14話『瞳の秘密』
虹雪さんは中学の頃、長すぎる前髪やスカートで自分の外見を隠す事などしていなかった。他の生徒よりも少し口数が少なく、人見知りするぐらいの女の子だった。
もっとも綺麗で長い黒髪と、中学生にしては大きめの胸、整った顔立ちに愛らしい瞳。それらは男子中学生にとっては憧れの的であった。
虹雪さんと志乃さんは唯一無二の大親友であった。中学生からの付き合いであるものの、いつも二人で一緒に行動し、昼食も必ず一緒に食べていた。二人とも大人しく積極的なタイプではない、そういう共通点があったから仲良くなれたのだろう。
三年生になっても二人の関係は続いていた。ずっと同じクラスだったという事もあり、二人の絆はより深くなっていた。そんな時とある変化が訪れる。
志乃さんに彼氏ができた。
虹雪さんは一切の嫉妬も羨望もなく志乃さんの幸せを祝福した。志乃さんも彼氏に虹雪さんを紹介し、何も隠す事無く虹雪さんと親友でいられた。
必然的に志乃さんの彼氏と虹雪さんの顔を合わせる機会が増える。三人で遊びにいった事もあった。彼氏も虹雪さんに好意的で、関係はいたって良好だった。
いや、良好過ぎたのである。
志乃さんの彼氏は、虹雪さんに心を寄せてしまったのだ。
彼氏の告白を虹雪さんは当然断る。そして、その事が志乃さんに伝わった。
志乃さんは淡々と事情を説明する。辛そうに痛みを堪えるように彼女は話し続ける。
「今思えば、どうしてあんな酷い言葉で彼女を責めたのか分かりません」
過去を語る志乃さんは誠実だった。虹雪さんの友達であるというのも納得できる。
「私は彼女に……黒子に酷い言葉を浴びせてしまった」
志乃さんは僅かに涙を滲ませる。
「あんたのその瞳が、私の大切な人を奪ったんだ。そう、私は言ってしまったんです」
それ以上、志乃さんは言葉を発する事が出来なくなってしまった。彼女は俺に向かって懺悔していたのだろう。
そっか、それで虹雪さんはずっと瞳を隠していたんだ。あれだけ綺麗で愛くるしい瞳を、誰かを傷つけないようにずっと隠していたんだ。
もったいない、なんて軽い言葉で見てよかったものじゃないかもしれない。けれど俺は虹雪さんの瞳を見れて良かったとも思える。そうして彼女に近づけたのだから。
俺は志乃さんに、できるだけ優しい口調で話しかける。
「話してくれてありがとう、これで虹雪さんの所に俺は行ける」
虹雪さんの秘密も悩みも話してくれなかった痛みも、全部含めて彼女に会いにいける。
「ごめん、なさいっ……! それっきり黒子とは話さなくなって、黒子はずっと一人で学校生活を送ってた……私はそんな彼女をずっと、ずっと……憎んでたの……軽蔑するでしょ、こんな酷い人間」
「いや、だって君は泣いている。虹雪さんの事を思って泣いてくれる。もう許したんだろ。後悔してるんだろ」
「高校で離れ離れになって、時間が経ってやっと私は気づいた。人を好きになる気持ちは止められないし、私がその気持ちに勝てなかっただけって事。いいや、違うね。そんな事じゃなくって」
志乃さんは大粒の涙を流しながら、本当に寂しそうに言った。
「黒子が、私の唯一無二の親友で、大切な事」
俺は志乃さんと虹雪さんの関係を詳しくは知らない。けど、こうして大粒の涙を流したり、絶叫して走り去ったりするぐらいに心と心を強く共有した事は分かる。
ボタンを掛け間違えてしまったけど、こうしてお互いの為に涙を流せるなら彼女達はきっと親友に戻れる。
「……大丈夫、きっと戻れる。君の為にも虹雪さんの為にも、そして俺自身の為にも彼女を絶対に見つけてみせる」
力強くそう言うと、俺は志乃さんに背を向ける。
「虹雪さんを許してくれてありがとう。君が虹雪さんの親友で良かった」
「でも! 私は、黒子に酷い言葉をっ」
俺はゆっくりと脚を伸ばす。久々に走る事になるな。
「それでも君が親友でいてくれて良かった。どれだけ傷つけても後悔したとしても、君と虹雪さんがお互いに想い合ってる事は真実だからさ。今からそれを証明してくる」
俺はアスファルトを蹴って駆け出した。もう足は震えない、竦まない。
「お願い、黒子を救ってあげて」
志乃さんの声は掠れていた。茜といいアリカといいこの人といい、虹雪さんはみんなから愛されてるようだった。
一番愛してるのは俺だけどな。
夜の街を走り続ける事で虹雪さんとの記憶が蘇る。夕日のベンチ。冷たかった教室。美味かったオムライス。悲しかったクローゼット――虹雪さんと笑い合った通学路。
そしてこれからそんな記憶がきっと増えていく。増やしてみせる。今まで一人だった彼女と幸せになりたいから。
俺は全速力で夜の高校の校門前に辿り着く、虹雪さんとの思い出の大半はここだ。でも人気は感じられなかった、分かってる。虹雪さんは夜の高校に忍び込むほど行動的じゃない。理解はしたけど心当たりがないんだ。
普段の運動不足が響いたのか、がっくりと膝を折って俺は座り込んでしまう。ゴールが不明なマラソン程疲れるものはない。心だけ全力疾走でもままならないのだ。
それに今まで考えないようにしてきたが、告白が成功するとも限らないじゃないか。俺が虹雪さんの事が好きなのは疑う余地がない。けれど虹雪さんが俺の事をどう思っているかなんて、はっきりとした言葉で聞いたわけじゃない。人の心や気持ちなんてどれだけ考えても分かるものか。
ひょっとしたら、恋愛感情ではなく家族のような感情で虹雪さんが俺を想っているとしたら?
