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4話『もう止まらない』

 翌朝。あまり眠れなかった俺はいつものように机で眠りの体制に入っていた。

 家に帰って、ファーストフードでもたれた胃を撫でさすりながら一晩中虹雪さんの事について考えていたのだ。頭にこびりついて離れない問題だったから。


 結局俺はどうしたいのか。確かに虹雪さんはすごく可愛い女の子だが、恋愛感情を抱いているわけじゃない……と思う。だったらほっとけばいいのだが、何故だかそれは妙に納得がいかない。         

 もやもやした自分の気持ちに俺は結局、茜ちゃんの頼みだから、という結論を出すことにした。


 うん、これなら別に自分の感情は関係無い。美少女の頼みなら無条件で聞く必要がある。それは宇宙の法則だ。そういうものなんだよ、男ってのは。言い聞かせるように俺は何度も確認した。

 だから俺は、別に恋愛がしたいわけじゃないからな。


「煮えてるな、どうしたんだ時音」

「青春してんだよ、選択肢に悩んでんだ」


 なんだそれ、と優は俺の机に腰掛けながら苦笑する。いいなぁコイツはこういう風に悩まないんだろうなぁと憧れる。


「あ、虹雪さんおはよ」


 爽やかに優が挨拶を交わす、俺は反射的にがばっ! と身を起こした。そこには前髪バリアを搭載した隠れ美少女、虹雪黒子が立っていた。俺は非常にがっくりしつつ、さりげなさを装って挨拶をした。


「おはよう」

「あ、うぇっ?」


 虹雪さんは分かりやすく動揺して後退りする。俺はなんですか? 性なるクリーチャーなんですか?


「おはよう、ございます」


 小さく消え入るような声で虹雪さんは返事を返す、まぁ上出来か。それに昨日の事もあるし、リアクションとしては理解できる。虹雪さんはちょこちょこと目立たないように自分の席へとついた。


「時音が虹雪さんに挨拶をした……何かあったのか? 時音が女子と会話しているところを久しぶりに見たよ僕!」

「そこまでナチュラルに驚かれると流石に俺も傷つくんだけど! べ、別に虹雪さんの事が気になってるわけじゃないんだからねっ!」

「おぉ、最近流行のツンデレか。僕にも分かるよ」

「三次元と男のツンデレなんて存在してたまるかっ!」


 優は机から降りて、少し真面目な様子で俺に向かい合う。


「で、どうしたんだよマジで。別に挨拶ぐらい普通だと思うけど、時音がそんな事をする理由が思い浮かばない」

「別に何でもないよ、たまの気まぐれだ」


 そういう俺の表情を見て、優はニヤニヤしながらそうかー、とか呟きやがる。こいつは何だか事情を全部分かってるような気がする。そんなハズは無いが、何でもできる完璧キャラはいつだってそうだ。でもこの事情は覚られたくない、虹雪さんの事は俺が考えたいんだ。


 流石に休み時間に静かに本を読む虹雪さんに話しかける度胸は無い。それを実行してしまうと明らかにクラス中から奇異の視線を向けられてしまうだろう。よって俺は昼休みまで待機していた。


「悪い優、今日は一緒に昼食を囲めない」

「浮気か? 寂しいぞ時音」


 ニヤニヤしながら優は机をガタガタと動かす。訳知り顔ってヤツだ。


「虹雪さんによろしく、襲うんじゃないぞ?」

「ぬかせ」


 虹雪さんはいつも昼食時には教室を出て行く。鞄を一緒に持っていく所を見ると学食ではないようだ。俺はこっそり弁当を抱えて尾行を開始する。 といってもこれだけ生徒がいれば隠れる必要はない。生徒に紛れればいいからだ、少し距離を置いて歩くだけで全く問題は無い。      

