15話『しあわせのこたえあわせ』
ずいぶんと久しぶりに虹雪さんに会った気がする。彼女はあの日と同じように公園のベンチに座っていた。そしてまた、あの日と同じように前髪で瞳を覆っている。
俺は震える脚と荒々しい呼吸を押さえ込んで、ようやく彼女に話しかける。
「虹雪さん」
何度この名前で呼んだだろう。彼女はゆっくりと顔を上げた。
俺の登場に喜ぶわけでもなく、驚くわけでもなく、ただ虚ろに虹雪さんは動作した。
視線は合っているのかどうかは分からないけど。俺は虹雪さんを逃がさないように、ゆっくりとした動きで隣に座った。
虹雪さんは胸を抑えている。以前にもこんな事があったな。
「身体、大丈夫?」
「心配しないで下さい、大丈夫です」
その声は虹雪さんにしては随分刺々しく、俺を不安にさせた。
「……さっき志乃に会った時胸がすごく痛くなりましたが、以前のように動けなくなるような事はありませんでした……あはは、随分都合の良い痛みですよね」
虹雪さんは身体的な痛みさえ自分を責める為に使う。
「私って本当に都合のいい、調子のいい、浅はかな人間です……どうして私の隣に座っていられるんですか? 訳が分からないです」
「志乃さんから全部話は聞いたよ。虹雪さんが中学生の時に何があったか、虹雪さんがそうやって瞳を隠す理由も、全部全部聞いた」
虹雪さんは冷たさから身を守るように、自分を抱いた。それはさらに虹雪さんが自分の殻に閉じこもるようにも見えた。
「じゃあ、今更なんで私の隣にいるのでしょうか。朝倉くんが私に優しくする理由なんて、何一つ存在しません、いや、元から私みたいな人間と話す理由なんて全くないはずです」
これ以上、虹雪さんが自分を責めるのを、俺は見ていられなかった。
「虹雪さんがどんな事をしてきたからと言って、俺が虹雪さんを嫌いになる事はありえないよ」
虹雪さんが硬直し、微かに震える。
「俺の声が虹雪さんの寂しさを拭えるのなら、ずっと聞かせてあげたい。って昨日電話で言ったよね。その気持ちは虹雪さんの過去を知っても変わらなかったよ」
俺はゆっくりと虹雪さんの前髪に触れ、虹雪さんの瞳を真剣に見る。
不思議と緊張はしない。心音は勿論暴れ狂ったようにどきどきしているけど、頭はすっと鮮明だった。そりゃそうだ、あれだけアリカやみんなに励まされたんだから。
もう迷ってられない。俺のいう言葉なんてたった一つだけだ。
「虹雪さんがどれだけ自分の事を嫌っていても、虹雪さんがどれだけ自分の事を憎んでいたとしても。俺は虹雪さんの……俺は黒子の事が好きだ」
言った。
ついについについに、ずっと言えなかった想いを口に出す事ができた。
真正面から、気の利いた台詞を言う事は出来なかったけど、想いを伝える事ができた。
「黒子が嫌いなその瞳。俺は大好きだ。他にも全部全部全部、何もかも全部含めて黒子の事が大好きなんだっ!」
我ながら超恥ずかしい事を口走っている。でもこれ以外に黒子に伝える事なんてない。
黒子は俺の言葉を呆然と聞いている。
「嬉しい、ですよ?」
黒子の瞳からはぽろぽろと、あの日と同じように大粒の涙は流れてきた。
「そうなったらいいなって、朝倉くんが私の事を好きになってくれたらいいなって、ずっとずっと願っていました。けど……私は、その想いを受け取る資格が無いじゃないですか」
黒子は前髪に触れた俺の手を痛いぐらいに握り締め、涙を止めようともしない。
「私がこの手に触れられるだけでどれだけ幸せか分かってるんですか? 朝倉くんに笑顔を向けられるだけで、どれだけ心が満たされるか分かってるんですか? その幸せを受け取る資格が無いことが、どれだけ辛いか、分かっているんですか……」
黒子の表情は完璧に混濁していた。幸せと悲しみを同時に感じて、子供のようにどうしたらいいか分かっていなかったようだ。
「志乃の事、裏切れないのに! それでも私は朝倉くんに出会ってから、想いを抑えようともしなかった! 料理を作ったり、電話をかけたり、恋人のように寄り添ったり! そして、こうやって朝倉くんから好きだと言われて、馬鹿みたいに苦しんでる! 何やってるんですか、私は。矛盾して後悔して、朝倉くんと志乃の事、二人とも裏切ったじゃないですかっ!」
黒子は俺の掌を、宝物のように両手で包んだ。
「でも、止められないじゃないですか……想いは。溢れて溢れて止まらないんです」
黒子の行動と表情はぐちゃぐちゃだ。かつてこれだけ黒子が感情を暴走させた事があったか。
「でも、だからって志乃を絶対に裏切れない……」
黒子は優しいんだな、と感じる。誰に対しても裏切れずに、自分だけが苦しい道を選んでしまうのだ。
俺の好きになった女の子は、そういう女の子だ。
優しくて可愛くて謙虚で臆病で、こんな風に涙を流せる黒子が好きだ。
だからこそ俺は黒子を救いたいと思う、そろそろかな、彼女は絶対に来てくれるはず。