強く否定はできない。今虹雪さんは茜と二人暮らしだ、父親のような感情を俺に向けていたのかもしれない。
身体の疲れは精神まで犯す。おまけに夜の闇でどうしても考えがナーバスになってしまう。くそ、俺は今まで自分の事しか考えてなかったじゃねぇか……。
絶妙なタイミングで着信音が鳴った。
俺は藁にもすがる思いで答える。
『茜だよ。お姉ちゃんを見つけた、あの公園にいる。あんたが一番最初にお姉ちゃんに本当に出会ったあの公園。分かるよね、私の言いたい事』
「――ああ、そっか。あの公園か。虹雪さんらしいというか」
『お姉ちゃんにとっては、あの場所が全ての始まりだったのかもしれないね』
俺にとってもそうだ。あの時俺は初めて虹雪さんに出会った。愛らしい瞳に気づくことができたんだ。
「なぁ茜、虹雪さんって俺の事どう想ってるんだろうな」
『……今更! なんという今更! 今世紀最大の今更じゃない! いちいち聞くまでもないでしょうが。好きに決まってるでしょ!」
「いやそれは家族愛みたいなもんじゃないかとか」
『バカ! ばかばかばかばかばか! ああもう、なんであんたは……ッ!』
不安なのだ、今までの全てが勘違いだったんじゃ? とか馬鹿な事を考えていると、なにやら通話する俺に走りよる足音が聞こえた。
不審者か、と俺が通話を切り身構えると、夜の闇から軽やかなステップが聞こえる。
ちょっと待って! ちょっとヘタレただけじゃん! いきなりバッドエンドかよ、クソゲーじゃあるまいしー! 俺が混乱すると、闇の中から赤い髪の少女が素早く躍り出る。
飛び石のように右、左、フェイントをかけて俺に突進してくる。
「いやぁああああっ! アリカさんやめてぇええええええええ!」
そう、闇の赤髪の襲撃者、アリカ・ランプは俺に完璧なショルダータックルを繰り出してきた! なんでやねん!
紙吹雪のようにアリカに弾き飛ばされた俺は、校門前をどてんと二バウンド。えぇ二バウンドしましたよ。どてんどてんと。視界が裏返り、街灯がレーザー光線のように尾を引き、俺は夜空を強制的に観察させられた。仰向けである。
「まったく……ここでヘタレるとは思わなかったわ、予想以上のヘタレね」
息を切らしてアリカが俺を見下げてくる。
「な……! 闇の疾風、アリカ・ランプ、生きていたのか!」
「はいはいボケないボケない。高校でクロコを探してたら、ジオンのヘタレ声が聞こえてきたのよ。偶然というよりは運命ね。神様に感謝だわ」
神様ひでぇ。
「……ねぇ、さっきのジオンの言葉は本気で言ってたの?」
月を背にして、アリカは真剣な顔で俺に聞いてくる。
思えばこうやって夜にアリカと話すのは二度目だ。この前もお互いに言いたい事を言い合ったかな。
「だって不安じゃないか、さっき告白しようとしても全く言葉が出てこなかったし。勢いづいたようで、結局俺は虹雪さんに嫌われるのを怯えてるんじゃないかな」
はぁ、とこれみよがしにアリカは大きな溜息をついた。
「これは私の持論なんだけど、友達と思ったら友達なの。仮に相手が友達と思ってなくても成立するって信じてる。だって別に友達って義務でも仕事でもないでしょ? だったら自分の物差しで決めればいーのよ」
……おい、それって俺が虹雪さんに言った言葉じゃないか。
「きっとこれって恋人にもあてはまると思うの。片思いだって素敵な恋人。相手がどんな風に想ってるかなんて関係ない。ジオンはクロコに嫌われたとしても、クロコの事を好きな気持ちを止められる? 恋人じゃないって諦められる?」
自分で放った言葉の中に、答えが隠れていた。
アリカは真っ直ぐに俺を視線で貫く。燃えるような赤髪は月光に照らされて、キラキラと自ら光り輝く女の子は俺に宣言する。
「答えなんて決まってるでしょ、ジオンはクロコへの想いを止められないし、諦められない。嫌われる? 避けられる? それがどうしたって言うのよ」
アリカは俺に手を差し伸べる。これで二度目だ、彼女が俺に勇気をくれたのは。俺はその手を力強く握ると、二つの足で大地に立つ。
「何度拒まれたとしても、何度でも立上って想いを伝えればいい。私が何度でも手を貸してあげるからさ」
ぎゅっと握った掌からは、温かなエールが伝わってきた。
俺は何回アリカに助けらればいいのだろうか。本当にアリカと出会えて良かった。
「そうだよな……胸、張ればいいんだ。成功しても失敗しても、俺が虹雪さんの事を好きな事は絶対に変わらないんだから」
アリカはぱっと笑顔になって、俺の背中を強く叩いた。
じんわりと背中に広がる熱に、勇気が宿っているようだ。
「ばーか。まったく世話が焼けるんだから、ほら、さっさと行ってきな」
そのまま押されて走り出しそうになるが、俺はアリカに振り返る。
「そうだ、頼まれてくれるかな、大事な事なんだ」
アリカは少し呆れて、また俺に元気をくれる笑顔を浮かべて頷いた。
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