4-4b. 冥魔の誘惑【書簡】
その夜、兄皇子の言いつけ通りにゼルダが訪ねると、書斎から寝室に回ったヴァン・ガーディナが、読むかと書簡を取り出した。
「皇妃様からの……?」
「ああ、そうだよ」
兄皇子がすんなり母妃を裏切るなど、思いもよらなかったゼルダは驚いた。
「でも、どうして領主館の寝室に? 皇妃様からの書簡なんて、私邸の寝室に置くものでしょう」
「ふうん? おまえなら、それ、私邸の寝室に置くのか」
「それって、これえぇ!? 置くわけないですよ! 捨てられないなら、領主館に置きます!! でも、母上からの手紙だったら私邸に置きますよ」
「私だって、アーシャ様からの手紙なら大切にしまっておくよ」
兄皇子の優しい笑顔が、傷ついたものに見えて、ゼルダは途惑った。いつものように、兄皇子にくるくる丸め込まれてしまったようなのに、ヴァン・ガーディナを無為に傷つけてしまったような、後ろめたい気持ちにもなって――
悪辣を極めた母皇妃に、兄皇子は、どんな感情を持つのだろう。
**――*――**
Dear ヴァン・ガーディナ
ゼルダの庭園に、異なる種子を宿した花が、咲く季節となりました。
何かの折、可憐な花をお見かけになったら、寂しさの慰めに色など報じて下さいね。
私もあなたの妃も、あなたを待っています。夏が終わる前に、私達にも一度は、顔を見せて下さい。
このほど、グーデンバーグで惨事がありました。
サンジェニ侯爵令嬢のカレン・カイザーが消息を絶っていますが、頼られることがあった時には、皇太子にふさわしい態度で、誠実にサンジェニ侯爵家までお送りなさいますように。
ゼルシア・ランガーディア
**――*――**
「兄上、これ……」
ゼルダは春の花だ。夏になれば、ゼルダの庭園には異なる花が咲く。
何ひとつ、おかしなことは書かれていない――
「アテが外れたな。少しは、母上がどんな方か、隠し事というのがどういうものか、わかったか?」
――ぐふっ!
ヴァン・ガーディナに指摘された通り、領主館ではすっかり、ゼルダがヴァン・ガーディナに懸想していることになってしまっている。
「ゼルダ、私がおまえを守り抜くなんて、勘違いしていないだろうな?」
「え……」
「皇后陛下からのご下命があれば、私は従う。おまえをこの手にかけるよ」
目を見開いたゼルダの腕を、兄皇子が引きつかんだ。
「――あっ!」
深いキスを無理強いされて、ゼルダはよほど、兄皇子の舌に噛みつこうかと思ったけれど、できなかった。
強引に、寝台に組み敷かれた。
「兄上、じゃあ、私のこと、あなたの玩具だと思って、こういうことなさるんですか!」
「そうだとしたら?」
兄皇子の残酷さに、ゼルダは声も出なかった。
駄目だ、泣いてしまう。ヴァン・ガーディナが優しくて、すぐ傍で守られて、育ててもらえて、嬉しかったから。今さら、心がなかったことに出来ない。
泣くまいと必死で、もう、他のことは考えられなかった。
「ゼルダ、おまえも少しは私の身辺を調べただろう? 私を支えてくれる者など、誰もいない。皆、亡くなったよ」
ゼルダは目を見開いて、兄皇子の美しい石榴の瞳を見詰めた。
「私の母上は、私を支える人間を粛清し続けてきた。何のためか、わかるか?」
兄皇子の勘違いじゃないのか。そんなはずがないし、わからない。我が子を支えてくれる人間を、粛清って――
「いつか、私が皇后陛下に背こうとする時、私につく者がいないように。私につきそうな者は、端から粛清したんだ」
ゼルダはただ、息を呑んだ。ヴァン・ガーディナが微笑む。
「おまえだけが、厚かましく生きているだろう? ゼルダ、私が手を下すまで、生きていなさい。そうしたら、おまえの命を絶った後、私の命も絶ってやるから。それで、母上の権力は失墜する。おまえ、本望だろう?」
「そんな、馬鹿なこと仰らないで下さい!」
抵抗しかけたゼルダを捻じ伏せて、ヴァン・ガーディナがその首筋に痕を残した。
「……んっ……兄上! その覚悟がおありなら、皇后陛下にだって、盾突けるでしょう! 私があなたにつきますから、お願いです、諦めてしまわないで!!」
「おまえがついたって、仕方ないよ。おまえ、皇后陛下の手から、誰も守れなかったじゃないか」
兄皇子が残酷に、ゼルダが心から愛して懸命に守ろうとしながら、皇妃の手による非業の死を遂げさせてしまった人々の名を、その耳元に挙げ連ね始めた。
そのうちにゼルダの目から涙が溢れて、全身が震えだしても、やめなかった。
「……ディナ…兄…様……」
残酷に、ゼルダを傷つける口付けを落として、ヴァン・ガーディナが誘惑する。
「ゼルダ、皇后陛下が次に誰かを死に至らしめる前に、おまえの命を絶って欲しいと、願わないのか? そうすれば、私の命も絶てる。私はもう、おまえを失ってまで、生きていたくないから。心配いらない、おまえ、望むだけでいい。憎い皇妃を、失脚させたいだろう?」
ゼルダは唇を噛んで、止められない涙を隠すように腕で目元を覆った。
「兄上、今度こそ守れるなんて、信じて頑張るのは……?」