「志乃さんは、もう黒子を許してるって言ってたよ……ほら」
黒子の肩を抱いて、公園の入り口を見るように促す。
「嘘……」
黒子は信じられない、といった表情で視線の先を見る。
「……黒子ぉっ!」
そこには、黒子がずっと謝りたいと望んでいた女の子がいた。
「志乃」
真っ暗なのに、声を聞いただけで黒子は掠れた声をあげる。
「黒子……ごめん、ごめんねっ……!」
志乃さんは堪えきれない、といった様子で黒子に駆け寄る。俺は虹雪さんをゆっくりと立たせると、志乃さんと向かい合わせる。黒子がすごく不安そうに、小さくなったように思えた。
大丈夫だよ、といつかのように耳元で囁くと、黒子は緊張を解く。
「黒子、ごめんね……今更謝ったって遅いのは分かってる。けれど、離れ離れになってやっと気づく事ができたの」
「志乃……違うの、違う、あの時は私が全て悪かったんだから……」
「違うよ、誰かが誰かを好きになる事は止められないんだよ、黒子が朝倉くんの事を好きな事を止められないようにね」
一歩、志乃さんは黒子に近づいた。二人の距離は手を伸ばせば抱きしめられる距離まで近づいていた。
「……私は、たくさんの人を裏切ったんだよ。志乃、志乃の恋人、朝倉くん。そんな私が今更許してもらう権利なんかないよ」
寂しそうに黒子が言う。その姿はか細くて、か弱くて、溶けてしまいそうな姿だった。
「裏切るとか、権利とか、資格とか、そんな言葉は俺達にはいらないだろ」
できるだけ優しく、黒子に話しかける。黒子の存在をここに繋ぎとめるように。
「そうだよ、私がもう一つ気づいた事があるんだ。私と黒子が親友だって事。どんな友達だって代わりなんていない、唯一無二の親友だって事」
黒子は瞳を隠さずに、真っ直ぐに志乃を見つめる。
「それは、今も、続いているの?」
恐れながら、黒子が志乃に尋ねる。
「俺はそう思うな」
俺は笑顔を浮かべて、黒子の背中を僅かに押した。それは本当に僅かな力だったけど、黒子の勇気を押すのには十分な力だった。
志乃さんも両手を広げて、黒子を迎える。黒子は躊躇いながらも、志乃さんの胸に顔に飛び込んだ。
「黒子、私達は親友だよ。黒子の事は許すから、私がずっと黒子を苦しめた言葉を、言った事を許してくれるかな……」
志乃さんはぎゅっと黒子を抱きしめる。
黒子も志乃さんの背中に手を回し、抱き返す。
「……うん、許してくれて、ありがとう……」
それから、志乃さんと黒子は声をあげて泣き出した。
抱き合いながら、周りを気にせずにひたすらに泣いた。
ありがとうとごめんねをずっと繰り返す。
俺はどうやら、二人の女の子を救うことができたらしい。
「……やったじゃん、ジオン」
聞き慣れたアリカの声、公園の入り口からアリカが現れる。志乃さんの事はアリカに頼んでおいたのだ。間に合って本当に助かった。
「本当は俺がかっこいい言葉をかけて、虹雪さんを救えたらよかったんだけど」
「でもジオンらしい落とし方かもね。これで本当の本当にクロコは救われた。クロコの事を大切に考えた結果がこれだったんでしょ?」
ああ、と俺は志乃さんと黒子から離れてアリカと話す。
「大切にしてあげてね、クロコの事だからきっと一生あんたに添い遂げるわよ、いやマジで」
ぐっ、と強めのパンチを胸に貰う。どんとこい、だ。
「いや、まだ返事貰ってないし……」
「……いやもう、驚かないわよ。ほんっとトロいわね、ジオンは」
アリカがいたからここまでこれた。黒子を探してくれたみんながいたから、こうして黒子は涙を流して救われたのだ。
「ありがとう……みんな」
二人が泣きやみ、笑顔で笑い合った。
その光景を微笑みながら見ていたのだが、志乃さんとアリカがニヤニヤしながらこう言った。
「あとはお若い二人で」
そんなこんなで、夜の公園で黒子と二人っきり。彼女達はそそくさと帰っていったのだ。
ええと、俺は返事を貰う、という事でいいのだろうか、ああ忘れようとした問題が浮き彫りですよ。やっぱりなんだかんだ言って不安なわけで、ここで振られたら物凄く格好悪いというか俺は多分舌噛んで死ぬだろう。
いや分かってる。黒子が俺の事を想ってくれるのは十二分に。でも、付き合うのは別です!とか言われたら、俺はソウデスヨネ! としか答えられないヨ。
「朝倉くん……」
控えめな声でそう言われれば、俺はガチガチに緊張して黒子を見なければいけない。
「何とお礼を言っていいか、その、私がずっと悩んできた事を解決してくれて、たくさんの友達を私に巡り合わせてくれて……本当に、ありがとうございます」
しっかりと頭を下げる黒子。ああ、なんて真面目で優しいんだ。
「その、それで、告白してくれた、事に、ついてなんですが……」
消え入るような声で、黒子は呟く。
実はお父さんを見るような目であなたを見ていたんです。パパー!
