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空色の告死天使<アズライール>  作者: 柊らみ子
第三章・欠けて弾かれ廻る歯車

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10・たとえ、この身が壊れても

 ごうごうと耳元で風の音が唸りをあげる。

 足もとに飛び込んできたオルトロスを避けたままの、不安定な体勢だった。反射的に伸ばした左手は、なにに届くこともなくただ虚しく空をかく。空中に投げ出され、ちからのはいらない身体をよじって、握ったままの得物をなんとか目の前の石壁に突き立てた。


 がつん、と腕に硬い衝撃が走る。

 咄嗟に時計塔に突き立てた刃が、石を削りながら滑り落ちていく。石壁をひっかく耳障りな音と右腕に細かな振動が伝わるが、勢いは止まることはない。それでも、メビウスの瞳はソラを求めて広場をさまよった。


 きらめく銀髪を捉えたと思いきや、突然視界がブレる。少し遅れて右肩に激痛が走り、苦痛に顔を歪めて思わず声をあげた。みじかな刃が、石と石のあいだに出来た溝に引っかかったのだ。急激に猛スピードの落下が止まったため、剣を握っていた右腕――肩に強力な負荷がかかったのである。どうやら脱臼は免れたらしいが、全体重を得物一本で支えている状態だ。蜘蛛の糸一本でぶら下がっているようなものだと言い換えてもいい。剣がブリュンヒルデでなければ、石壁との摩擦や急激にかかったブレーキによって簡単に折れていただろう。


 顔をあげると斜め上に文字盤が見える。ちょうど文字盤一つぶん滑り落ちたようだ。

 それだけ確認すると、すぐに視線を下へと戻す。落下が止まった反動で見失った空色の少女を見つけるより早く、宙を駆けていく双頭の猫が目にはいった。その延長線上にいるのは――。


「ソラちゃん! 逃げろッ!!」


 落ちれば死は免れない場所で、メビウスは声を限りに叫ぶ。

 ソラが、動きを止めて一瞬きょとんと目を見開いた。








 ここをまっすぐ行けば、広場です。

 俺はこっちですから、と手を振ったレイモンドの言葉どおり、目的の広場は目と鼻の先だった。入口でゆるりと全体を見回すが、目当ての金髪は視界にはいってこない。呼吸を整え、ゆっくりと足を踏み入れたときだった――鐘が――正に、警鐘が鳴り響いたのは。


 ソラにはそれがなんの合図なのかはわからなかったが、広場にいた人間が皆鐘に追い立てられるように外へと走り抜けていく。立ち尽くす少女を避けて逃げていく人たちの中にも少年の姿は見受けられず、ソラの心のなかにざわざわとした嫌な予感が立ち込めた。最初ゆっくりと人々とは反対側に動いていた足が、だんだんと早足になり、少女はとうとう駆け出した。

 人の波をすり抜け、まるで抜け殻のようになった広場に飛び出すとソラは必死に辺りをさぐる。うるさいほど広場に響いていた鐘の音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。不気味な静寂のなか、空色の少女は一人広場を駆ける。


 一瞬膨れ上がった、強大な瘴気。中央にそびえ立つ時計塔の周辺に、ガラガラと金属片が落ちてくる。なにごとかと上を向いたソラと、捜していた少年の叫びが降ってきたのはほぼ同時。


「……ッ!」


 視線の先。高い高い塔の中腹に、見覚えのある長い三つ編みが揺れている。さきほど落ちてきた金属が展望デッキの成れの果てだと知らないソラには、なぜ彼がそんなところに引っかかっているのか理解できない。どこかから落ちたにせよどうにかして飛びあがったにせよ、なんにしても高すぎるのだ。中腹とはいえ、この街のどの建物よりもずっと高い場所にメビウスはいる。あそこから落ちれば、彼でなくとも死はまぬがれないだろう。


「ソラちゃん!!」


 喉が潰れそうなほどの絶叫が響く。メビウスに気を取られていたソラは、その声で間近に迫る魔獣に気が付いた。強靭な爪をほとんど転ぶようにして避けられたのは、幸運だったのか遊ばれていたのか。魔獣の後ろに、宙に浮かんで楽しそうな笑みを浮かべている少女がいる。ふわふわの金髪をなびかせ、まるで似合わない大きな鎌を手にした少女は、宝石のように青く透き通った瞳でソラを射抜く。


