7・スフィル
特になにが起こるでもなく、いたって平和に夜は明けた。
ソラの部屋をノックして、朝食へと誘う。細く開いた扉から顔を出したのはオオハシで、メビウスはしゃがみ込むと不死鳥に向かって小声で問うた。
「ソラちゃんって、どんなカッコで寝――あだッ」
「朝っぱらから乙女の秘密に触れないの! はあ、なんで坊ちゃん、こんな風に育っちゃったのかしら……」
メビウスの脳天に大きなくちばしで遠慮なくアタックし、オオハシはアンニュイに瞳を泳がせて悩まし気な声を出す。どつかれた頭をさすりながら、メビウスは「そりゃアレだろ」と妙にきりっとした表情をして言った。
「ずっとルシオラとスキンシップしてたらそりゃ誰でもこーなる」
「あのスパルタをスキンシップと言える坊ちゃんが、ちょっと怖いわ」
「スキンシップとでも思わなきゃやってられねーの。あ、ソラちゃん、おはよう。今日も可愛い!」
前半はげんなりと、ソラの姿を認めてからは満面の笑みを浮かべて当たり前のように抱き着こうとし、今度はウィルにフードを引っ張られて止められた。三人がそろったのを見届けて、オオハシはするっとメビウスの影に沈む。それを見て、ソラは少し名残惜しそうな顔をした。
「ん? ソラちゃん、オオハシさんになにか話でもあった?」
「あ……ううん、夜は凄くふかふかで温かかったから」
「そっか。じゃ、とりあえずはオオハシさんに任せる、ってことでいいか」
メビウスの視線を読み取り、ウィルも「そうですね」と軽く頷く。しかし、任せると言っておきながらメビウスはすぐにうんうんと首を捻っていた。不思議そうにソラが見やる。
「……そういや、オオハシさんってオスじゃん。つまり、男じゃん。それなのに、もふもふでふかふかだから許されるのか……ッ。マスコットの特権をこんなところで活かしやがって」
「オスって言ったら可哀想。オオハシさん、心は乙女」
「うわあああ、ソラちゃんにも心は乙女認定されてる! ソラちゃん、でもあの鳥身体は男だぞ! もふもふでふかふかな見た目に騙されんな!」
「坊ちゃん、朝から騒がないでください。そもそも、オオハシさんは人間じゃありませんし、比べるほうがナンセンスです。ほら、廊下で立ち止まっていたら邪魔になりますよ。さっさと朝食を食べに行きましょう」
心底うんざりした様子でウィルが言い、フードを掴んだまま歩き出した。
昨夜とは打って変わって、パンとスープといういたってシンプルな朝食をとり、三人は宿から出た。晴れた空に浮かぶ太陽に照らされた村も昨夜とは違い、村人がのんびりと漁の後片付けをしている。緩やかに傾斜する道をくだっていると、子供たちが楽しそうに三人の横をすり抜けていった。遅れた一人が慌ててメビウスとウィルの間を通り抜けようとして転びかけたところを、メビウスがなんとか抱きとめた。
「おー、間に合った。気をつけろよ」
「あ……うん、ありがとう」
「そんなに急がなくても、みんな待っててくれてるぜ。ほら」
ぽん、と背中を叩いて送り出してやる。彼が付いてきていないことに気が付いた仲間たちは、少し先で立ち止まって見守っていた。遅れた子が合流し、こちらに向かって手を振ると一緒に走り出した。手を振り返しながら「元気だなー」とのんびり感想を述べる。
「その顔で、じじくさいこと言わないでくださいよ」
「見た目じーさんになったことはねーけど、歳だけは取ってますんで」
「それがややこしいんですよ……。子供みたいな駄々をこねたと思ったら、無駄に年長風吹かせるときもありますし。そのギャップ、どうにかなりませんか」
「無駄ってなんだよ無駄って。オレはいつでも自然体だっつーの。ウィル、お前こそな、もっと自分に素直になったほうがいいぞ」
ゆっくり足を進めながら、身があるんだかないんだかよくわからない会話の応酬。二人のやりとりを聞き流しながら、ソラは村の中を物珍しそうに見回していた。いままでにいったことのある街中とはまるで違う。人通りは少なく、のんびりとした時間が流れている。建物は全て石造りで、みな同じ方向に塀を設けていた。海風から家を守るためなのだが、海を知らないソラにとってそれらは不思議な光景で、首をかしげる。
さらに、一番馴染みがないのが、昨晩食卓でも嗅いだ初めての香り。
「……あ」
他愛もない会話を続ける二人の向こうに、見たことのある姿が見えてソラは声をあげた。前を行くメビウスとウィルも気が付いたようで、いったん足を止めてソラを待つ。
「スフィルとファルコン、詳しく話聞かせてくれるって約束してたんだけど……なんか、様子がおかしくねえ?」