 虹雪さんは校舎の端の階段を上り始める。


「朝倉どったの? 教室で食わないのか?」


 空気を読まずに友達が話しかけてくる。虹雪さんには聞こえなかったようだ、俺は友達を睨む。


「逢引するんだよ……美少女とな」

「寝言は寝てから言え、ギャルゲのしすぎで現在進行形で寝てるんか?」


 締まらなさすぎる。俺は友達に失望すると虹雪さんの尾行を再開する……あれ、見失ったじゃないか。階段の所までは来たのは覚えてるんだけど。

 虹雪さんは失礼だが他のクラスに友達なんていないだろう。いるのなら茜に頼み込まれるような事もないだろうし。だったら人気の無い場所で食事をするはずだ。だとすると。


「ご、ご一緒してよくて?」


 俺は捻りすぎて訳が分からなくなった誘いの文句を虹雪さんに投げかける。虹雪さんは、前髪に隠れて分からないが目を丸くしているだろう。


 ここは屋上。ベンチこそあるものの、あまりに利用者が少ないため生徒達から忘れられた穴場。青空の下で昼食を取れるなら悪くないスポットなのだが、みんなが利用しない、利用するのは変わった子だけ、という不名誉なレッテルを貼られている。

 学校によるが、図書室が妙なオタクスポットになっているのと同義なわけだ。


「私でよければ……」


 俺の誘いの文句も虹雪さんの返答も酷いもんだな。俺は苦笑しながら隣に腰掛ける。


「な、何で私と一緒に?」


 当然の疑問である。俺はその答えを予想していた。


「それがな、教室で弁当を空けると大変な事に気づいてしまったんだ」


 さりげなさを装って、虹雪さんと一緒にご飯を食べる理由をしっかり俺は用意していたのだ。こんなこともあろうかとな。


「でーん、ほれ、桜でんぶでハートの弁当だ。こんなの教室開けたら恥ずかしいだろ」


 俺は今朝早起きして母の目を盗みながら桜でんぶハートを作ったのだ。すごい浅ましい努力!


「うわ、確かにそれは恥ずかしい、かも……」


 前髪に隠されて見えないが虹雪さんは弁当を覗き、ほんの少し笑う。


「だからべっ別に、虹雪さんと一緒に食べたいとかじゃないんだからねっ!」

「そ、そうですよね」


 虹雪さんはあさっての方向を向いて、文庫本みたいなちんまい弁当をつつき始める。

 違う、今のはコミュニケーションを円滑にするためのアキバジョークだ。そこははいはいツンデレツンデレと返す場面じゃないか。やっぱりそっち系の知識はないのか。と俺は落胆する。


「あの、でも私にそのお弁当を見せてしまっては意味が無いのでは?」

「虹雪さんは別にそういう事を面白半分に言い触らす人間じゃないだろ。美少女はそんな事しないって俺の心が訴えかけている」


 さっきから全力で照れ隠しで冗談を言い続ける俺。こうでもしないと恥ずかしくて死にそうになる。


「また昨日みたいな事を、言うんですか?」


 前髪に隠れて分からないが、虹雪さんが俺のほうを見たような気がする。というかさっきから前髪が邪魔だなおい。


「ああ言うね、何度でも言うね。美少女が隠されるのは耐えられないんだ。ということでその前髪をどうにかしてくれないか?」

「私は変な顔だって昨日も言ったのに……嫌です、昨日みたいにからかうんですね」


 虹雪さんは両手を胸の前に怯えるポーズ。あかん、それは俺の大好物です。


「ええい小癪な、人と話す時は目を合わせるようにってお母さんに教わらなかったのか! からかったりしないからとっととその前髪バリアを撤去するんや!」


 何故に関西弁。鼻息荒く俺が迫ると虹雪さんは観念したようにくしくしと前髪をいじっていく。


「……――っ!」


 顔を真っ赤にした虹雪さんの表情が露になる。昨日と同じように魅惑の瞳と、淡雪のように柔らかそうな唇。宝石をぎゅっと詰め込んだような可憐さが、バリアを撤去した虹雪さんにふわりと纏う。


「おおぅ……」


 俺は再度、虹雪黒子を舐め回すようにねっとりと見る。スカートに阻まれて足を拝めないのがもったいないが、逆にそれが清楚さを醸し出す。抱いたら折れてしまいそうな細い腰に、適度に制服を圧迫する胸。俺は視線を上へと上げていき、虹雪さんの瞳をじっと見詰める。面白いぐらいに顔が赤い。