「あなた、あの子の知り合いでしょ? 怒るんだったら、あの子に怒ってくださいな?」


 目を細め、くつくつと笑う。


「……あなたがやったの?」


 対して、ソラの声はとても静かだった。ゆっくりと立ち上がると、星のアクセサリーで止めた前髪の後ろから、アインを見る。夜空色の大きな瞳には、なんの色もこもっていない。無表情で無感情。生気すら感じられない無色の少女に、アインは言い知れぬ不安を感じ、ほんの一瞬気圧される。


「そうなのね」

「……オルちゃん!」


 得体の知れない圧に負け、アインがオルトロスに号令をくだす。一撃で殺す気はさらさらない。ただメビウス本人を痛めつけるより、ソラを標的にしたほうが少年をより甚振れる。ソラを見つけたときのメビウスの動揺ぶりから、そう判断しただけだ。そのほうが面白そうだと思っただけだ。


 ソラの細い身体に一瞬、禍々しい光をまとった魔法陣が浮かびあがる。刹那、華奢な身体はどろりと質量のある白光に包まれた。直前に迫ったオルトロスが、絵の具のような白に触れるのを嫌がり、二の足を踏む。

 接続(インベイション)を果たした白い少女が、光の中から姿を現す。成れの果てを具現化させた漆黒の両手を巨大化させ、一足飛びに間合いを詰めるとソラは叩き潰すように双頭の猫へ手のひらを振り下ろした。猫が悲痛な叫び声をあげるのも構わず、ソラは掴んだ頭を地面に思い切り叩きつけた。べきりと嫌な感触が手に伝わるも、少女はちからを緩める気配はない。地面に押し付けられている左の頭からはみしみしと小さな音がし始め、オルトロスは苦痛を湛えた瞳で右の頭を主人に向ける。予定が狂ったことでさらに苛立ちは募るが、アインは舌打ちをして大鎌をソラに向かい振るった。空いた左腕でかばったソラの漆黒が切り裂かれ、その衝撃で少女は少し後退する。同時に、少女はようやく潰れかけた猫の頭から手を離した。


「あなた……一体、なに?」


 驚愕に大きな目を丸く見開いて、アインは掠れた声で問う。

 切り裂かれたソラの左手は、なにごともなかったかのように修復をとげていた。彼女が取り込んだしねないいきもの――なり損ないもそうだった。だから、やはりこれは、あの不完全な魔王と同一なのだと、今更ながらにソラは事実を噛みしめる。

 それでも。


「わたしは、ソラ。他のことは、なにも知らない。メビウスを傷つけるなら、たとえ――この身が壊れても」


 わたしが、守る。


 凛とした声で告げた空色の少女の瞳には、いままで見て取ることのできなかった強く確かな覚悟が瞬いていた。









 眼下で、金と銀がぶつかり合う。


「……ソラちゃん」


 ソラが慣れない戦闘を必死に繰り広げているのに、自分にはなにもできないことが歯がゆくてしょうがない。焦燥だけがつのり、メビウスは握りしめたブリュンヒルデを見上げた。


 神族(こいつ)のちからを込めてるっていうなら。


 夢の中のブリュンヒルデを思い出す。彼女には、光り輝く羽が生えていた。その血を引くルシオラも、片翼とはいえ空を飛ぶことができる。

 いま、この瞬間だけでいい。

 いま、空を飛ぶことさえできたら、なんど壊れたっていい。

 一か八かで飛びおりてみようか、などと普段なら考えすらしないことを本気で考えるほど、メビウスの思考は追い詰められていた。魔獣がソラの攻撃で一次離脱しているとはいえ、ソラの状態だっていつまで持つかわからない。以前のように、自分を保てなくなる可能性だってある。

 うまく回らない脳内に、聞き慣れた声が響く。


 ――結論から言おう。

 お前に、『能力導入(インストール)』は使えない。だから、これ(ブリュンヒルデ)をいつでも最大限のちからで使えるよう、鍛錬を怠るな。


 ふいに浮かんだ、ルシオラの言葉。千年を軽く超える昔に、まだ成長も始まったばかりの自分に向けて言われた言葉だ。散々魔法を教えられたあと、魔女から直々に魔法については凡人より劣ると宣言されたときの言葉だ。


「……能力導入(インストール)


