第7話 ライゼール領 【前編】
ライゼールに移り、兄皇子と過ごす時間が増えると、ゼルダはいくつか、思いがけないことに気付いた。
まず、皇都での半月ほどを兄皇子が遊んでいなかったということだ。ゼルダが神殿やサンジェニ侯爵家に根回ししていた間に、ヴァン・ガーディナはライゼールの街並みから気候、祭事、人々の暮らしまで下調べを済ませ、既に必要な資料を揃えさせていた。
すなわち、ゼルダは執政官として、兄皇子に遅れを取ってしまったのだ。何か意見しても、軽く切り返されてしまう。ヴァン・ガーディナの洞察や方針策定はいちいち適切で、ゼルダは次第に、口を挟めなくなってきていた。
「最近、口答えしないな? どうした?」
「……したって、あなたの判断の方が確かじゃないですか」
ヴァン・ガーディナがくすくす笑う。ゼルダはすねたように口を尖らせた。
「おまえが黙るとつまらないよ、おまえが私に敵わなくて、ガッカリするのを見るのが楽しみなんだから、黙るな」
「えー!」
ヴァン・ガーディナはいつも、ゼルシアの庇護下で安穏と過ごしてきたはずの皇子らしからぬ迅速で誠実な判断をしたし、ゼルダに対する指導も、丁寧で充実した内容だった。ゼルダが遠からず敵に回ることを、想定していないかのようで、ゼルダはかえって困惑してしまうのだ。
「兄上、私に何も強いないのですか? 何のために支配印を?」
「ああ、どんなものかと思って。支配印なんて、おいそれと施術するものでもないしな。ゼルダ、毎週、闇曜はあけておけよ。冥影円環の他にも、尊敬する兄上が死霊術の奥義を伝授してやるよ」
――何たる傲慢、誰が『尊敬する兄上』か!
ゼルダなんて、片手でさばけそうに優秀なヴァン・ガーディナだとしてもだ。
「私は戦場の経験に乏しいし、いろいろ、誰かに試したい術があったから丁度いい」
「ちょっと! 兄上それ、私にかけて試す気ですか!?」
「おまえ、後宮に方術師を囲っていたよな? 致命傷は与えないように気をつけるが、私の余興に付き合わされて、痛い目や辛い目を見たくなければ、一生懸命、抵抗してごらん」
「えーっ!?」
「ああ、出来ないんだっけ、おまえ」
冥魔の瞳でゼルダの動きを止めて、ヴァン・ガーディナが麗しく微笑む。これなんて、狙い撃ち。
「次の闇曜は月桂式の一揃いに、髪はジゼルの七番」
「~! またですか、月桂式は揃えていません、おあいにく様!」
「じゃあ、私が贈ろう」
――ぶっ。
「兄上、一夜、私を着飾らせて何がしたいんですか!」
「いいじゃないか、私のささやかな贅沢だよ」
「お妃様を飾って下さい!」
「なんでだ? おまえが綺麗だ」
――そこ! 世迷言はたいがいにーっ!!
兄皇子と話していると疲れる。やたら疲れる。
ゼルダが日頃、ヴァン・ガーディナの態度に引っ掛かりを覚えることがあるとすれば、何をしたいのか、はっきりしないことだった。兄皇子はライゼールの現状なら、ゼルダより遥かに、よく把握している。それにも関わらず、誰が困っていようと、非道や不正の横行に気付いていようと、ゼルダが望まなければ、傍観の姿勢でいるのだ。ゼルダが望めば、真意のさっぱり読めない笑顔で承認する。
ゼルダを指導するつもりで、ゼルダがそれに気付くのを待っているのか、他人の惨状など見ても、何とも思わないのか――
後者と考えるには、ゼルダが望みさえすれば、誠実に力を尽くす態度を説明できなかった。ヴァン・ガーディナは承認するだけではなくて、ゼルダが考えていたより適切な方法を示して、実行に移すことさえ厭わない。不祥事や失敗の責任も、別にいいよと言って、兄皇子の方で取ってくれることが珍しくなかった。
ヴァン・ガーディナのやり様は「あれが欲しいのー♪」とゼルダにねだられては叶えてしまう、ほとんど猫可愛がりで、この異常な甘やかしを受け、ゼルダとて、兄皇子に情が移ってしまわないと言えば嘘だった。間違っているとは、すごく思うけれど。
「私は? 反撃してもいいんですか」
「しようとするのは構わないが、させないよ? やだな、ゼルダ。敵いっこないのに手向かって、お仕置きされたがるのは、ちょっと変態めいてる」
「誰が!? されたくないです、そんなの!」
ゼルダが懸命に真剣に抗議するほど、兄皇子は魅惑的な笑顔になって、ご機嫌が麗し過ぎることになるのだった。
もぉ泣きたい。