「何でそんなに虹雪さんは可愛いんだろぅなぁ」


 正直に、ただ正直に俺は感想を漏らす。照れもお世辞も一切なく。


「いにゃああああっ!」


 お触り厳禁! 閉店しました! と言わんばかりにバリアを再展開。可憐さは宙に消える。


「いにゃああああっ! じゃねぇ! 分かった、何も言わないから、素顔を見せて下さい!」

「ふぇえ、朝倉くんはイジワルです……」


 昨日のように涙声になりながら虹雪さんは前髪を戻す。面白いように可愛さ、可憐さ濃度が上がったり下がったりする。


「き、昨日の今日でどうしてこんな事……私なんか朝倉くんと話すだけで死にそうになるのに」

「それは俺も同じだよ、死にそうだ」


 うるうると涙で潤う彼女の瞳を恥ずかしくて見ていられなくなり、そっぽを向いて俺は言う。


「じゃあ、どうして私に朝の挨拶したり、こうやって一緒にご飯を食べたりするんですか?」


 恨みがましい声で、彼女はそう言う。

 どうしてって、俺に言われても困る、自分の感情なのに分からないんだ。茜の頼みだから聞いてやることにした、と結論づけたがそんなのは無理矢理な着地である。

「きょ、今日はそういう気分なんだよ、そうだ、何となくだ何となく! そういう日があってもいいだろ」


 我ながらすごい言い訳だ。小学生じゃあるまいし。


「無茶苦茶です……」


 そう消え入るような声で言ったっきり、彼女は口を閉ざしてしまった。前髪まで閉ざしてしまわなくて助かったが。


 ひどい沈黙が流れる。

 それはもう気まずさ満点で窒息しそうなほどで。


「虹雪さんってスタイルいいよね」


「虹雪さんって着やせするらしいね!」


「虹雪さん、ちょっとでいいから揉ませてくれないカナ?」


 というおっぱい関連の冗談しか思い浮かばないほどで。我ながら少ない引き出しを目の当たりにして絶望していた。そんな事を言おうものなら無関心から嫌いへとランクアップされてしまうだろう。   


 そんな俺が勝手に苦しむ中。礼儀に反すると思ったのか、虹雪さんはバリアだけは撤去しておいてくれた。それで俺はチラチラと虹雪さんの横顔を眺める事ができて、沈黙の中でもほんの少し嬉しさを感じることができていた。自分勝手な満足感ではあるが。


 結局俺達は昼休みが終わるまで会話を交わさずに並んで座っているだけだった。虹雪さんは黙って立ち上がり、前髪を戻してそそくさと屋上を立ち去っていく。俺は自分の甲斐性の無さに絶望し、ベンチに横になる。意図してやったわけではないが、頬に虹雪さんの座っていた温もりを感じる。


「俺は一体何をしたいんだよ」


 青空に向かって独り言を俺は投げかける。中途半端な俺の言葉に、抜けるような青空は知らん顔をしていた。

 半端な考えで人と付き合ってはいけない。それに彼女はおそらく普通の女の子よりもずっと孤独で、寂しさを抱えている女の子なのだから。そんな繊細でデリケートな彼女に対して何故俺は触れようと、関わろうとしているのだろうか。


 それは彼女が可愛いから? カラダが魅惑的だから? そんな邪な欲求なら美少女いっぱいのゲームで晴らしてしまえばいい。だったらなんで。


 どうして俺はよく分からない燃料を燃やして彼女に触れようと、関わろうとしているのだろうか。なんでわざわざ早起きして桜でんぶでハートを作ったりしたのだろうか。


 分からない、自分の気持ちが分からない。俺はこのもやもやしていて暖かくて温くて甘ったるい気持ちの名前を知らない。


 結局、何一つの解を見つけ出せずに、午後の授業は始まっていた。

 俺はいつものように英語の授業を右から左に聞き流そうとする、が、考え事に集中しすぎて最早右から受信すらできやしない。視線は黒板を追いかけるよりも一番前の右の端、虹雪黒子を追いかけていた。


 顔が伺えないが、俺はもう彼女の黒髪と背中を見るだけでも可愛さを感じ取れるようになっていた。彼女が瞳を覗かせ、頬を染める姿を想像して幸せな気持ちになる。


 英語教師は今日も早口で問い詰めるように授業を進めていた。生徒から絶大な不人気を集めるハゲ教師は、莫大な宿題と尊大な態度を兼ね備えたイヤな中年英語教師だった。


「徳川、問い二の答えは」

「Aです」

「話を聞いていなかったようだな、どうしてAなんだ?」


 んなもん当てられたから適当に答えたに決まってんだろ、と徳川の表情は物語っている。分かりませんと答えたら確実に怒られるし、それなら僅かな確率にかけたほうがいいに決まっていた。今全く話を聞いていない俺に当てられたら、確実に英語教師の嫌味を浴びせられるだろう。