 呟く。幼い頃。まだ、魔法の練習をしていた頃。なんどか、練習をした魔法だ。なんど練習しても、失敗どころか必ず死んでいた魔法。失敗は死と直結する、魔法。

 当時と、いまはなにもかも違う。身体も精神も幼く、なにより人同士の戦いにすら出る前で、死ぬということは滅多になかった。そんな中にあって、使えば必ず失敗し、痛く苦しい目をみる魔法。それは小さなメビウスにとって、どれだけ恐怖だっただろう。

 失敗すれば、身の内からかき回される痛みにのたうち回り、最後には破裂して死に至る。慣れがなかった幼子にとっては、忘れてしまいたい痛みだったろうことは、想像にかたくない。


 もう一度、石壁に突き刺さる得物(ブリュンヒルデ)を見つめる。


 ――お前には、魔力がほとんどない。それが、魔法を上手く扱えない最大の原因だ。


 魔獣が各地に出始めた頃。もう一度、噛んで含めるようにルシオラに言われた。だから魔女は、メビウスに得物(ブリュンヒルデ)の真の使い道を教え、禁呪と体術を教え込んだのだと。命を削る禁呪は、魔力の代わりにはなるがあまり使い過ぎると封印も弱めてしまう諸刃の剣。生まれつき魔力が低いものが魔法を使っても、威力も期待できない。使う魔法と使いどころは間違うなと、口ずっぱく言われ続けてきた。


 そのため、メビウスは基本的に自身の強化に使うことが多かった。無からエネルギーを作り出すわけでもなく、対象も自分自身。リスクは低めであり、なおかつ自分の戦闘スタイルに合わせた補助魔法。いままでは、それで事足りていたから、思い出すこともなかった。


 だがいまは。

 それでは、足りない。


「……ブリュンヒルデのちからを、オレ自身に付与する魔法……」


 ルシオラが剣にブリュンヒルデのちからを込めたのは。

 メビウスに、神族の魔力を受け入れるだけの器がなかったからだ。ちからそのものを受け入れて使えるのなら、そのほうがずっと戦いやすかっただろう。

 しかし、神族の魔力は三種族のなかでも頭一つ抜けている。もともと受け止める器が少ない人間が制御するには、メビウスでなくともそもそも難しい話なのだ。


 だとしても。

 どうせこのままでは、なにもできない。支えている右腕も、そろそろ限界だ。この高さから落ちれば、即死は免れない。

 なにもせずに死ぬのを待つよりは、自分ができることを試して死ぬ。メビウスという少年は、そういう性質(たち)だ。悠久のときを鍵として生きて、死の恐怖を知り、生きることに怯え、ようやく恐怖にも怯えにも立ち向かえるようになった。だからこそ、どうせ死ぬかもしれないのならば、少しでも可能性のある方法を試す。助けが来る確率より、自分から仕掛けたほうが、ほんの僅かでも状況を覆せるのなら。


「……やるしかねぇ」


 ぐっと柄を握りしめ、決意が揺るがぬように、言葉を口に乗せる。思い出した希望は、当時の恐怖も同時に呼び起こした。慣れたとはいえ、身体が痛みを拒んでいる。幼い頃の経験は、それだけ心に刻み込まれているのだ。

 とにかく。

 ()()()()()()()()()()()。アインとオルトロスを倒す――せめて、ソラを守れれば、警鐘を聞いたルシオラやウィルが到着するまで持ってくれれば、それでいい。なにもできないいまと比べればじゅうぶんだと、自身に言い聞かせる。


 魔法(やりかた)については、嫌というほど教わった。魔力の扱いは、あの頃よりもずっと場数を踏んでいる。

 大丈夫。

 一度ソラの姿を瞳に収め、大きく息を吐き出すとメビウスは自らを鼓舞するために、にっと口の()を持ち上げた。

 おもむろに、左手でブリュンヒルデの刃を掴む。横にスライドさせると手のひらが切れ、赤い水玉がぱっと宙に舞った。血が流れる左手を掲げ、メビウスは口早に叫ぶ。


「混沌の外にて彷徨う輪廻の輪を外れた罪深き魂よ。エイジアシェルの(あかし)を以って命ずる。我が命を喰らいて、その力を仮初の身体に宿せ――! 強制能力導入(オーバーインストール)!!」

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