3-4e. ルディアの海賊【猫と書簡】
「兄上!」
午後になって戻ったゼルダに、ヴァン・ガーディナは当然ながら、甘い顔などしなかった。
「ゼルダ、どこへ行っていたんだ。よくも、面倒事をこの私に押し付けたものだな。私の気が済むまで制裁してやるから、覚悟しておけよ」
言いながら、仕事は山積みなのだろう、書簡を一山、ゼルダに寄越そうとしかけた。
「兄上、待って!」
「どうせ、にゃぎーを埋葬していたんだろう。埋葬して、不死者にして、死者への弔いか? ゼルダ、不死者は死霊術師を支配者としてしか認識しない、死後の世界などありはしないとわからないのか」
「違っ……兄上、死霊術師が冥界を全力で否定しないで下さい!? 自分で冥門まで開いておいて、何考えてんですか!」
「ゼルダ、御託はいい。家を失った者たちに、今夜、眠る場所を確保しなさい。死傷者の確認と、水だの食料だの、支給する手配は済んだ。医師も呼ん――」
ドドォーン!
とゼルダが突きつけたものに、ヴァン・ガーディナは絶句して、目を見張った。
毛並みも綺麗になった、ふてぶてしいデブ猫だ。
死骸じゃないのだ。
ゾンビでもないのだ。
ほんの少しだけ、かろうじて息があったので、急いで、シルフィスにリザレクションをかけてもらいに帰邸したのだ。
間に合うかわからなくて、結局、死んでしまったら余計に兄皇子を悲しませると思ったから、断らなかった。
にゃぎぃ~ん、と甘えた声を出すにゃぎーをヴァン・ガーディナが抱き取った。
生きていて、デブ猫のくせにしなやかで暖かい。
ぷっと吹いて、あっさり投げ捨てた。
――ちょ、ここ感動の抱擁するところじゃないのぉ!?
「兄上、喜んで放り投げないで下さい!!」
ぶにっと顔面から着地したにゃぎーが、涙をちょちょ切らせながら痛くないと、顔から着地して見えたのは幻だからと虚勢を張る。
にゃぎーは見かけによらず隙のない身ごなしを誇る、界隈のボス猫なのだ。
抱き締めてもらえると思って、放り出される心構えがなかったなんて、恥ずかしくて言えない硬派なデブ猫なのだ。
「ゼルダ、猫一匹を助けようとして、この事態に私と領民を放り出す真似が許されると思うのか。皆にバラされたくなければ、死に物狂いで取り戻せよ」
言葉とは裏腹の優しさで、ゼルダとにゃぎーの頭に、ヴァン・ガーディナがぽん、ぽんと順に手を置いてくれた。
よく戻ったなとねぎらうような、手の置き方だった。
なんだか嬉しくなって、甘い笑みを零して、手伝いますと言いかけたゼルダに、どさっと、ヴァン・ガーディナが書簡の山を丸ごと寄越した。
「終わるまで帰るなよ。徹夜してもサバけ。海賊船は沈めていない、残された財宝は砲撃を受けた街の復興支援に回したいんだ。速やかに回収しないと出し抜かれる、ぐずぐずするな」
冥門は霊魂だけを冥界に呑み込み、物質は損なわない。海賊船上には、無傷の死体がゴロゴロしている状態だろう。
すなわち、略奪されて間もない財宝が無傷なのだ、墓荒らしまがいの行動に出る連中はいるだろう。
ゼルダには海賊船を押さえる手配をヴァン・ガーディナが後回しにしたことが、意外なくらいだった。
クローヴィンスやマリなら、当然、市民の救助を優先するだろうけれど、兄皇子は財宝を押さえることを優先してもおかしくない人だ。その財宝でこそ、立て直せる人々の暮らしがあることを、知っている人だから。
え――?
寄越された書簡に何気なく目を通して、ゼルダは息を呑んだ。
あの船には連れ去られた娘が乗っていたのに、と――
ゼルダは胸がドキドキして、とにかく、書簡を補佐官室の机に運んだ。兄皇子の目に触れさせたくなかった。
冥門は対象を選べない。死の逆十字の下にいた者は、全滅する。
それでも、兄皇子のしたことは正しいとゼルダは思う。海軍に任せるにしても、港町や軍艦がさらに砲撃されて破壊され、死傷者が増えたはずだし、それに――
ヴァン・ガーディナを舐めて襲ってきた海賊ならば、第二、第三の襲撃につながるのだ。背後で糸を引く奴隷商人なり、死の商人なりが、別の海賊や奴隷をそそのかすだろう。
当地の海軍を指揮して二度、三度、無法者を撃退して、実力を示さなければ、収まらないものなのだ。
兄皇子は犠牲を最小限に抑えたはずだ。巨大な漆黒の死の逆十字を目の当たりにして、絶対零度の死の闇柱を目の当たりにして、恐怖を覚えない人間はいない。噂は瞬く間に広まり、誰も、真正面からヴァン・ガーディナを敵に回そうなんて、もう考えなくなるだろう。
冥門は本来、術者をこそ死に至らしめる、死霊術の奥義だ。
いかなヴァン・ガーディナといえど、軽はずみに使ったはずは絶対にない。
兄皇子こそが、自分の命を盾にライゼールを守ったのに――
それは、知られない方が威嚇になる。あえて、知らせない方がいいのだ。ヴァン・ガーディナが恐れられていた方が、ライゼールの領民は安全だ。
あなたは間違っていないと、兄皇子を説得することは出来ても、理性と感情は別物だ。遺族の血を吐くような書簡を見て、兄皇子がどんな気持ちになるかと思うと、たまらなかった。
こんなもの、兄皇子の目に触れさせたくない。
けれど、見てしまったから、兄皇子はこれを後回しにして、ゼルダに任せたのだろう。
ぽたぽたと涙が落ちて、ゼルダは驚いてそれを拭った。
こんな、泣いてる場合じゃない。
しっかりしないと。
今こそ、自分があの人を支えなくてどうするのか。
ゼルダは自分を叱咤して、人を呼び集めて、遅ればせながら仕事に取り掛かった。
猫一匹を構ってる場合じゃなかった。
なに、してたんだろう。
後悔しかけたものの、何度かすれ違った兄皇子の後をにゃぎーがついて回っていて、時折、手慰みにもふもふされているのを見て、これはこれで良かったのかなと、何か和みながら思った。





