5話『君と一緒にいると決めた』
保健室に到着すると、保険の先生が虹雪さんをベッドに寝かせる。カーテンが引かれ、いくつか先生の質問だけが保健室に聞こえてくる。質問を聞いているとどうやらこれが初めてじゃないらしい。
保険の先生は女性で男女問わず頼りにされる人柄である。特に俺は保健室にお世話になった事は無いので、あまり面識は無いが悪い人間では無いはずだ。
「それじゃ、よく眠ること」
カーテンの向こうから先生が出てくる。先生はずっと立っていた俺にソファに座るように促すと、向かい合うように座る。
「ありがとう、よく運んできてくれたわね。クラスの子から何か言われなかった?」
先生は黒子さんの事情を知っているようだ。虹雪さんの突然の痛みの事を何か知っているかもしれない。
「何も言われてないし俺はそんな事気にしません。それより虹雪さんは大丈夫なんですか?」
「問題無いわ、しばらく寝てれば回復するでしょう。以前にも同じ症状が起こって精密検査を行ったけど、一時的な症状という結果だった」
先生は俺を落ち着かせようと、具体的に話してくれる。
「極度にストレスがかかると部分的に痛みが走るみたいね。彼女の場合普段からストレスが溜まりやすい環境にあるから、普通の学生より少し不健康と呼べるのかしら。でも別に命に関わるような事じゃないから安心なさい」
「そうですか……」
緊張して身体が強張っていたのか、安心すると本当に身体がふにゃふにゃになるような感触がした。
「君は虹雪さんの恋人か何かかな? 苦しそうな顔で朝倉くんと呼んでいたのを聞いたのだけど」
「残念ながら違います。っていうかそんな事言ってたのか、照れるなぁ」
冗談っぽく尋ねた先生だが、表情を引き締め俺の目をじっと見てくる。
「虹雪さんは一年の時にこうして保健室に運ばれた事がある。その時から私とちょくちょく話すようになったから、大体の事情は知ってるつもり……まぁ結局彼女は私を頼りにする事なんてないけれども」
寂しそうに先生は言った。虹雪さんらしいといえばそうかもしれない。
「だから、私はこうして男の子が虹雪さんを運んできた事に対して驚いてる。同姓に対しても積極的になれないあの虹雪さんが、異性の名前を言うなんて事は本当にありえない事だから」
「俺は虹雪さんが苦しそうにしてたから運んだまでの事です」
俺は力強く答えると先生は微笑を浮かべ、からかうように俺に問いかける。
「君は虹雪さんの事が好きなの?」
俺は迷いなく、虹雪さんに聞こえないように大きく首を縦に振った。冗談半分で聞いたであろう先生は、目を見開く。
「そっか、それはとても喜ばしい事ね。でも虹雪さんは中々難しい子よ? ちゃん
と彼女の気持ちを考えて、押して押して押しまくらなきゃ落ちない要塞よ」
「大丈夫です。俺はその要塞が好きで好きでしょうがないんですから」
俺のちょっと電波な返答に、先生はにやっと笑うとカーテンを開けてくれた。
「もう今日の授業は全部終わってしまったみたいね、担任には私から話しておく。君は要塞にキスでもして帰んなさいな」
「一緒に帰りたいです」
「どうせ私が車で送るからねぇ、それよりもそっとしてあげたほうがいいと思うけど」
カーテンの向こうには、安らかに眠る虹雪さんの姿があった。俺は音をたてないようにゆっくり歩み寄ると、虹雪さんの寝顔を見る。それはもう天使のように可愛かった。
確かに俺が居て気を使わせるよりか、このまま寝かせておいたほうがいいか。
「……もういいかな?」
俺は最後に虹雪さんにおやすみと囁き、もう一度寝顔を見る。
また明日、明日から俺は虹雪さんの味方だから。
もう二度と虹雪さんが倒れる事なんて起こさないから。
そう誓うと、俺は踵を返して保健室を出て行く。
