っかかるウィルを見、イザベラは黒い前髪をかきあげた。


「一つ。アンタの頭に血が上っちゃってること。一つ。なにがあっても対処できる覚悟ができていないこと。一つ。あの子がいまどこへ行ったのかはっきりしないこと。一つ。中央(セントラル)の状態をなに一つ知らないこと。一つ――」

「はいはいわかりました。もうじゅうぶんです」


 淡々と指を上げて理由を述べていくイザベラに、ウィルはもろ手をあげて降参の意を示した。そもそも、この母親が得策ではないと言い切る以上、それだけの理由があるのは明白なのだ。エリーがデア=マキナを守る別動隊であるなら、イザベラは個人で世界を飛び回る遊撃隊だ。副組合長(サブマスター)の地位もあるため、地方から情報を集めやすい。


「で。なんで帰ってきたんですか」

「だから、ダーリンの通信を聞いてね。一度、戻ったほうがいいかと思ったのよ。確かに、魔族とあたしたちはいま戦争してるわけじゃないから、戦わない方向に持っていきたいってのもまあ、わかるんだけど」


 鮮やかなアメジストの瞳は、壊れた檻を見つめている。口にしなくとも、言いたいことは明らかだ。


「……害のない、意思の疎通ができる魔人との共存も認められないのに? まったく、夢か幻みたいなことを簡単に言ってくれますよ、坊ちゃんは」


 母が言わなかったことをあえて口にする。言葉にして、心に刻みつける。


「でもこれで、僕にも目的ができました。坊ちゃんにただついていくだけじゃない、僕だけの目的が」

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