3・思わぬ情報
そんなわけで。
ルシオラが情報を持ってきた次の日の朝。メビウスとソラ、そしてウィルは、ソラと初めて出会った森の中を歩いていた。あのときとは違い、馬車も通れるくらいには整備された道の上をだ。土はむき出し、石ころは散らばってはいるものの、森の中を通っていくよりはずっと歩きやすい。
朝の森は、きれいな空気と優しい木漏れ日で三人をあたたかく歓迎してくれた。道なりに進めば、ソラの足を考慮しても昼過ぎには次の村に着くだろう。
「ま、当然、こーなりますわな」
彼らが歩いているのは、魔獣を狩っているなにものかに接触するためだ。ルシオラ曰く、感知したのは一度や二度ではないらしい。ルシオラとて万能ではない。なにかの間違いということも考えられるため、慎重に検証を重ねていたようだ。加えて、謎の魔獣狩りの情報が噂ででも漏れ聞こえてこないかとラゼル支部で張っていたようだが、こちらは特になんの情報も得られなかった。
これ以上考えていても埒があかない。新しいピースが落ちてこないと判断したルシオラは、三人に現場を押さえてくるよう指示を出したのである。
こうして、ラゼル支部の掲示板には晴れて最初の一枚『現在魔獣の重要な調査のため、森はなるべく迂回すること』という内容の注意書きが、ど真ん中に大きく貼り出されることとなった。
「しかしなー。オレたちはともかく、なんでソラちゃんまで。いや、オレはソラちゃんと一緒にいられて嬉しいけど、あぶねーだろ」
「本当に魔族絡みだとしたら、あの……魔王、も関係している可能性があるからではないですか?」
「まあな。そりゃそーなんだけど。どこで遭遇するかわかんねーからって、今回全部歩きだろ? あいつも来るってんならともかく、ソラちゃんにそれを強いるのが気に食わねえ」
「わたしは、平気。歩くのは、嫌いじゃない」
「うん。疲れたら抱っこします。遠慮なく言って」
「坊ちゃん、ソラさんの言葉、聞こえてました?」
「当たり前じゃん。ソラちゃんの声は死んでも聞こえる!」
「それ、坊ちゃんが言うと妙にリアルだからやめてください」
眉をひそめたウィルに、ソラもこくこくと同意した。が、メビウスは無駄に真面目な顔で「ほんとだからな」と呟く。
「雨の日の記憶でも、ドクターにしてやられたときも、ソラちゃんの声が聞こえた。ドクターのときは、聞こえてなかったらマジでヤバかったかもしれねえ。だから、当たり前」
「あのときは、オオハシさんと一緒だったから届いたのかも……」
「うん。でも、雨の日の記憶は? あれはソラちゃんとまともに顔を合わせる前だぜ? つまり、運命ってやつなんじゃねーかと、オレは思ってるわけで!」
「……偶然か、思い込みじゃないでしょうかね」
「まったく。どうしてウィルくんは運命ってやつを否定したがるかねー。運命の出会いってやつは、ちゃんとあるのだよ?」
良いほうだけじゃなく、悪いほうにも――な。
そんな言葉を胸中で続けているとはおくびにもださず、メビウスはへらへらとおどけた調子でウィルに絡む。眼鏡の青年は、面倒くさそうにため息をついた。
そんな会話を続けているうちに、三人はなにごともなく森を抜ける。見通しの良い草原に続く細い道は、木の根や落ち葉などがなくなったぶん、歩きやすくなった。
「……あれが、村?」
ソラが指差した向こう。
メビウスとウィルにとって見覚えのある、のどかな景色がうっすらと見えた。
「そうか。街のほうは大変なことになっているんだねえ」
どうにもピンとこないのか、穏やかな声で男は言った。
以前、魔獣になりかけた猪に畑を荒らされていた男である。彼は、討伐を請け負った二人組のことをよく覚えていた。村にはいったところで出くわし、三人に休憩を申し出てくれたのである。お言葉に甘えて休みがてら、事情を説明していたというわけだ。
「それにしてもあのときは、帰りが大変だったんじゃないか? なんだか森で色々あったそうじゃないか」
「色々……?」
