12・スカイブルーの瞳
豆粒ほどにしか見えないほどしたにいるというのに、太陽の瞳が強い光をともして見上げているのをはっきりと感じ、アインはさらに苛立ちを募らせた。
――あいつ。
見上げている朱の瞳が、余裕の笑みを浮かべているように見えて。
「……ふざけないで」
暗く濁った晴れの色。本来ならば快晴の空を宝石に閉じ込めたような、美しいスカイブルーの双眸に、どろりと瘴気が紛れ込む。
「あたしはアイン。これから魔族を――世界を統べる女王になるの」
自身に言い聞かせ、暗く曇った瞳をすっと二人に向ける。
「あたしの世界に――あなたたちはいらないわ」
呟きと共に、右手を振り下ろす。
無数に生まれた瘴気の雹が、広場全体に吹き荒れる。さきほど、戯れにソラに放ったものの比ではない。本物の天候変化さながらに、落雷をも伴って高純度の負のエネルギーは次々と落下する。
「……死んじゃえ」
言いながら、そうならないことはどこかで予測済みだ。この程度で終わるのならば、いま自分がこんな不愉快な思いをしているわけはないのだから。
だから。
飛び出したメビウスが、剣を持たぬ左手を降り注ぐ漆黒の雹に向け、一言ちからある言葉を口にしただけで広場全体に降り積もるはずだったアインの瘴気を打ち消したのを見、「ほらね」と冷めた感想を持ったのは当然と言えよう。
ぱん、と小気味良い音と少しの衝撃波を残して打ち消された防護陣を展開したとき、メビウスは妙な違和感を覚えた。素早く視線だけを動かして辺りを探り、その正体に気付く。
防護陣と接触した広場の端が、不自然な波紋をえがいている。アインの魔法の効果範囲がわからなかったため、広げられる限界まで展開したはずの防護魔法が、広場の外には出て行けず押し返された。広場の外は見えているのに、端から弾かれた感覚が、ほんの少しの違和となって少年の勘に引っかかったのだ。
――いつの間に。
「ソラちゃん! 広場のまわりに結界が張ってある! なにが起こるかわからねえから気をつけろ!」
「……よそ見厳禁」
「へ……?」
注意を促した叫びに返ってきた言葉は、実に冷ややかなものだった。言葉の意味を確認する前に、巨大な影がすっぽりと地面を覆ったのを見てメビウスは振り向きざまにブリュンヒルデを斬り上げる。追い打ちにしては巨大な、長身のウィルでもすっぽりと収まりそうな大きさの黒いちからを鮮やかに真っ二つに切り裂くと、得物から絶えずこぼれている星屑を無数の十字架型の剣に変え、左右に泣き別れた瘴気を四方八方から串刺しにして浄化した。
「サンキュな!」
「よそ見厳禁、なのでしょう?」
巨大な瘴気のかたまりは、アインが接近するためのおとり。それが簡単にいなされることもわかっていながら、あえてアインはちからをセーブしなかった。苛立ちをぶつけるように、全力で撃ちだしたのだ。遠心力に乗せて大鎌を繰り出しながら、怒りに満ちた声で再度疑問を口にする。
「気に入らない。あなた、一体なに? たかが人間のクセに、そのちからはなんなのよ!」
「ああ、そっか。お前、生まれたばかりなんだもんな」
「それがなんだって言いますの? 馬鹿にするのもいい加減にして!」
「ドクターから聞いてないんだろ? だったら知らなくて当たり前だよ」
互いに巨大な得物を繰り出しながらの言葉の応酬。当たり前のようにやってのけているが、通常、しかも空中で命のやり取りをしながらなど、簡単にできるものではない。思考と行動、どちらにも集中しなければならないからだ。武器での直接攻撃だけにとどまらず、魔法を弾いたり打ち消したりといった動作も混じっている。空中での行動にはアインに軍配が上がるが、武器の扱いはメビウスが長けている。そのため、空中戦はこれといった一撃が出せぬまま、拮抗していた。
一方、地上で戦うソラとオルトロスは、いまのところはソラが優位に立ちまわっているように見える。戦闘経験のほぼないソラではあるが、漆黒の両腕が瘴気をまとったオルトロスの攻撃を通さないのだ。漆黒は腕だけではあるが、自在に大きさを変えられることでかなりの広範囲をカバーできている。さらには、相手の攻撃は通さないくせに、少女の攻撃はダメージを与えられるのだ。取り込んだ漆黒の胎児が本当に魔王の成れの果てなのかはわからないが、少なくとも双頭の猫より格が上のものであることだけは確かなようだ。