「先生」
「あ、起きた。ってか今の話聞いちゃった? だとすると先生もあの子も恥ずかしいんだけど」
「朝倉くんって、要塞好きなんですね……軍隊とか好きなんだ」
「あーうん、これはこれで要塞だわ」
興奮して中々眠れなかった夜が明けて、目覚まし声優ボイスが俺の目覚めを促す。最近なんかよく考え事して眠りが浅いような気がする。身体が少しだるい。
それでも母さんが用意してくれた朝食をもさもさ食べて、もさもさと髪を整えて、もさもさと着替えて、うわ今日晴れてんなーちょっと日の光が目に染みるぜーってもさもさと玄関を開けたら。
「朝倉くん、お、おはよう」
前髪で瞳を隠さずに、虹雪黒子が俺の家の前に立っていたのである。
「オハヨウ」
俺はそれだけ返答すると、しばし硬直する。
もしかしたら現実の俺はまだベッドの中で惰眠を貪っているんじゃないんだろうか。けれど彼女の姿は夢にしては鮮烈すぎる。
「時音ー、あんた携帯忘れてるけど要らないのーって、あれ?」
母さんが俺の携帯電話を持って玄関まで駆けてきていた。母さんは虹雪さんを見て声を高くする。
「ウチの子にも春がキターーーーッ!」
「やめろ恥ずかしい!」
「どうしたのよ時音! あんた夜な夜な怪しいゲームばっかりやってると思ったらちゃんと高校生してるじゃないのさ! いやぁごめんねぇこんなオタクな馬鹿息子だけど仲良くしてやってね」
母さんは興奮して訳の分からんことを言いまくる。俺は母さんの手から携帯をひったくる。
「余計な事喋ってんなよ! この……くそ、クソマザー!」
ばたーん! と扉を閉める。くそおかんと言う勇気は無かった。クソマザーはいってらっしゃ~いと暢気に言っていた。
「虹雪さん、今君は何も見なかった」
「楽しいお母様ですね」
ノーッ。
胸がどきどきする。朝っぱらから視界に高カロリーなものが映っているからだ。別に油がギトギトしているわけではない。視界に映っているだけで俺のエネルギーが全力で彼女を追いかけてしまうからだ。
「虹雪さん、君は何故俺の家の前にいたんでしょうか」
「昨日は結局ろくにお礼も言えませんでしたし、改めてちゃんとお礼を言わなくちゃって」
虹雪さんの顔色は良く、超美少女っぷりを発揮している。何よりもちゃんと瞳が見えるように前髪がよけられてある、俺にはそれが何よりも嬉しい。
俺達は通学路を並んで歩いている。男子と女子のペア自体珍しいのに、虹雪さんの長すぎるスカートと桁違いの可憐さは道行く生徒の注目を確かに集めている。中には落ち武者の存在を知っている者もいて、二度見している生徒もいた。
ちょっと視線が気になるので人気の少ない脇道にそれる。このままじゃ照れてまともに話せそうにも無い。
「通学路もほとんど一緒なので、何度か朝倉くんがこのお家に入るのを見たんです。間違えなくて良かった……ああ、それよりも昨日は本当にありがとうございました」
「ああ、いや、うん。別にそんな大層なことをしたわけじゃないよ。俺のお節介だし。元気そうでよかった、欠席するかと思ったけど」
こうして虹雪さんから話かけてくれたのは初めてだ。それに俺はもう少し前までのうだうだと自分の気持ちに結論がついてない状況ではないのだ。
つまり俺は虹雪さんの事が好きで、その虹雪さんがこうして朝俺の家の前で待ってて、胸がどきどきするというか、あれもしかして虹雪さんって俺の事好きなんじゃないのかとかそういう舞い上がり妄想が全速力で走り出してるわけで。
「……すごく嬉しかったんです、朝倉くんが助けに来てくれた事が。先生も怖くって落ち武者って聞こえてきて、ああすごく私って孤独なんだなーって思っていたら、朝倉くんが支えてくれて」
