第6話 冥影円環 【冥魔の瞳】
「や、め……!」
ゼルダの首筋にキスを落として、遠慮なく、ヴァン・ガーディナが笑った。
「おまえ、必死になっても私に抗えないんだな」
「兄上、やめ……! 嫌だ、――あぁあっ!」
ゼルダに抗えるか抗えないか、ヴァン・ガーディナが試すように丁寧に施術するのを、ゼルダはついに阻止できなかった。
「……っ!」
「ゼルダ」
ゼルダは全身を小刻みに震わせたまま、ヴァン・ガーディナを睨みつけた。
「返事もしないとか、意地を張るな。調教するぞ? 冥魔の瞳に抗えないなら同じこと、まずは努力しろ。私を納得させたら、解呪してやるよ、優しい兄上でよかったな」
「どこが!」
優しげな笑顔のまま、ヴァン・ガーディナが左眼を光らせた。
ゼルダが絶叫して地に手を突く。
「たいした威力だな。本気になったら殺せるか……」
「や……、め、……あぐっ!」
死霊術の威力を確かめるためだけに、支配印に魔力を流したヴァン・ガーディナが、ゼルダが激痛に喘ぐ様子に満足して、優麗に微笑む。
「ゼルダ、解呪するつもりはない。無闇やたらに、私を怒らせないことだな。私の期待以上の効果が出ている。その気がなくとも、おまえに怒りの感情を向ければ、殺してしまうかもしれない」
ゼルダはぞっとして、ヴァン・ガーディナを見た。
「兄上、はずみで私を殺すかもしれないと承知で、施術したままになさるのですか!」
「私がアーシャ様や父上のように、無条件におまえを愛すると期待するな」
「そんな期待は……!」
「していたから、私がおまえを殺めることを厭わないと知って傷つくんだろう?」
ゼルダは絶句して、こぶしをきゅっと握り締めた。
「まあ、冥影円環の領域内に、私がいたことの意味には気付いておけよ」
「え……?」
冥影円環は、ヴァン・ガーディナを感知しなかった。
それはつまり、ゼルシアの皇子であるヴァン・ガーディナが、ゼルダに対して何の悪意も抱いていない――?
指摘されて、ゼルダは驚いて兄皇子の顔を見直してしまった。
わからない。
兄皇子が何を考えているのか、理解できない。なぜ、ゼルダに対して憎しみも親愛の情も抱かないのだ。他人ではない、兄弟なのに。
刺客から救ってくれたと思えば、刹那の感情でゼルダを殺しかねない支配印を施して、容赦のない苦痛を与えたあげく、解呪しない。
笑顔にも、何やら違いがあるのはわかっても、真意を読み解くには難度が高かった。
ヴァン・ガーディナの笑顔には、種類と仕込みが多すぎるのだ。
他の表情なら――?
ゼルダを刺客から庇ったヴァン・ガーディナは笑っていなかった。兄皇子には珍しく、あの時は、笑顔の仮面を剥いだ素顔だった。
あとは、ゼルダが牙を剥いた時、憎悪を露にして睨みつけた時――
兄皇子はいい顔をせず、冷酷さを隠しもしなかった。
「冥影円環は破滅円環とも呼ばれ、カムラの歴代皇帝を何人も死に至らしめてきた。憎しみだけで、同じ人間が抱える愛情や敬慕の念は、感知しないからな。冥影円環を使いこなすのは至難の業だ、歴代皇帝の二の舞には、なるなよ」
「――はい」
「ふうん? 素直にすると可愛いんだな? 普段からそういう態度なら、支配印など飾りだけどな」
「は?」
「そういう態度を取られると、苦痛を与える気にならないだろう?」
「――……」
兄皇子はいったい、どういう答えを期待しているのか。ゼルダはただ、困惑するしかなかった。
「ゼルダ、冥魔の瞳でおまえが私を支配しようとしてみろ。はね退け方の手本を見せてやる」
「えっ……」
ゼルダにも、冥魔の瞳は使える。死霊術師の左目を、他者の精神に干渉し、意のままにしようとする時、冥魔の瞳と呼ぶのだ。
「ゼルダ? なんだ、おまえ、私に敵わないと思っているのか」
「思って、いません……!」
兄皇子がにやりと、にやにやと笑う。それと確信して、ゼルダの悪あがきを愉しんでいる。
「ふうん? じゃあ、冥魔の瞳で私に仕掛けられないのはどういうことか、説明してごらん? おまえ、気持ちで私に降伏しているんだ」
「~!!」
ヴァン・ガーディナの手が、ゼルダの喉元に伸びて、その手の冷たさに、ゼルダはぞくりと身を震わせた。
兄皇子が、望み通りに結われたゼルダの髪を指に絡め、冷たく静かに、ゼルダの耳元に囁いた。
「いいか、私ならぬ者に殺されるな。私だけを受け容れろ。おまえはもう、私のものだよ? ゼルダ――」
その触れ方の優しさが、言い様の残酷とかけ離れていて、ゼルダを深刻に困惑させたのだった。





