第8話 ライゼール領 【後編】
「ゼルダ、前領主のイクナートに挨拶しておけ。書簡でも、訪問でも構わない」
「はい」
ヴァン・ガーディナの話の切り替えの早さには、好感を持つ。そもそも執務中だ、こんな話していたくないし。
前領主への挨拶は、よろしくお願いしますの挨拶ではない。
ライゼールは税が一律であるため、不毛な土地の荒廃が進み、生産性の高い土地と、利潤の良い産業が奪い合われてきた。それを勝ち取った者が富を独占している状態なのだ。ゼルダがこれを変革したいと望んでみたところ、ヴァン・ガーディナの承認を得られたので、敵情視察というか、腹を探り合う挨拶だ。
「訪問にします。こちらの出方に対する、イクナートの顔色を見たいので」
「そうか、なら手練の者を数名連れた上で、ある程度は強引にでも上がり込め。優雅にカフェで茶を飲んでいる暇はないからな」
「手練って?」
「私がいつも連れている、ゼンナとキールサキスが確かだ」
「はい」
了解した後、ゼルダはその意味に気付いた。
「あ。――じゃあ、早めに戻ります」
「ん。……? じゃあ?」
「その、兄上の護衛が手薄になるでしょう?」
嬉しいのか、ヴァン・ガーディナが優しい笑みを零した。甘い表情をすると、兄皇子はとても綺麗で、目のやり場に困る。ゼルダはつい見惚れて、魅せられそうになって目を逸らした。
どうしても、ヴァン・ガーディナが優しくて、調子が狂う。兄皇子を心配する日が来るなんて、皇都にいた頃には、思いもよらなかった。ゼルダを手元で死なせれば、ヴァン・ガーディナの成績に傷がつく。クローヴィンスに大きく遅れを取るから、庇ってくれるのだ。そのはずだ。
ヴァン・ガーディナの笑顔は仮面、優しさは偽りだと、思い知らされてきたはずなのに、心が迷って、兄皇子を信じたくて、苦しかった。
かりそめだ。アーシャもアルディナンもザルマークも、見殺しに出来るのが、してきたのが、ヴァン・ガーディナなのだから。
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誰かに庇護されて、その顔を見れば安心するようなことは、優しかった第一皇子アルディナンを亡くしてから、ずっと、なかった。ゼルダはその死を境に、庇護する側に立ったのだ。
アルディナンを亡くした時、まだ、十三歳だった。
いつかは庇護する側に回るとしても、本当はまだ、庇護されていたかったのだと、思い知る。ヴァン・ガーディナの手元はほっとして、雪の城にでも匿われているように、冷たく、優しく、清らかな光に満たされて、居心地が好かった。