小首を傾げてウィルを見る。青年も分かりやすく、肩をすくめて手を広げるというジェスチャーで返した。
「いや、知らないなら大丈夫だったってことかな。あの日の夜は、森に火球が落ちたとか星が凄い光を放ったとか、ここでは一時かなり話題になったんだよ」
「……はあ」
「うん、まあ」
「……?」
ぎこちない返事をした二人と、きょとんとそれを見上げる少女を見、男は「ははは」と軽く笑った。
「ま、次の日確認に行ったらなにもなかったって話だから、なにを見間違えたんだろうってね。集団幻覚でも見たんだろうかって、そっちのほうが話題になったぐらいだよ。そうか、結局なにもなかったってことが証明されちゃったわけか」
「……坊ちゃん?」
軽い口調で適当に話を合わせるかと思いきや、メビウスは顎に手をやってなにやら考え込んでいる。訝し気に声をかけると、笑みを消した朱の瞳がすっと動く。
「その話。星の光なら、オレも見たような気がする」
低く真面目な声色で、少年は言った。
星の光を見たという村人の家へ案内してもらいながら、ウィルは横を歩く少年へ小声で話しかける。
「坊ちゃん、星の光って」
「ああ、お前は背中向けてたからな。そんなにすげー光ってわけでもねえ。オレがソラちゃんに気付いたのは、満月の中で星のようななにかがチカッと光ったからなんだ」
ちらっと後ろを歩くソラを視線を送る。少女は、自分が話題の中心になっているとは思っていないようで、のどかな村の風景を眺めながらついてきていた。
「オレも最初から見てたわけじゃねえ。詳しく見ていた人ならいいんだけどな」
ね、ソラちゃん?
唐突に振り向いて明るい声をかけたので、ソラはびくっと肩を跳ねさせる。笑うように、白い蝶がひらひらと辺りを舞った。
「コールさん! コールさん、いらっしゃいますか?」
一軒の民家の前で、男が扉を叩きながら呼びかけている。ここが目的の家なのだろう。三人は少し離れたところで足を止め、状況を見守った。程なく、住人が扉を開けて顔を出す。男が事情を説明すると、顔を出した女はぱあっと顔を輝かせて家の中に向かって名前を呼んだ。子供が二人走ってやってくる。年上だろう男の子が扉の隙間から出ると、畑のほうへ一目散に駆けていった。
「おにいちゃんたちも、あのすっごいまぶしいのみたの?」
母親の止める声も聞かず、てててっと走って三人の前にくるとたどたどしい言葉遣いで見上げてきたのは、まだ四、五歳ぐらいの少女だ。わくわくと大きな瞳からこぼれる期待感からは、溢れる好奇心しか感じられない。メビウスはしゃがんで子供と目を合わせると、へらっと笑った。
「うん。全部じゃなかったけど、見た。チカチカって月の中で光ってたよ。君は? 君はどんなのを見たの?」
すると少女は自慢するようにふん、と腰に手を当てて胸を張る。
「あたしはぜんぶみたもん! ばらばらにちかちかってひかってたのが、いっしゅんでひとつになったの! ぱってくっついてぶあーってひかって、またちかちかしたの」
話しているうちに、当時の興奮を思い出したのだろう。身体中を使った大げさなジェスチャーを交えながら、一生懸命に話す。メビウスはいつものへらへら顔で頷きつつ聞きながら、ふっと視線を地面に落とした。
「ばらばらが、一つに……?」
小さな声を、少女は聞き逃さなかった。満面の笑みで「うん!」と元気に返事をする。眩しそうに空を仰いで、あっちとね~こっちとね~と恐らくその夜に見たばらばらの光の位置をせわしなく指差し始めた。まだ幼いためか、何度も同じ場所を行き来したりして要領を得ない。
少女の小さな指先を視線で追いかけていたメビウスは、ぽん、と彼女の頭に手を置いて興味を彼のほうへ引き戻すと、ふわりと優しく笑った。
「そっか。たくさん光ってたんだな。教えてくれて、サンキュな」
ぽんぽんと頭を撫でて立ち上がる。足早にこちらへやってくる足音が聞こえたからだ。いち早くそちらを見たウィルにつられ、ソラも足音のほうを向いた。