 だがそれでも俺は虹雪さんを見る。虹雪さんは少し眠いのか船を漕いでいるようだ。頭が不規則に何度も揺れ、緩く頭を振っているが効果は無く、今にも机に突っ伏してしまいそうだった。


「……授業中に寝るという行為は教師に対して失礼だと思うのだが。虹雪、問い三の答えは?」


 ドッキィ! と何故か俺の胸の鼓動が異常に早くなる。話半分夢うつつの状態で答えられる問題じゃない。虹雪さんは当てられた事には気づき、瞬時に立ち上がったがそのまま固まる。


「び、Bです……」

「確かにBだな、答えはその通りだ。でも何故これが答えになるか寝ていたお前はちゃんと答えられるのか? どのような文法を用いた? ちゃんと答えBに対する説明をしてくれたまえ」


 正解だからいいじゃねぇかっ! いくらなんでもちょっと酷すぎるような気がする。


「……えっと……」


 虹雪さんは硬直。英語教師は口を真一文字に結んで虹雪を睨みつける。


「説明を聞くまで授業を進める気はない」


 沈黙は続く、数十秒が経過した頃だろうか、俄かに教室にヒソヒソと囁く声が聞こえ始める。


(空気読めよ……っていうか誰か助けてやれよ)

(いや、虹雪に話しかけるヤツなんていねぇし、あぁもう、時間の無駄だ)

(――落ち武者)


 ちょっと待てよ、お前ら。いくらなんでもそんだけの事を言う筋合いはないだろ。

 虹雪さんがどんな気持ちでここにいると思ってんだよ。俺の中に怒りの感情がふつふつと煮えてくる、が、決してなんの行動も取らない。

 出る杭は打たれる、只でさえオタクである俺が円滑に高校生活を送るには自己保身を第一に考えなければならない。空気でいいんだ、誰からも恨まれる事なくコソコソと過ごしていければ十分に高校生活を楽しめるハズだ。だから俺は、この状況をスルーしなければならない。


 身を削ってまで、注目を集めてまで虹雪さんを助ける理由なんて俺には無い。無いはずだ。俺のプラスになる事なんて……何も無い。

 そこまでギリギリと脳に音をたてるように考えていると、虹雪さんの身体が僅かに傾く。


「いった……い」


 虹雪さんは右手で胸を抑え、左手で机に掴まり、苦しそうに背中を曲げた。表情は伺えないが、小さく身体が震えるように見えた。


「どうした虹雪、仮病か?」


 あろう事か、英語教師はうすら笑いすら浮かべてそう言い放った。血が沸騰するような怒りが湧き上がるが、それ以上の理性と自己保身の精神が、俺の喉に泥のように張り付いていた。   

 声が上げられない。


「ごめん、なさい……」


 か細い声で虹雪さんが謝るが今にも倒れそうで、だが誰も虹雪さんに肩を貸そうとしない。

 落ち武者に手を貸そうものなら、それだけで悪い意味でクラスの注目を集める事になり、ええかっこしい、八方美人などといった不名誉な印象を与える事になるだろう。それぐらい俺のクラスでは落ち武者というのは浮いた存在だった。


(時音、お前いいのか?)

 隣の席の優が何故か俺を睨みつけて囁いた。

(俺が知るかよ)


