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空色の告死天使<アズライール>  作者: 柊らみ子
第三章・欠けて弾かれ廻る歯車

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29・ゆらぎ

 ――貴様はあの娘の正体を知ってなお、守るというのかね?


 いつかの、ジェネラルの言葉が思い出された。答えはもちろん決まっている。今でも答えは変わっていない。

 否。

 変わることなど、ない。

 例え、さきほどの言葉がどういう意味を持っていたとしても。


 巨大なムカデの様に立ち上がった成れの果ては、地面にくっついている人間を踏み潰すべく不揃いなたくさんの足をべたべたと振り下ろした。防護陣にひびが入るのを見、ルシオラは陣を解除した。波のようにうねりながら降ってくる足を片っ端から斬り飛ばし、メビウスはソラの手を引いて巨体のしたから逃れる。


「ソラちゃん、ルシオラのところに行って。オレがくい止めてる間に、ソラちゃんはソラちゃんができることを思い出して」

「わたしも一緒に戦う。怪我だってまだ――!」

「気持ちは、嬉しい。でも、こいつをどうにか出来るのはソラちゃんだけだ。戦って倒せるならいいけど、そうじゃないんだろ?」


 しつこく追ってくる足をまとめて斬り落とし、メビウスはへらっと笑う。


「それにオレ、天使のソラちゃんをちゃんと見てないから、今度はちゃんと見たいな」


 いや、いまのままでも全然天使だけどね? などとのたまいながら、くるりと振り向いて剣を振るう。バランスを崩した成れの果てに向かい、剣と共に一回り大きさも光も増した浄化の星屑を一気に飛ばして後退させる。

 ソラに見せた笑顔など、すでに消し去っている。煌々と光る太陽の双眸で巨体を睨みつけながら、口調だけは穏やかなままでメビウスは語った。


「こんなのをどうにか……取り込んでくれなんて、ひどいよな。ソラちゃんだって、怖いよな。これが終わったら、ソラちゃんの中の成れの果てを、本当に倒す方法を一緒に探そう。大体な、ソラちゃんの身体の中で生きてるなんて――お前ら贅沢すぎんだよッ!」


 あながち冗談にも聞こえないトーンで叫び、斜めに斬り上げる。巨体を中ほどから切り離したかと思われた一閃は、鈍い音と火花を残して受け止められた。

 (しろがね)でできた、無数の歯車。左右非対称どころか背中にも生えている足の代わりに、成れの果ての機動力となっているもの。ぎゃりっと耳障りな音を立てて回りながら、ブリュンヒルデをがっちりとくわえ込んでいる。普通の剣であれば容易く折れていただろう。が、使い手よりも大きな剣は刀身に青い光を走らせながら、成れの果ての進行を食い止めていた。


「ぐ……ッ」


 メビウスの口から、小さな呻きがもれる。重心を落として踏ん張った足を支えている石畳が、音を立てて割れた。左手で命を使う魔法を編み、得物を両手で掴む。薄赤い光が刀身に宿り、前傾姿勢になっている成れの果てをほんの少しだけ、押し返す。


「ソラちゃん……ッ。いまのうちに、ルシオラのところへ――」


 渾身のちからで成れの果てに斬り込みながら、メビウスは声を絞り出した。ぎゃりぎゃりごりごりと軋んだ音を立てながら回る歯車のあいだで、じりじりと刀身が漆黒の胴体へ到達しようとしている。ちからとちからのせめぎ合いで、治り切っていない肩から脇腹にかけての大きな傷口がいまにも開きそうだ。開けば、大量出血は免れない。


 ――くそッ。


 気ばかり焦って、強引に振り切りたい衝動に駆られる。しかし、それで一旦胴体を両断できたとしても、黒いものは死ねないのだ。力任せに斬り飛ばし、自身の傷が開くようなことになれば目も当てられない。

 もっと。

 もっと上手く、得物(こいつ)のちからを引き出してやれたら。

 一度自分の身体で感じたブリュンヒルデの本来のちからは、こんなものではなかった。メビウスの中を暴れまわったちからをしっかりと使えるようになれば、魔王の一部でしかない成れの果てなど簡単にあしらえるだろう。殺せるかどうかは別問題だとしても、苦戦することはないと断言できる。

 ぱつ、とかすかな音が聞こえた気がした。身体の真ん中辺りに、引き攣れるような違和感を覚える。嫌な汗が、つぅと頬を流れていった。

 焦る気持ちを、支えるかのように。

 そっと、ソラがメビウスの握るブリュンヒルデに手を添える。その両手は漆黒に変わっているが、彼女の漆黒に触れても気持ちの悪い感覚は起きなかった。


「……ソラちゃん! なに、やって」

「やっぱり、嫌。どうやったら思い出せるのかなんてわからない。だから――」


 これが、いまのわたしにできること。

 言い切って、もう片方の手を添えたソラを驚いたように見て。

 メビウスは、不敵に笑った。


「そっか。……わかった」









 レイモンドの言葉に、ウィルは返す台詞を持たなかった。普段通りの口調にも関わらず、あまりにも強烈に、自分がなにも知らなかった事実を叩きつけられた。文字通り、殴られたかのような衝撃を受け、めまいすら起きそうな気がする。思わず、眼鏡の上から額を押さえた。


「ああ、本当に、なにもわからないって顔をしてますね。俺が思っているより、ウィルさんは他人に興味がなかったようだ」

「……興味があるとかないとかの問題じゃありませんよ。レイモンド、あなたは、本気で言っているのですか?」

「仮に冗談だと言って、ウィルさんは納得しますか? しないでしょう? ということは、ウィルさんは俺が本気だとわかっていることになる。わかっているのになぜ、尋ねるのか……俺にはその行為のほうがよほど理解できない」


