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雪月花の物語  作者: 冴條玲
第四章 悪夢の夜
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4-4c. 冥魔の誘惑【混沌】

 ヴァン・ガーディナは静かに目を伏せた。

 ゼルダには、わからないだろう。

 拮抗した力を持つ者同士の闘争ほど、悲惨なものはない。

 運が悪ければ、数万の死者が出るだろう。三つ巴ともなれば、もっと――


「一人で頑張りなさい」


 月明かりの寝室に、誰もいないかのような沈黙が降りた。 

 やがて、ゼルダはのろのろと起き出すと、悲しい、寂しい瞳でヴァン・ガーディナを見詰めた。


「兄上、私が命を絶てば、もう誰も、ゼルシア様の手に掛からないのなら……早い、方がいいでしょう……」


 ゼルダは嗚咽を噛み殺しながら、懐剣を抜いて、微笑んだ。


「私がまだ、おまえの傍にいたいと思っているのにか?」

「えっ? ……だ、だって……」

「おまえ、一人じゃ頑張れないのか」


 ゼルダが涙を溜めたまま、こくんと頷く。


「おまえ、私の傍でなら頑張れるのか」


 ゼルダがまた、こくんと頷く。ヴァン・ガーディナがくすくす笑って、ゼルダの髪を引っ張った。


「あ、兄上、何で笑うの! 髪も、引っ張ったら痛いでしょう!」

「いいよ、いてやるから。泣きやみなさい」


 ゼルダが抜きかけた懐剣を、兄皇子がふつうに片付けてしまう。


「えぇ!? 待って、何で、そうなるんですか!」


 兄皇子ときたら、くすくす、胡散臭い爽やかさで笑っている。


「おまえに何が出来るか教えてやるって、言ったよ」

「嘘をつけー! たった今、私なんかに何も出来ないって、教えたじゃないですか!?」


 なんだ、ひとつもわからなかったのかと、ヴァン・ガーディナが優しくゼルダの手を取った。


「おまえ、こうして私の手を取っているのに、厚かましく生きてる。奇跡だろう、アーシャ様にも、アルディナン兄様にも、出来なかったことだとわからないか?」


 えぇっ。そういう言われ方をすると、どうだろう?


「……あつかましく……」


 フフと、ヴァン・ガーディナが笑う。


「おまえ、皇后陛下に盾突くのに死なないし、私を慕っているのは、どうしてなんだ? 私なんて、死んでしまえばいいだろう」

「やだ!!」


 真剣に怒っているゼルダを、兄皇子ときたら、やっぱり、面白がるのだった。


「ゼルダ、おまえの心を侵したい」


 キスから入ったヴァン・ガーディナが、言葉通り、冥魔の瞳でゼルダを侵しにかかった。


「魂の深くまで、私を受け容れなさい」

「――っ……」


 望んで、侵されろというのか。


「ん……ぁ、くっ……!」


 繰り返しのキスで、ヴァン・ガーディナの冥魔の瞳が支配力を増し、ゼルダは魂を侵蝕される恐怖と快楽に、半ば酔いながら、苦しさに喘いだ。


「ゼルダ、おまえが私の魔力でなく、心に支配されるまで――おまえを嬲ってやりたいな? そうしてやろうかな」

「あっ……! 兄上、苦しっ……!」


 どうしたら、いいのだ。兄の瞳の真紅しかわからない。

 真紅の瞳の魔力が魂の奥深くまで、甘く蝕んでいくのに、ゼルダにはなすすべがなかった。魂を侵された(しるし)のように、涙が一筋だけ、ゼルダのこめかみを伝い落ちた。


「ゼルダ?」

「兄上、もう、やめて下さい……! 苦し、い――」


 喘ぐゼルダに容赦なく、ヴァン・ガーディナは深いキスを与え、微笑んだ。


「いやだよ」


 この上なく危険な誘惑だと知っているのに、ヴァン・ガーディナはなお、ゼルダの心を侵し、彼の感触を残すことを止められなかった。


「んっ……! 兄上!!」

「ゼルダ、わかっているな、侵されたくないなら、抵抗しなさい」

「そんなこと! 私に、兄上の精神(こころ)を切り刻めと仰るんですか!」

「私が憎ければ、やれるよ」


 ゼルダを組み敷いて、肉体にも陵辱を与えるヴァン・ガーディナに苦しい抵抗をしながら、そうする気になれないゼルダは兄皇子から顔を背けた。


「憎めばいいのに、おまえ、可愛いな? ゼルダ、いっそ愛していると、私に告げたら? そうしたら、ご褒美をやるよ」

「~! ご褒美なら、やめて下さい!」

「わかった」


 あっさり了承され、意表を突かれたゼルダに優しいキスをして、ヴァン・ガーディナが告げた。


「おまえが私を愛したら、おまえの魂を私が心ゆくまで侵してから、やめるよ。私は優しい兄上だな」


 戦慄したゼルダを、ヴァン・ガーディナが愉しげに押さえ込む。

 弄ばれ、散々、反応を愉しまれた後、ゼルダは兄皇子を睨んで吐き捨てた。


「そんなに、私を嬲りものにしたいなら、好きになさればいい! 貴方(あなた)を信頼した私が愚かだったんだから!」

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