3-4d. ルディアの海賊【その涙は】
港町の人々が歓声を上げて、ヴァン・ガーディナを称え大騒ぎする中、倒れかかる兄皇子をゼルダが支えた。
強力な死霊術の行使に、心が脆くなっていたのだろう。ゼルダが片腕に抱えたままの、黒い煤にまみれ、血の滴るにゃぎーの屍骸を間近にして、ヴァン・ガーディナは冷笑しながら、言い捨てた。
「ゼルダ、にゃぎーはどこだ……? それは、にゃぎーじゃない。醜い毛皮の塊だ、捨てろ、死骸などいらない……!」
ゼルダはただ、かぶりを振った。ヴァン・ガーディナが倒れかかったのは、術を行使した直後の束の間で、伝い落ちた涙も一筋だけだった。
それでも、ヴァン・ガーディナはもう、にゃぎーの屍骸など見向きもしなかった。
死霊術には大きく分けて、三つの系統がある。
最下位の死霊術とされるのが、狂冥宴や死者の槍など、憎悪や怨恨によっても操れる、いわゆる攻撃呪文だ。この系統だけの死霊術師は三流とされ、他の系統の死霊術師には、死霊術師と認められない。邪術師だの、呪術師だのと呼ばれたりする。
中位の死霊術とされるのが、ゾンビやレイスなど死霊を操る術で、これを得意とする死霊術師が、ゼルダのように死霊使いと呼ばれる。かけがえのない人を冥界から呼び戻したいと切望する想いを、いつまでも抱え続け、その願いが高じて魔力となり、狂気となるのだ。
そして、最高位の死霊術とされるのが、棺の呪文や冥門など、ヴァン・ガーディナが操る術だ。冥影円環もこれに属する。
だが、最高位の死霊術師は存在してはならない。彼らは、冥界から何も取り戻せないと認めてしまった死霊術師だ。それでも、諦められない死霊術師だ。だから、彼らは呼び出す。冥界から死霊をではなく、冥界そのものを。生きとし生けるものの世界に、死の世界を呼び込んでしまう。
カムラであれば、建国帝ルディナ・リュードがその域に達してしまった死霊術師として名高い。最高位の死霊術師が現れる時、生命のことわりが乱れ、地上が滅んでしまうため、天界の神さえ動くのだ。
そんなことになる前に――
雪の結晶のように、冷たく綺麗なこの兄皇子に、にゃぎーを失って寂しいあなたが、誰より愛しいのだと、伝えたい。あなたが、春を待つ庭園を守る、ヴァン・ガーディナなのだと。
悪の兄皇子が哀しく微笑みながら、一筋伝わせた涙は、猫一匹のためだった。
砲撃を受けた港町の人も猫も、兄皇子が死なせたわけじゃない。
他人には興味のない人だけれど、兄皇子はきちんと、そんな他人さえ守っている。
今まさに、立て続けの死霊術の行使で深刻なダメージがあるはずなのに、何事もなかった様子で、死傷者の手当てや確認を急いでいる。
ゼルダはその補佐官の立場にありながら、悪の兄皇子が務めを果たすことを手伝わず、断りもなく帰邸した。
英雄と称えられ、畏怖されるばかり、誰にもいたわられることのない悪の兄皇子をひとり、その場に残して。





