6・ココットの夜
結論から言うならば、ソラはすぐに黒い狼の背に乗った。けして彼女が疲れたからではなく、体力の心配をしたメビウスが強制的に乗せたのではあるが。その際、補助するために抱き上げた少女の身体を、あたたかそうな毛並みに覆われた背中に降ろすまで若干の時間を必要としたのは、メビウスのささやかな抵抗だろう。ついでに、結局一緒に乗ろうとして狼に本気で一撃を繰り出されたというおまけもついた。
「懲りぬ少年だな。本当に心配しているのなら、ふざけた真似をして無駄に時間を消費するのは得策ではなかろう」
「そりゃそーなんだけどさ。でもなー、ソラちゃんを人に任すって言うのはオレの本能が許さねえってーか」
なにかを必死に堪えているらしいメビウスに、両脇から冷静に突っ込みが入る。
「人ではないですけどね」
「メビウス、彼は狼」
異口同音の指摘に項垂れる少年を見て、赤毛の少女はしんがりで楽しそうににやにやと笑っていた。しかし、しゅんとしていたのも一瞬で、メビウスはばっと顔を上げると狼に掴みかかりそうな勢いで迫る。
「そーだ! さっきお前本気で殴ろうとしたろ! いや、それはいーんだ、食らわなかったし。そんときにちらっと見ちゃいけねーもんが見えた気がすんだけど、お前、まさか肉球が……」
「うむ。銀だ。我の証だが……どうした?」
また盛大に肩を落とした少年を目にし、狼が訝し気な声を出す。ころころと感情が動く彼を見ていて、心配になったのだろう。心配されているなどつゆ知らず、メビウスは肩を落としたままぼそぼそと「ありえねえ」と呟いた。
「……肉球は、ぷにぷにであってこそ肉球だろ」
切実な響きが込められた言葉を絞り出した直後。背後から、爆発したような笑い声が響き渡る。
「ぶはははは! ファルコンに殴られかけて、気にするところソコかよ! おもしれー!」
涙目になりながら、盛大に笑いこけているスフィルを半眼でねめつけ「ソコ以外どこがあんだよ」とぼやいた。
「大体、ぷにぷにじゃない肉球って役に立つか? すべりそうだしクッションにもならねえだろ。意味ねえじゃん」
「……誤解しているようだが。我の肉球は銀とはいえしっかりクッションの役目を果たしているぞ。金属とはいえ身体の一部。その機能を停止することはない」
言いながら、へこんでいるメビウスへ前足を差し出した。言葉半分で聞いていたメビウスだが、狼のがっしりとした前足を手に取り、鈍く光る問題の箇所を指で押してみる。見た目よりもざらついているそこは、それなりにちからを入れると少年の指に反発し、押し返してきた。
「うーん……。これはこれでなんか微妙だな……」
「あれもダメこれもダメ。じゃあなんなら満足するんだよ人間は。おれたち魔族の身体は元々そーゆー風にできてんだ、文句あんのか」
爆笑していたかと思えばすでにケンカ腰で噛みついてくるスフィルに、メビウスは未だ肉球をぷにぷにしながら首をひねる。
「いや……文句はねーんだけど。単に見た目とのギャップというか、ぷにぷにする銀を初めて見たっつーか……」
「は。そりゃまあ、こっちの魔獣はよえーからな。わかりやすい部位が金属化してやがるし、動かせもしねえ。いいか、まだ隙間を通り抜けられねえほどつえーちからを持つ魔界のモンは――」
「スフィル。しゃべり過ぎだ」
ファルコンが低い声でうなり、メビウスに好き勝手いじられていた前足を引き戻した。牽制をした狼をちらりと見やり、スフィルは「いいじゃねーか」とあっけらかんと言い放つ。
「別に弱点なわけでもなし。知られて困るようなことでもねーだろが」
「しかし、べらべら話して良いような内容でもない。あまり我らのことを詳しく話すのは感心しないな」
「そーかあ? そーやって隠すから、誤解されやすいってのもあるんじゃね? 話してみたら、案外悪いやつでもねーじゃん、人間も」
「……へえ。ただのケンカバカかと思ったけど、そういう考えかたもできるんだな」
感心した様子で言うメビウスに、スフィルは殴りかかりそうな勢いで食いつく。
「誰がケンカバカだ! てめーはさっきからケンカ売ってんのか!?」
「あのな、褒めてんの。話すって選択肢持ってんだなって」
「当たり前じゃねーか。おれをなんだと思ってんだよ」
「問答無用でソラちゃんを襲おうとした万死に値するやつ」