虹雪さんは俺にしっかりと目線を合わせる。虹雪さんの瞳に俺が映るのが分かるくらいに。
「クラスのみんなから変な目で見られたでしょう? 私なんかを構ってしまったから、朝倉くんも変な目でみられてしまうんじゃないかなって、その事について謝りたくって」
「ああ、そんな事はもうどうでもいいんだ」
自己の保身、出ない釘でいる事なんてもうどうでもよい。そもそも最優先するべき事が見つかったんだ。虹雪さんを守る事ができれば白い目で見られようが構わない。これが恋は盲目というやつだろうか、だとしたら盲目も悪くない。
「虹雪さんがこうして元気に笑ってくれれば、そんな事はもうどうでもいいんだ」
俺がそう勢いで言い切ると、虹雪さんはばっ! と視線をそらす。いかん。臭すぎた。
「ああああ、あ、朝倉くんはもう少し、言葉を吟味したほうがいいかもしれません!」
もじもじと俯いて、しきりに前髪を撫でる虹雪さん。
「そんな事を言われたら、どきどきしてしまいますっ……」
ああもう、どうしてこの女の子は俺の心を抉るようなことを。俺も胸をどきどきさせながら、照れ隠しで虹雪さんの柔らかそうなほっぺをむにー、とつっついてみた。
「ひっ! あさ、朝倉くん、は、恥ずかしいですっ!」
顔を真っ赤にして俺から逃げる虹雪さん。思った以上に柔らかくて驚いた。
「いや、友達らしいスキンシップをはかってみた」
ちょっと馴れ馴れしかったな、と反省しつつ、さりげなく友達というワードを入れてみる。
「トモ、ダチ……?」
「そのリアクションは何か原始人を思わせるな。オレ、オマエ、トモダチ」
虹雪さんはますます焦って、片手で心臓を押さえていた。
「友達って、そんな」
「俺の持論はな、友達と思ったら友達なんだ。仮に相手が友達と思ってなくても成立するって信じてる。だって別に友達って義務でも仕事でもないだろ? だったら自分の物差しで決めればいーんだ」
こうして自分の考えをしっかり述べないと、虹雪黒子は信じないだろう。だから。
「友達って思ってるのは俺のほうだけだったかな? そうだとしても俺は虹雪さんの友達だよ」
「その……えっと……」
本当は友達じゃなくて恋人になりたいのだけれど、今の虹雪さんに対してはこれがベストだろう……決して告白する勇気がないからではないぞ、多分。
「でも、みんなに朝倉くんが何て言われるか」
「だからそれはどうでもいいって言ってるだろ。それに俺の友達はそんな事ぐらいであーだこーだ言いやしない、だから心配しないで」
「私なんかと友達になっても、楽しい事なんてないです」
「俺は楽しいよ」
ひょっとしたら拒絶されてんのかなー、と思うぐらいの超遠慮。俺ってもしかして今更だけどかなり鬱陶しいやつなのではないだろうか。
虹雪さんはおずおずと、信じられないような表情で俺を見ていた。まるでずっとこんな単純な言葉をかけて貰えなかったかのように、目を見開いていた。
「――それでいいのなら、私で良かったら、友達になって下さい。お願い、します……」
そう震える声で、風に溶けるようなか細い声で、勇気を振り絞って虹雪さんは言った。
「もうとっくに俺達は友達だよ」
思えば虹雪さんの素顔を見たあの瞬間から、俺は虹雪さんとこうして共に歩き、共に会話を交わしたかったんだと思う。
まずは一歩だ、友達から。
そしていつか恋人として君を抱きしめられるようになりたい。俺は心の底から強く願った。
「じゃー早く学校行こうぜ、くろぽん」
「くろぽん? 流石にそのあだ名は抵抗があります!」
「じゃあ隠れ巨乳で」
「ストレートにセクハラじゃないですかっ、朝倉くんはエッチです!」
その調子だ。くろぽん。
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