年の頃は三十過ぎだろうか。少女の兄に連れられてやってきた温和な顔をした男は、来客が若いことにまずびっくりしたらしい。ソラ、ウィル、メビウスと順繰りに見やると、眼鏡の青年に話を切りだした。どう見ても三人のなかでは一番年上に見えるので、妥当な判断ではある。
「ああ、すみません。畑に行っておりまして。現地調査かなにかですか?」
「あ、いえ、きわめて個人的な調査です。こちらこそお仕事中、いきなり押しかけて失礼致しました。それほどお時間は取らせませんので、娘さんが見たという、不思議な流れ星についてお話を聞かせていただけませんか?」
「彼女が言うには、たくさん光ってたって話だけど。何個ぐらい光ってたか覚えてっかな?」
横からメビウスが補足をいれる。ウィルとは違う砕けた口調に男は一瞬、不思議そうな顔をして青年と少年、二人の顔を見比べていたがどちらに話しても同じだと気付いたようだ。
「私が見たのは、五、六個ぐらいでしょうか。どれも不自然に瞬いていましたから、なんだろうねって話をしながら見ていたんです」
「それがくっついて、月の中で光った?」
「あ、ぼっ……僕の連れも見たようでして。こちらにくる用事があったため、お話を聞いて回っているんです」
「オレは、くっついたあと光ったってやつだけだけどな。……五、六個なあ」
メビウスは首を傾げ、一歩引いて話を聞いているソラを見やる。空色の少女は、やはり話の内容が自分に関係があるとは気が付いていないらしい。空から降ってきたとき、彼女は意識を失っていたのだ。状況など覚えていなくて当然か、と少年は息をついた。
それにしても。
魔王だったものはバラバラになり。
ソラが落ちてくる前の光は一つになった――と。
本人がぴんと来ていない事柄をたずねたところで、特に進展があるとは思えない。うーんと低く唸るような声を出して腕を組む少年を見ながら、男はぽんっと手を叩いた。
「あ、そうだ、そうでした。確か一つになってチカチカっと光ったあと。すっと一つだけ、離れて落ちたように見えたなあ。そうだよねえ?」
「うん! あたしもみた! ピカピカしながらおちたの!」
少女が父の手を取って、ぴょんぴょんと跳ねる。これはもう間違いようがなく、メビウスはウィルの顔を見上げて一度うなづく。
「お仕事中、お話聞かせて頂けて助かりました。連れも落ちるところは見ておりまして、やはり同じものを見たようですね。調査に進展がありましたら、連絡いたしますので」
「君もお話、サンキュなー」
あくまでも硬い態度を崩さないウィルとは正反対に、メビウスは女の子ににこにこと手を振った。彼女が家の中にはいるのを見届けて、手を降ろし「さて」と立ち止まる。
「魔獣についてはさっぱりだけど。思いがけない話を聞いちゃったな」
「……なに?」
二人の視線を受け止め、ソラはおどおどと所在なく髪を触る。空の色を映す銀髪は、高い日差しを受けてきらきらと輝いている。
「ソラちゃん。落ち着いて、聞いてね。いまの家族から聞いた話、ソラちゃんが落ちてきたときの話なんだよ」
「……え?」
ソラは、大きな瞳をぱちぱちと何度も瞬いた。その様子は、口を挟まず静かに聞いていた話を噛み砕いて飲み込もうとしているようにも、無理をしてなにかを思い出そうとしているようにも見える。だが、思わず頭を押さえた細い手や、せわしなく落ち着かない視線が、動揺を抑えこむことにまるで成功していない事実を如実に物語っていた。
「わたしの、話……?」
「うん。オレも同じものを見て、オレの場合は場所が近かったから、落ちたのが人だってわかって駆け付けたんだ」
じっと真顔で見つめるメビウスに対し、ソラは悔しそうに顔を歪めた。
「ま、いきなりすぎてわかんねーよな。無理しなくていいよ、ソラちゃん。ただ、君が落ちてきたときの詳しい状況が聞けたことは、良かったと思うぜ。思い出したときに、役に立つだろ?」
じゃ、いまはもうこの話は終わり。
少女の様子を見てメビウスはへらっと微笑み、あっさり話を打ち切った。