本来の姿を現したオルトロスも、先日の合成魔獣とは違いソラのまとう空気に怯むことはないものの、的が小さいうえに伸縮自在の黒いもので防御されれば成すすべがない。腕以外――例えば、転んだときに地面にこすった肩口がうっすら出血しているのを見る限り、漆黒以外は普通の人間の身体なのだろうが、その腕をかいくぐることができない。空色の少女の攻撃はぬるく、かわすのは造作もなかったが、ときおり騙しうちのように腕が不可解な動きをして確実に攻撃を当ててくる。致命的な傷ではないとはいえ、じわじわと血液と体力を削られる感覚は不快であり、ソラの真意も謎だった。
それもそのはず。
ときおり確実に魔獣の命を削っているのは、ソラではないのだから。
初めて接続したときとは違い、ソラの意識ははっきりとしている。しかし、時々、ノイズが走り、いつの間にか攻撃を繰り出しているのだ。それはソラの動きとは違い、正確にオルトロスに傷をつける。まるで、こうやって傷つけるのだと空色の少女に教えるかのように。
その動きに身を任せてしまえば、きっと簡単に殺せるのだろうとソラは思う。だがそれでは、ちからに使われているだけだ。たとえ、結果が同じだったとしても決して自分の意思ではない。
また、脳内に不明瞭なノイズが走る。ソラが首を振って抵抗の意を示しても、目に入るのは傷つけられ痛みに叫ぶ魔獣の姿だ。黒いものに阻まれ、攻めあぐねている双頭の魔獣はずるずると後ろへさがった。潰されていない頭をもたげ、大きく口を開くと瘴気まじりの熱線を吐き出す。
ソラは漆黒の両手を大きく交差させ、熱線を受け止めた。衝撃に弾き飛ばされそうになりながら、懸命に両足を踏ん張って踏みとどまる。熱が少しずつ黒を侵食し、ソラは熱い痛みに悲痛な声をあげた。
でも、こんな痛みは。
いつも守ってくれた少年にとって、痛みですらないのだろう。
だから。
わたしも、耐えられる。
ジジジ、とノイズが走る。
――否。
成れの果てが、侵入してくる。主導権を握ろうとする。わざと手を出さず、少女が音をあげるのを待っている。
「……わたし、は」
悲鳴を噛み殺すように、声に出す。熱線を右手で受け止めながら、じりじりと押し返す。
「一緒に戦うって、決めたからッ」
叫びと共に左手で熱線の端を弾き、勢いで横に転がる。そのまま、体勢を立て直す時間を与えずに空色をなびかせて少女は魔獣の頭――へしゃげているほうに手をかけた。ぶすりと嫌な感触がして、喉元に黒い大きな爪が突き刺さる。急所を突かれて暴れる魔獣を、ソラは渾身のちからで抱え込む。熱線を吐き終えたもう一つの頭が、咆哮をあげてソラの肩口に噛みついた。長い銀の犬歯が食い込み、少女の顔が痛みに歪む。それでも彼女は、懸命に頭を離さない。
ノイズは、いつの間にか走らなくなっていた。
「いいの? 彼女、結構無理してるみたいだけど」
膠着状態から抜け出せぬまま、アインが楽しそうに口に乗せた。メビウスは答えることなく、無数の細身の剣を上下からうちこみながら真横に一閃する。少年の攻撃を弾いて一気に前に出たアインは、すれ違いざま短く持ち替えた柄で彼の身体を打ちに出るが、メビウスは飛びあがってそれを避けた。くるりと宙で一回転すると、振り向きざまに斬り込む。
「いー加減に空気読んで死になさいよ! このあたしが、エイジアシェルのお姫様が直々に遊んであげてるのよ!?」
「……エイジアシェル? そんなの、どこにあるかもわからない、伝説の国だろ?」
少女の口から思いもよらぬ名前が飛び出し、驚きをなんとか胸中でとどめながら斬撃を弾いて距離を取る。
アインは、スカイブルーの瞳に静かな闘志を浮かべた。
「あたしはアイン・エイジアシェル。王家の血を引くものよ」
「――ッ!」
今度こそ、言葉を失う。
――デッキで初めて会ったとき、オレは誰の顔を思い浮かべた?