実は好きだけど付き合いたいとかじゃないんです、ごめんなさい。
実は優くんの事が好きなんです! オタクキモイ死んでください!
実は私……志乃の事が好きなんです。その、女の子として。
ありとあらゆる選択肢がずばばばばばと表示される、いや、ないはずだ! そんな事はないはずですよね!
「わた、私なんかで本当にいいんでしょうか? 地味で暗くて目立たなくて、取り得なんてなくって……」
「勿論いいに決まってるだろ! だからさっきも言っただろ、何もかも全部含めて黒子が好きだって、他の誰でもない黒子が好きだって」
ぼっしゅーん! と黒子の頬が一気に真っ赤になった。おお、実に面白い。
「はぅううう、やっぱりこんな時も朝倉くんは朝倉くんなんですね……」
「黒子、もう一度はっきり言うよ。俺は黒子の事が好きだ。付き合いたい、恋人になってほしい、友達じゃなくて恋人になりたいんだ」
黒子は見ていられない、と俯いて両手を胸の前に組み、もじもじする。
「わ、わざわざ言うまでもないじゃないですか……私が朝倉くんをどんな風に想ってるなんかなんて、きっとバレバレでしょう」
「いや俺はバカだからきちっとした言葉を貰わない事には」
黒子はその両手を俺の頬に添えた。身長差から、ちょっとだけ黒子は上目遣いになる。
俺は完璧にその視線に打ち抜かれる。
ず、ずるいぞ……! 女の子ってなんてずるいんだ。
「これが、こたえです」
瞬間。俺の唇に柔らかい感触。
押し付けるように、幸せを伝えるように、唇と唇が強く触れ合う。
言葉の代わりに、俺への想いを伝える為に強く強く触れ合う。
すごく甘くて、幸せで、涙が出るほど嬉しくて、生きていて最高の瞬間だった。
正直激しい。舌こそ入れられていないけど、あまりにも積極的だ。
黒子、なななななな。なんかキャラが違わないでしょか?
「ぷふぁああああっ!」
黒子さんからようやく開放されて、俺は色気ゼロに酸素を求める。
「私も時音くんの事、全部好きなんですから。負けないぐらいに大好きです」
頬を真っ赤に染め上げながらも、黒子はそう言った。
今、時音くんって言わなかったか!
「今までずっとずっとず~っと我慢していました。もう一度確認します。時音くんは私を受け入れてくれるんですね?」
「は、はいそうです!」
不思議な迫力を持った黒子に対して、俺は思わず敬語になってしまった。
えへへへ、と照れながら笑った黒子は信じられないぐらいに可愛い。愛くるしい瞳はキラキラと輝いて、感触を知ってしまった柔らかな唇も俺に眩暈を覚えさせるには十分だった。
「私も、時音くんと恋人になりたいです」
もうだめだ、可愛すぎる。そして愛しすぎる。きっと俺はこの為に生きていたんだ。
黒子は再度俺の両頬を添えて、少し強引気味に唇を重ねる。
「む、むーっ!」
嬉しくてしょうがない様子で黒子は口付けを交わす。
い、いかん、黒子! 俺の理性を壊しにかかるな! 背中に手を回すな! ちょっと! 吐息が、吐息を止めて! 「んぁ……」とか言わないで!
あれ、でももう理性を止めなくていいんだっけか? そういや晴れて恋人同士なわけだし、別に制限とか無いわけですよね?
黒子が唇を離し、潤んだ瞳で俺を見つめる。あーもう理性とかいいやー。
「もう、私を一人にしないで下さいね……」
その瞳から大粒の涙が流れた時、俺の理性はかろうじて保った。
そうだ、彼女はずっと一人だったもんな。俺が一緒にいないと、俺も一緒にいたいし。
「うん、もう黒子は一人じゃないからな」
そういって俺が力強く抱き返すと、黒子は力を抜いて俺に身を任せた。
五月の夜風はとても爽やかだ。
春はそろそろ終わって、暑くなって夏がやってくるだろう。
そんな夏に、俺は黒子の隣にずっといよう。
夏が過ぎて、冬が来て、春になって、桜が咲いて、季節の全てを黒子の隣で過ごそう。
腕の中の、俺の大切な恋人と一緒に。
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