 確信をつかれ、ウィルは悔しそうに唇を噛む。そんなウィルを見、レイモンドは檻の中へと視線を落とした。


「……一つだけ」

「え?」

「一つだけ、訂正を。ウィルさんは、人間が魔人になったら元に戻らないと言った。それは、間違いです。このひとは――これは、()()()()()だったのだから」


 愛おしそうに見つめながら、口からはそんな言葉を吐く。感情の乗らない平淡な声に、ウィルは背筋を冷たいものが走り抜けるのを感じる。


「……だけど、病気を、治したかったのでしょう? だから、あなたは」


 わざわざ訂正した言葉で、気付き始めていた。気付きたくなかったこと、気付かなければならなかったことを。

 ――ひとでなし。

 それは、つまり。


「父が中央(セントラル)から戻ってこなくなって、これは病気になった。いま思えば、元々そうだったんでしょう。父が抑制剤になっていただけだ。抑制剤がなくなり、これは、ひとでなしに取りつかれた。魔人なんかよりもずっと厄介な、いきものになり下がった」

「そんな……僕は、知っています。僕はよく、遊びに来ていて、あなたの両親とも……」

「会っている? だけど、父が中央(セントラル)に行った辺りから、ウィルさんは魔獣組合(ギルド)の手伝いをするようになったでしょう。それからは、空いた時間にウィルさんとエリーさんと一緒に魔獣組合(ギルド)にいることが多くなったんですよ? 母から、子供を家に呼ぶなと言われていたから」


 まあ、それで良かったんですけどね、とレイモンドは肩をすくめてあっさりと言う。


「俺だって、発作で喚き散らしてる母なんて見せたくもないですからね。それに、正気に戻ったとき、後悔する母も見たくなかった。当時はまだ、ひとでなしになりかけだったから」


 目を細めて、檻の中へと手を伸ばす。中にいるなにかは、ちょうど格子ではない鉄壁に遮られ、ウィルの位置からはきちんと見えない。ただ、枯れ木の様に細く、色を失った手がレイモンドの手にしゅるりと絡みついたのは見えた。

 あの中にいるのは。

 本当に――。

 確かめなければならない。そう自身に言い聞かせる。が、意思に反して足は前に踏み出せず、その場にくっついたままだ。

 言葉を交わせば交わすほど、レイモンドが知らない人間になっていく。一つ年下の、少し気が弱い幼馴染という仮面が、剥がれて消えていく。ウィルさんが知らないだけだ、という彼の言葉が脳内にこびりついて離れない。

 ごぼごぼと、水音混じりの声がべっとりと耳に張りついた。


「……ごめ、ん……サ、い……。ごメな、さ……」


 不明瞭なその声は、謝っているように聞こえた。何度も、何度も、同じ言葉を繰り返す。まるで、それしか言葉を知らないようだ、とウィルは思う。


「ああ、母さんが謝ることはないんだよ。母さんに言われた通り、全部俺が悪いんだから。俺がバカだったから、母さんはひとでなしに取りつかれたんだよね。母さんは、()()()()()だから」


 骨と皮だけの手の甲をさすり、微笑みながら話すレイモンド。檻ががたりと鳴り、白い髪の毛が一瞬見える。


「……ちが、ウ。……ゆ、るシ……て」

「許す? 俺はなにも怒っていないよ。母さんが俺を産んでくれて()()()()育ててくれて――本当に感謝しているんだ」


 ぞっとするほど、凪いだ笑顔を覗かせて。

 ウィルの知らない幼馴染は、知らない顔のまま知らない口調で穏やかに説く。


 だからいま。

 こうして、母さんを治してあげようと頑張ってるんじゃないか。


「アアああぁぁぁアァッァぁァァーッ!!」


 その言葉が引き金となったのか。

 『母さん』と呼ばれているなにかは突然奇声を発し、叫び狂う。がたがたと檻を倒しそうな勢いで暴れているだろう様子が、見えないまでも鮮明に想像できる。

 べちゃりと、血とも瘴気ともとれない黒ずんだかたまりが鉄格子の隙間から吐き出された。中にいるものがなんなのかは知れないが、止めなければならない。動かなければ、ならない。

 地面に張りついた足を、必死に引きはがそうと格闘する。確実に知っているのに、確実に知らない青年は、ウィルにとってすでに何者ともわからず、畏怖の対象でしかなくなっていた。

 見慣れているはずなのに、見たことのない表情を浮かべるレイモンドの姿が、揺らぐ。


「ダメだよ母さん。そんなに暴れたら身体に悪いよ」


 いつの間に取り出したのか。

 レイモンドの手には、先ほど地面に吐き出された黒い液体が満ちた注射器が握られている。

 彼の手が折れそうな手首をつかむ前に、ウィルは檻の前に飛び出し、幼馴染に向けて銃を構えていた。


「……なんの冗談?」

「レイモンド。僕は、確かにあなたを知らなかったようです。あなたは、ずっと――虐待を」

「違うよ。俺が悪かったから、お仕置きされただけ。そんなの、ウィルさんにだってあるでしょう?」


 ウィルの言葉に被せた穏やかな声音は、嘘をついている調子ではない。彼は本当に()()()()()()()()()()()()のだ、とウィルはようやく知らない幼馴染を理解した。

 理解と同時に、思い出す。幼かった彼の行動を。他愛もないことでケンカになった、あの日の彼の顔を。

 勝手に、悔し涙だと思い込んでいた。

 レイモンドは、ずっと知って欲しかったのだ。自分が、納得して(こわれて)しまう前に。

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