3-4b. ルディアの海賊【少女と皇子様】
「はぁ、はぁっ……」
少女は息も絶え絶えに、黒焦げの残骸と化した港町を逃げ惑っていた。
焦げた生き物の臭いや、血の臭いが鼻をつく。怖い、どうしてこんな地獄になってしまったのか。
「女だ!」
「きゃあぁ!」
もう駄目だ。どうして、生まれ育った町と運命を共にせず、捕まれば奴隷にされるとわかっていて逃げたのか。
殺した人間の耳をアクセサリーにしているような男に背後から手を捕まれて、別の男に刃物を突きつけられた。
「怪我するぜ、おとなしくしてな。女でよかったなぁ? 素っ裸に剥いて、たっぷり可愛がってや――」
突如として、その男の顔が凍りついた。絶叫さえ上げる間もなく、男は何か恐ろしいものに引き摺り込まれた。
その次には後ろ手に彼女を捕らえていた男の手がゆるみ、ふわっと体が浮いた。
武器を取るため彼女を離した男の断末魔に、少女はようやく、誰かに助けられたのだと気付いた。
「怪我はない? 怖かったね、大丈夫だから、もうちょっと頑張って。北に向かって逃げるんだ、ライゼールの守備隊が来ているから、海賊は追ってこない」
少女を助けてくれたのは、絵本に出てくる王子様のように綺麗な少年だった。
「ゼルダ、怪我したか?」
「ええ、短剣を投げられたのを、かわし切れなくて。でも、掠り傷です」
花も欺く美少年に、そのご主人様なのか、雪のような麗容の美青年が声をかけた。
思わず見惚れながら、その言葉を聞いて、少年の腕から血が滴るのに気付いた少女は、ひどくショックを受けた。
泣きそうな気持ちで、大切にしていた絹織りのハンカチを差し出した。少年は微笑んでそれを受け取って、逃げなさいと、もう一度、彼女を促してくれた。
後に、二人がカムラの皇子様だと知った少女は、生涯、カムラ皇室に忠誠を誓うことになるのだが――
「毒は?」
「塗られていないようです、それらしい痛みも痺れもありませんから、平気です。それより兄上、馬鹿のひとつ覚えじゃあるまいし、何かあるとすぐ、棺の呪文に頼るのはどうなんですか!? いきなり息の根を止めたら、何にも聞き出せないじゃないですか!」
「おまえ死霊使いだろう、死体に聞け」
「マジで!」
二人の正体は、夢の皇子様には程遠いかもしれないのだった。
いずれにせよ、ヴァン・ガーディナは黒焦げの残骸と死臭に眉をひそめていた。
「カムラ皇室の直轄領に砲撃、略奪とは舐めた真似をしてくれるな。暗黒皇帝ハーケンベルクの皇子を甘くみたこと、地獄で後悔してもらおうか」
昨日まで、客船や商船を襲う領海侵犯を繰り返していた海賊が、ついに上陸し、港町の一区画を焼き払ったのだ。
「兄上、海賊どもを地獄送りにするのは結構ですが、海賊がこっちの事情なんて知るわけがないし、誰が暗黒皇帝ですか」
仮にも、実の父親をつかまえて。
とはいえ、ゼルダももちろん、海賊のやりようには腹が立っていた。腹が立っていた、なんてものじゃない。
「愚かだな、ゼルダ。私がライゼールの領主に就任したから、私など欲深き皇妃の操り人形、何も出来ない皇子と舐めて、襲撃してきたんだ。こちらの事情など、よく承知だろう」
「まさか!」
「随分、強気な海賊どもだと思わないのか? 軍備も手勢も充実してる、死の商人と奴隷商人が背後にいるだろう、海賊とは蜜月関係だ」
ゼルダは目を見張った。確かに、海賊は略奪した財宝と奴隷を死の商人に売り渡し、死の商人は武器と酒と食料を海賊に売り渡す。両者が結託することは、珍しくない。
「おまえ、知っているか。先頃、ベアトリーチェの奴隷商人を滅ぼして、その隠し財産を没収したのが母上だ。ベアトリーチェの奴隷商人が『滅ぼされた』ことを、別の土地の奴隷商人は知らないだろう。だが、その財産を母上が没収したことは、調べ上げただろうな。偶然なんかじゃない、奪い返しに来たんだ、彼らの財産に手を出すなとな。だから、私が直截に教えてやろうと言うんだ。彼らの財産なぞ知らないが、カムラ帝国の領民への手出しは許されない大罪だと、父皇帝に代わってな」
ヴァン・ガーディナが絶対零度の笑みを浮かべる。
ライゼールの守備隊を嘲笑うかのように、砲撃が再開されたのはその時だった。