「一方的にやられてますね」
「だな」
「……あれ、さっきの子?」
「だな」
メビウスたちが足を止めたのも仕方がない。彼らが目にした光景は、子供たちとじゃれ合うスフィルの姿で、しかもどうやら彼女がやられ役のようである。巻き込まれないようにか、少し離れた場所に寝そべっているファルコンは、大きな欠伸をするとおもむろにこちらを射抜いた。その瞳に促され、三人はファルコンの側へ回り込む。
「ぐわー、ヤラレタ~!」
スフィルが大仰な仕草で叫び、胸を押さえてゆらゆらと数歩歩いてばたりと仰向けに倒れ込んだ。目を閉じた彼女のまわりで子供たちが「魔王をやっつけたぞ!」と歓喜の声をあげる。はしゃぐ子供たちに混じって、メビウスが演技を続けているスフィルの傍らにしゃがみ込んだ。
「……ふーん」
頭の上から聞こえた声に、スフィルはばっとまぶたを押し上げた。黒曜石のような双眸は、思いっきり彼女を覗き込んでいる太陽の瞳とかち合う。状況を把握したとたん、スフィルはメビウスに頭突きでも食らわすような――というより、当てるつもりだったのだろう勢いで飛び起きた。
「なッ、なななななに見てんだよてめえ!」
一気に紅潮した頬に、うわずった声で怒鳴る。彼女の頭突きをひょいっと上体を軽くそらして避けたメビウスは、しゃがみ込んだまま目だけを彼女に向けた。
「だってよ。邪魔するわけにもいかねーし」
「だ、黙って見てるぐらいなら邪魔しろよ!」
「ふーむ」
「悩むとこかッ! 悩むぐらいなら笑われたほうがずっとマ……って、言い終わる前に笑うなーッ!!」
にしっといたずらっぽく笑顔になったメビウスを見、スフィルは両手を握りしめて絶叫した。穏やかな空の向こうに自分の声が吸い込まれていったあと、さっきまでとは打って変わって静かになっていることに気付く。この場にいる全員の視線が、赤毛の少女に集まっていた。
「なんだ。案外可愛いとこあんのな」
「……かッ……!」
ぴょこんと跳ねるように立ち上がり、今度は自然に目を細める。その言葉にスフィルは、呼吸の仕方を忘れたかのようにはくはくと口を動かした。が、明確な声にならない。そんな二人のやり取りを見ながら、ウィルとファルコンはほぼ同時にため息をつく。
「……苦労しますね、お互い」
ぼそりとこぼした青年の呟きに、狼は心を込めてうなづく。立場上、狼の気持ちが嫌になるほどわかってしまい、自分でも気づかぬうちに自然と声をかけていた。昨日も一緒にいたとはいえ、魔のものに意識せず語りかけるなどと、ウィルは内心驚きながらも事態を収拾するために歩き出す。
「青年も大変だな」
後ろ姿にかけた言葉を聞いていたのは、近くにいたソラだけだった。
「まったく坊ちゃんは。なんで用件切りださないんですか」
「いや、なんか楽しそうだったし」
朝と同じくフードをひっ掴まれて強引にファルコンのもとへ引きずられながら、メビウスはしれっと答えた。ウィルもここで怒ったところで、彼のペースに引き込まれるだけなのはわかり切っているので取り合わない。代わりに、まだ立ち尽くしたままのスフィルに向かって口を開く。
「スフィルさん、あなたも。詳しい話を聞かせてくれるって、約束でしたよね?」
「……あ? ああ。そっちも話聞くつもりなら、そのバカの手綱しっかり握っとけよな」
居心地悪そうにがしがしと頭を掻いて、スフィルがあとに続こうとする。すると、子供たちが集まってきて彼女の足を止めた。
「スフィルねーちゃん、今日もお仕事?」
「今日はもう遊んでくれないの?」
「次はおねーちゃんが正義の味方でいいから、遊ぼうよう」
口々に言う子供たちを見下ろし、スフィルははっと鼻で笑った。
「おれは正義の味方ってガラじゃねえし。それにな、悪いやつが怖いほうが倒したとき倒しがいあんだろ? お前らみーんなおれより弱えーんだから、束になって倒しに来るぐらいでちょーどいーんだよ」
わかったらどいたどいた、と言いながら強引に子供たちの輪の中から抜け出す。未練たらたらな視線に引きずられたのか、ふと振り返った。
「今日はな、そこのバカと先に約束してたんだ。だから今日はここまで。次はもっとパワーアップしてくっからな、お前らも鍛えとけよ~」
にやりと底意地の悪い笑顔を乗せた言葉に、うんうんとうなづく子供たち。それを見て満足したのか、スフィルは踵を返し嬉しそうな顔でファルコンたちと合流しようとしたのだが。
「……約束……って、デートかな」
「スフィルねーちゃん、なんか楽しそーだしね」
「でーと? でーとってなに?」
ひそひそと話す声が耳に届き、盛大に反対する声が村中にこだましたのだった。