第26話 月光の下
「ねぇ、シルフィス。アルベールは立派だよね」
「ゼルダ様……?」
その夜、ゼルダはシルフィスの部屋の寝台に腰掛けて、立てた片膝に顔を埋めた。
「シルフィス、ごめん。どうかしてるって、わかってるんだけど――」
ヴァン・ガーディナはシルフィスにとっても両親の仇だ。何を血迷って、皇太子に就けたいなんて――
「兄上が、嫌いじゃないんだ」
シルフィスは少し首を傾けて、膝に顔を埋めたままのゼルダを、目の高さを合わせて見詰めた。
「夜会にいらしたお兄様ですか?」
「――そう。亡くなった母上も、無念の死を遂げた上の兄上達も、私を恨むよね」
シルフィスも恨む? とゼルダが聞くので、シルフィスは横にかぶりを振った。
「ゼルダ様、下のお兄様が本当に、ゼルダ様のお母様や、上のお兄様の死を望まれたのか、わからないのでしょう? 間違いかもしれないのに、信じて疑わないゼルダ様より、間違いかもしれないから、そうして迷うゼルダ様の方が好きです」
シルフィスは優しく笑って、ふて腐れたゼルダの頭を撫でた。
夜会で見たヴァン・ガーディナは、彼女の目にも優しい人と見えたし、誠実に彼女達を守ってくれた。
ゼルダがもし、たった一度の裏切り行為の記憶に固執し、兄皇子が無償で与える誠意と優しさを見ようとしないとしたら、シルフィスには、その方が悲しいのだ。
間違いかもしれない。でも、間違いじゃないかもしれない。
そうして迷うゼルダの方が、シルフィスはずっと、好きだった。
思い出しても、ゼルダを両親の仇と信じ込んで、ゼルダを傷つけることしか考えられなかった頃の彼女は悲しい。彼女は本当の意味で、ゼルダに憎しみから救われたのだと、どんなに感謝しても、言い尽くせない。
「アルベール兄様も、いつか、ゼルダ様を信じて下さったらいいのに――」
**――*――**
「ん、俺達か? 俺は領地の治め方なんて知らねぇからな。引退した前領主のじっちゃんを顧問にして、あとは、領内にうまくねぇ何かがあるなら、犯罪や揉め事になって司法に上がってくるだろ? その取りまとめをマリに覚えさせてるトコだぜ。さすがに、マリを司法官に任官した時には、じっちゃんに怒鳴られたけどな! わっはは!」
「ふむ……」
せっかくだからと、数日間、逗留していくことになったクローヴィンスを捕まえて、ゼルダが彼らの方はどう治めているのかと尋ねてみたところ、その返事がこれだった。
「てかな、何でおまえが食いついてくんだよ。ガーディナが食いつくとこじゃねぇ? 何でガーディナはマリと仲良くお月見してんだよ」
ばんと、手にしていた資料で、ゼルダがテーブルを叩いた。
「ムカつくから、そういうこと言わないでよ! ガーディナ兄様ったら、マリばっかり、可愛がって!」
ぶっと、『何だこの高級そうな茶は』とか言いながら試し飲みしていたクローヴィンスが吹いた。
「ゼルダおまえ、マリに妬いてんのか!」
「妬いてないよ!」
私には意地悪ばかりなのにマリには優しいなんて不公平だと、ゼルダが涙目で不満を口にするのを、クローヴィンスが呆れ顔で眺めた。
「物好きな……マリがガーディナに懐くのはまだしも、何でおまえ妬いてんだ。あんな扱いされてまでガーディナが好きなのって、やばくねぇ? 変態じゃねぇ?」
「妬いてないったら! ガーディナ兄様なんて好きじゃないよ!」
間が悪く、通りがかったヴァン・ガーディナが、ゼルダの文句の後わりだけ聞いて冷たく笑んだ。
「あ……」
ゼルダはどきんとして、そのまま、ふいっと背を向けて行きかけたヴァン・ガーディナと、どうしていいのかわからず、すれ違いかけた。
けれど、すれ違ってしまうと、矢も盾もたまらなかった。衝動のままに追いかけて、兄皇子の上掛けの裾をつかんで、声を上げた。
「あの、兄上、何でマリばっかり可愛がるんですか!」
クローヴィンスが背後で突っ伏していたりした。
「何で? 可愛いからだろう。おまえみたいに私が嫌いだなんて、マリは言わない。どうして、私を慕う弟皇子に優しくしたらいけないんだ」
だって、あなたが私には意地悪ばかりするからじゃないですか、と抗議しかけて、最初から敵意を向けていたのも、優しくされて、なお素直になれなかったのも、彼自身の方だと気付いたゼルダは、言葉に詰まった。
「おまえ、私に可愛がって欲しいとでも言うのか」
「そ、そんなじゃないです! もう、結構です! マリばっかり、可愛がっていたらいいでしょう!!」
腹立たしげに、ヴァン・ガーディナがゼルダを睨んだ。
「言われなくても、そうしてる。おまえが文句をつけたんだ。どうせ、私をマリに取られて面白くないだけだろう。おまえなんかより、マリがずっと素直で可愛くていい子だよ」
ゼルダは唇を噛んで、素直じゃなくて悪かったですねと吐き捨てるなり、クローヴィンスの向かいに腕で顔を隠すようにして戻った。