「やっぱケンカ売ってんじゃねーか。あ、遠慮なく買うぞこら」
「……坊ちゃん」
「スフィル」
またお互いお目付け役に咎められ、赤毛の少女はふんっとそっぽを向き、金髪の少年はへらっと普段の笑みを浮かべる。
「いや、悪い。こーやって普通に話せるのが楽しくてさ。うん、ホントに希望が見えたかも」
にしっとさらに破顔して、メビウスは足を進めた。
村に着いた頃にはすっかり日も暮れていた。宿や酒場以外の店は、すでに明かりが落ちている。それほど大きくない村だ。暗くなるのと同時に閉まってしまう店も多いのだろう。もちろん、出歩いている人影もぱっと見には見当たらない。情報収集は明日に回し、手頃な宿の前で一人と一匹の組み合わせと別れる。宿に入る前に、ウィルがルシオラから預かった簡易型の通信機で魔女に連絡をいれた。
外と違い、宿の中はそこそこに活気があった。受付の奥から、程よく出来上がった男たちの豪快な笑い声が聞こえてくる。遅れて、食欲を刺激する美味しそうな香りが漂ってきた。
部屋の手配をウィルに任せ、メビウスとソラはテーブルを確保する。椅子に落ち着いたソラは、興味しんしんといった表情でまわりをきょときょとと見回している。
「ここが、泊まるところ?」
「そっか、ソラちゃん外に泊まるの初めてかあ。こーゆー宿は、一階が酒場で上が宿ってところが多いんだ。値段も手頃だし飯に困らないから、結構重宝するんだぜ」
説明しながら、メビウスは手を上げる。やってきた店員に適当に注文をし、ソラを見た。
「ソラちゃん、食べたいものある?」
メビウスの質問に、否が応でも昼間の会話を思い出す。彼女の表情でなんとなく答えを察したメビウスは、ぱっと壁を指さした。そこには「ココット名物! ヒラカレメのから揚げ」とビラがでかでかと貼られている。
「あれにしよう。あ、ヒラカレメのから揚げも追加で! エールとジュースはすぐ頼む!」
急かすように最後の一言をつけたし、メビウスは笑顔で手を振った。じとりとしたソラの視線を感じるが、気が付かないふりをしてウィルを手招きする。
「……ヒラカレメは、魔獣じゃない」
「うん、ヒラメとカレイをくっつけたような形してるここら辺にしかいない魚。魔獣じゃねーけど……珍獣?」
あえて珍魚とは言わず、魔獣と響きが似た言葉を使う。
「表がカレイ、裏がヒラメ。まあ、どっちが表か裏か決まってねーけど、大体目が右に寄ってるのが上向いてるから表。あと、ゴリッゴリに歯が生えてるのにおちょぼ口っていう、結構意味わかんねー珍獣だ。これがまた、かりふわで無駄に美味い」
「……かりふわ……」
さっそく到着したオレンジジュースをソラの前に置き、自分はジョッキを一気に煽る。ウィルが部屋を取る際、気を利かせたのだろう。店員はなにも言わずにさがっていった。
「坊ちゃん。エールだけ別払いにしますよ?」
いちいち聞かれるのも面倒なので、メビウスが成人済みであると受付で説明したのだが、放っておくと底なしで飲み続ける少年にちくりと釘を刺してウィルは椅子に座る。大体、ジョッキが二つともメビウスの前に並んでいる時点でおかしいのだ。
「オレはそれでも構わねえぜ? 気兼ねなく飲めますし」
すでに二杯目のジョッキを持ちながら、メビウスは平然と言う。そもそも、彼らの資金はメビウスとルシオラが永い時を生きてきた中で溜めたものであるので、元々メビウスの懐から出ているようなものなのだ。もちろんウィルもそんなことは知っているので、先の台詞は飲み物を三つ頼んでいるにも関わらず、そのうち二杯を占拠している少年に一言言ってやりたかっただけである。
ほどなく、第一陣の料理を運んできた店員に自分の分のエールを注文し、海鮮たっぷりのシャキシャキサラダを取り分けて、新鮮な海の幸に舌鼓を打つウィルだった。
「え、二部屋? なんで? 変に気を利かせた?」
時間をたっぷりとかけて、海藻から珍魚まで堪能した夕食後。階段をのぼりながら、メビウスが首をひねった。
「なにを勘違いしているかは大体わかりますが、一応言っておきます。僕と坊ちゃんが同室ですからね」
「ソラちゃん一人なんてあぶねーだろ! なにかあったらどーすんだ!」
「一番なにかしそうなのが、坊ちゃんなんですが」
「うむ。それは認める。一晩同じ部屋で過ごしてなにもしねー自信はない」