 そう返すと、優は俺を心底見損なったような顔でゆっくりと立ち上がった。

 そうだ、優なら毎朝虹雪さんに話しかけているし聖人君子なキャラで通っているから、別に落ち武者を助けた程度では白い目で見られる事は無い。ベストな選択だ。


 クラスの注目を浴びながら、優が虹雪さんのもとへと歩いていく。

 俺はほっと安堵し、息をつきながらその様子を見守っていた。


「虹雪さん、大丈夫?」


 優が優しく声をかける。


「ありがとうございます……」


 虹雪さんの声色がほんの少し緩やかになる。それはやっと光を見つけたようなとても幼い声で、胸を抉るような声だった。

 優の手が虹雪さんの肩に触れる。

 俺の心に先ほどのような怒りとは全く違った。もっと汚い色の、ドス黒い炎が灯る。

 その女の子の声は、本来俺が聞くはずの声で、その身体に触れるべきなのは俺のはずで。優に憎しみさえ宿った感情さえ抱く。それは俺のものだ、と下衆な心がテラテラと滾る。

 俺はこの感情の名を知らない。決して冷える事の無いジリジリとした汚い炎のような感情を。

 何故か本当に分からないけれど、俺は咄嗟に大きな音を立てて立ち上がっていた。


「俺が運ぶ」


 たった一言、自分でも聞いた事の無い低い怖い声で優に言い放った。

 俺の席は窓際で、虹雪さんの席とちょうど対極の位置にある。俺はクラス全員の注目を浴びながら机と机の間を早足で歩いていった。

 優は驚いた顔で俺を見て、すぐさまに虹雪さんから手を離す。


「俺に運ばせろ」


 その言葉をクラス中がはっきりと聞いた。優は少し考えるような仕草をして、俺に目配せをした。


「……じゃあ、頼む」


 そう言って、優は自分の席に向かった。俺は躊躇い無く虹雪さんに肩を貸す。虹雪さんの腕も肩もいつもよりか細く感じられる。


「大丈夫だから」


 誰にも聞こえないように虹雪さんの耳元で囁く。俺は教室から逃げるように、虹雪さんを視線から庇うように教室を出て行った。


 誰もいない廊下に出ると俺はそっと虹雪さんの髪に触れ、瞳が見えるように前髪をずらす。

 虹雪さんは零れこそしないが、瞳にいっぱいの涙を溜めていた。顔は青ざめ苦悶の表情を浮かべている。


「朝倉くん……ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい……」

「謝るのは俺のほうだ、もういいからさっさと保健室に行こう」


 虹雪さんは身体の重心を頑なに俺に預けようとしない。俺はそれが悔しくて、ぐいっと虹雪さんに身体を寄せる。


「朝倉くん、どうして私にこんな事をするの……?」


 それでも虹雪さんは俺を離すように、一人で歩くように重心を預けない。


「分からん、体が勝手に動いてた。ただ単に放っておけなかっただけ」


 ぶっきらぼうにそう告げると、肩を抱く手に力を込める。


「理由があるとすれば、虹雪さんが可愛いからかな?」


 照れ隠しにそう答えると虹雪さんは微かに笑って、やっと重心を預けてきてくれた。

 体にかかる虹雪さんの重さを感じる。甘い香りと柔らかい感触が俺の心を滅茶苦茶にかき乱す。


「朝倉くんは、優しいんだね……」


 その弱くて儚い声は、俺の心の一番深い所まですとん、と落ちていった。

 その瞬間、俺はずっと分からなかった気持ちの名前を知る。

 もやもやしていて暖かくて温くて甘ったるいこの気持ちの名前は、好き、というらしい。


 今俺を頼りに寄り添ってくれている虹雪黒子に、どうやら俺は完全に惚れてしまったらしい。自覚すると喜びに満ちた感情が身体中に駆け回る。虹雪さんの事が好きで好きで仕方がない。


 頼りにされると何よりも嬉しくて、誰か他の男に触れられると嫌な気持ちになる。彼女の事を知りたくて、独占したくてしょうがなくなる。

 彼女の素顔に出会ったのは昨日だ。思えばその時から俺は打ち抜かれていたのかもしれない。軽はずみかもしれない。時間が足りないのかもしれない。けれど俺はこの気持ちが消えてしまう事なんて絶対にないと誓える。


 俺は、虹雪黒子が好きだ。

 好きだから、話しかけるし、昼ごはんも一緒に食べるし、クラス中の注目を集めてまで彼女の傍に行ったのだ。たったそれだけの単純な理由だ。

 もう俺に迷いは無い。虹雪黒子を好きならば、俺がすべき事に迷う必要は無い。

 俺は彼女の全てを支えるつもりで、保健室まで歩いていった。


 俺は恋愛なんて妥協と諦めの結晶なんだ、と結論を出していた。そんな結論を出すまで、恋愛の事について考えていたのだ。

 俺はその甘ったるくて面倒くさい感情に憧れていた。憧れていたからこそ臆病になって否定的になり、自分には関係がないと決め付けた。


 だけど俺は虹雪さんという人を見つけて、妥協と諦めが吹き飛んだのだ。そして憧れが心からあふれ出した。

 一度溢れたそれは激流となって俺の感情を支配し、猛スピードで虹雪さんに対して動き出す。


 もう止まれる気がしなかった。

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