雨の日の記憶。夢の中の二人。
顔立ちも、髪の色も――そして瞳の色も。
その鮮やかなスカイブルーが、彼を捉えていることに気付いたときは、もう遅かった。大きく振りかぶられた大鎌が、美しい軌跡を残して袈裟懸けに振り下ろされる。一瞬遅れて、ぱっと鮮血が散り、メビウスの身体が大きくぐらりと傾いだ。鞘を下げていたベルトが、ちぎれて地上へ落ちていく。
いままでずっと防がれていた攻撃が、あまりにきれいに当たったことに驚いたのだろう。訝し気に首をかしげ、追撃もせず距離を取った。
「どうしましたの? 隙だらけだったわ」
右肩から左の腰まで、ざっくりと傷が開いている。血の止まらぬ肩を押さえ、メビウスは顔を上げると自らを鼓舞するように笑みを作った。
「……いや、あんまり突拍子もねえこと言うから」
ちょっと、びっくりしちゃって。
声を絞り出してへらりとするメビウスを、アインはじろりとねめつけた。
「はあ? 胡散臭いわね。まだなにか奥の手を隠しているんじゃないでしょうね」
斜めに切り裂かれた傷が熱い。流れる血は止まる気配をみせず、べったりと衣服に吸い込まれていく。このまま放置しておけば、すぐに出血多量で意識をたもてなくなるだろうことは、経験からいって明らかだった。
さらに、身体の外側に大きな傷が開いたことにより、いままでなんとか耐えてきた身体中を駆けずり回る痛みがぶり返し内側からも追い打ちをかける。少しでも気を抜けば、すぐに魔力は内側から自分を巻き込んではじけ飛ぶだろう。
アインから痛恨の一撃をもらったのは自分のミスではあるが、結局のところ――。
もう――時間なんて、ない。
飛びそうな意識をなんとか気力でつなぎ止め、メビウスはアインを見据えて挑発するような笑みを浮かべた。息を荒げ、血にまみれても笑う姿に、アインの背筋を冷たいものが走り抜けていく。嫌な感覚を振り払うように、アインは大鎌を振りかぶって距離を詰めた。
「……そ。奥の手」
ちらりとしたを見て低い声で呟き、強く握りなおしたブリュンヒルデを頭上に振り上げる。指先まで流れて落ちてきた血が、星屑とともにきらめきながら散っていく。アインの大鎌が入れ替わるように振り下ろされるが、メビウスのまわりを覆った光の羽に弾かれた。なんど振るっても、少年を丸く囲った羽の防御は固く、武器を振るえば振るうほど弾き飛ばされるだけだ。
「罪深き魂より仮初の身体に宿った全ての力を解き放つ。依り代の中に戻れ――」
メビウスの握る巨大な剣がふわりと浮き上がる。魔力が集まり、さらに巨大化していく。膨大な魔力の量に、アインは呆然と剣を見つめた。太陽のように圧倒的な光を放って宙に鎮座する神器を見、アインは呆れた声をあげて戦闘態勢を解いた。
「……たかが人間? 化け物じゃない」
あれが放たれれば。
防ぐすべはない。
一瞬、剣を掲げた少年と視線が交わる。
必死な太陽と、諦めた快晴の双眸。
スカイブルーをまばたきで焼きとめ、投擲の形に目いっぱい身体をそらせて。
メビウスは、最後の言葉を叫ぶ。
「――強制能力解除ッ!」