無駄に胸を張ってきりっと言い切ったメビウスを見やり、ウィルは盛大にため息をつく。
「でしょうね。想像した通りの反応で、僕は予知能力にでも目覚めたかと思いました」
「……あの、わたしは――」
「ソラさんは一人部屋です。やむを得ない場合を除き、男女は別々です」
さらに発動した予知能力により、「三人一緒でもいい」とソラの言葉の続きが脳内に再生されてしまい、メビウスに聞かれる前に遮った。彼が口を開く余裕を与えずさっさと階段をのぼり、追いかけてきた少女に部屋の鍵を渡す。
「ソラさんの部屋はここです。僕たちは隣です。なにか気になることや用があったら、遠慮せずたずねてください」
「わかった」
頷いて、受け取った鍵で扉を開ける。内開きの扉から見えた部屋の中は、簡素だが落ち着いている。ソラは少しだけ部屋の中を眺めていたが、二人に挨拶をすると足を進めた。手を離した扉が、ゆっくりと閉まる。
それが閉まる直前で、メビウスが「あ」と呟いてするりと身体を割り込ませた。直後に小さな音を立てて閉まった扉に向かい、ウィルは声を荒げる。
「ちょっと、坊ちゃん!」
「すぐ戻るよ」
内側から聞こえた言葉どおり、メビウスは五分と経たずにソラの部屋から顔を出した。あっさり出てきた少年に、「あれ?」と拍子抜けした表情を浮かべている相棒を見やり、メビウスはにしっと笑って隣の部屋へ入っていく。釈然としないまま遅れて部屋へ入ると、メビウスはすでにベッドに寝転がっていた。
「思ってたよりもふかふかで寝心地いいぜ。メシも美味いし、当たりだな、この宿」
大の字のまま上機嫌で語りかけてくる少年を、ウィルは椅子に腰をおとしてじとりと見やる。青年の視線など意にも介さず、そのまま寝息すら聞こえてきそうな空気が流れた。が、ウィルが口を開きかけたタイミングを見計らったように、メビウスが小さくため息をもらす。
「ソラちゃん、宿に泊まったことないみてーだからさ。部屋の確認と、一応オオハシさんを置いてきた。だからそんな、ヒトをケダモノみたいな目で見るの、やめてくれる?」
「……それならそうと、先に言ってくれれば良かったじゃないですか。日頃の坊ちゃんの行動を見ていれば、無駄に心配するのは仕方がないでしょう」
「ま、それもそっか。けど実際、今後こういうことがあったときに、ソラちゃんを一人にするのは得策じゃねーよな」
「それは、確かに」
魔族に狙われている少女を一人にするのは、確かに不安がある。だからといって三人一緒の部屋にするかというと、それはウィルの倫理観が許さない。護衛だとでも思いこめればいいのだろうが、残念ながらそういった都合の良さは青年の中にないのである。
メビウスはぼーっと天井を眺めたまま、ぶつぶつとぼやいた。
「だからってみんな一緒の部屋はお前が許さねーだろ? ソラちゃんだけ転移陣で拠点に帰るって手もあるけど、夜中にアクシデントがあったら次の日に合流できねえ。オオハシさんだけじゃ、どうしたって初手は遅れちまうし……」
「強引にここまで来ておいて、まさかの無策ですか」
「いや、今回に関しては大丈夫だろ。ここにはスフィルとファルコンがいる。あいつらは味方とも言い切れねーが、少なくとも敵じゃねえ。特にスフィルは、魔族だとか人間だとかそういう垣根が低いし、ココットの人間には世話になってるって言ってたろ。もしこの村に魔族がきたとしても、村に危害を加えるようであればあいつは村を守るんじゃねーかな」
「はあ。僕には、無策と変わらないように聞こえますがね」
メビウスの大丈夫、はあまりにも楽観的で、ウィルは呆れた声音で返すしかできなかった。確かに一人と一匹は敵ではない。ただそれは、いまのところ、というだけであっていつ敵になるかわからないとも言える。さすがにウィルは、簡単に魔のものに期待を持つことはできない。
青年の呆れ声に、メビウスはようやっと首を巡らせた。その双眸にはしらけた光が浮かんでいる。
「いや、こんな状況でも融通が利かねえお前には言われたくねーんだけど」
ウィルにも負けないほどの呆れた声音で、メビウスはぼそりと呟く。だがすぐに、普段の笑みを浮かべると先ほどの言葉を繰り返し口にした。
「大丈夫さ。あいつらとは戦わずに済んだ。だから――大丈夫だ」