12話『本当に可愛い女の子』
夕方になると流石に茜ちゃんが疲れたようで、虹雪姉妹は一足先に更衣室に戻った。優もそれに続いて、俺とアリカだけがプールサイドに残っていた。
夕焼けに染まるプールサイドはそれなりにドラマティックで、異性と二人ならば最高のシチュエーションだ、けれど俺は特に緊張せずにアリカと遊んでいた。
「アリカ、降参するから、もう許してくれないかな」
「ふ、ふふふ、ようやくギブアップかし、ら……」
どどっと俺とアリカは並んでプールサイドに倒れこんだ。もう千発は発射しただろうか、軍用水鉄砲合戦はあまりにも楽しすぎた。だって当てるごとに相手がちょっと浮くんだぜ? 男の子としてこれは躍起にならざるおえない。
「あー、今日は楽しかったにゃー」
「死ぬかと思ったけどな」
仰向けに寝転んだアリカが満足そうに呟く、出会って間もないというのに仲良し過ぎだろうか。俺もこんなに楽しかったのは久しぶりだ。
「ジオンも何か考え事してたみたいだけど、ちょっとは気が晴れたかなー?」
俺は悩みが顔に出やすいタイプみたいだ。優やアリカがちょっと優秀に人の心を察知できるだけかもしれないけれど。
「どうせジオンの悩みなんかクロコ関連行一択だろうけどね、今日は結局あんまりクロコと話してないでしょ」
「図星ですなぁ」
「なーにを悩む必要があるんだろうねぇ」
アリカは本当に不思議そうな声色だった、俺はお前の事で悩んでるんだが。
「好きなら好きと、付き合ってくださいって言えば終わりなんじゃないのかな」
「……そんな簡単な事じゃない」
「簡単な事でしょ」
アリカは身を起こして俺の顔を見下ろす。その視線は有無を言わさない強い力を持っていた。
「ジオンはクロコの事が好き、間違いなくクロコはジオンの事が好き。両想いじゃない、きっかけさえあればいつでも恋人になれる」
「虹雪さんが俺の事好きなわけないだろ」
「昨日買い物に行った時、クロコは服を選ぶ度にジオンから何て思われるかを気にしてた。引かれないかな、可愛いって言ってくれるかなって。それでもあんたはまだ好かれてないって言うわけ?」
「え、あ、いや、けれどそれだけで虹雪さんが」
自惚れちゃいけれない。ただ単に俺は一人で寂しかった虹雪さんに手を差し伸べただけ。別に男として好かれてるわけじゃなくて、寂しいから話しかけられてるだけで。
「いつまで虹雪さんって呼ぶ気かな、あんたたちってそんな他人行儀な関係じゃないでしょ」
「他人との距離を大切にだな」
違う。俺は無意識に虹雪さんから逃げてるんじゃないのか。
俺の言葉で彼女を傷つけたくなくて、俺の行動で泣かせたくなくて、遠まわしに照れ隠しをして、本当の言葉を伝えた事なんて一度も無い。
「どうして? クロコはきっともうあんたしか見えてない。どれだけジオンが失敗しても一途にジオンの事を想い続けると思う。私には、分かるような気がする」
俺は仰向けになったまま、アリカに視線で射止められて動けなくなっていた。頭の回路も負担でどうにかなりそうだ。
「虹雪さん、じゃなくて黒子って呼んで恋人になって、それでクロコの寂しさを拭ってあげればいいじゃん。たったそれだけの事がなんできないの?」
「……虹雪さんは、俺の傍にいちゃいけないって言ってた」
「その理由を聞き出すのも恋人にしかできないじゃない。そんなの逃げてる理由になんないよ、どうして、なんでジオンは」
アリカは俺の肩を強い力で掴んだ。真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに俺の瞳を射抜く。
「どうして、クロコから、逃げてるの?」
アリカの表情は切り裂くように真剣で、俺の心臓を切り開いて心を直接見るかのようだった。
俺はほんの少し怯えさえ覚える。
「だって俺は、アリカの事も放っておけなくて」
その俺の言葉はアリカのスイッチを入れたようだ。
アリカは一瞬、目を見開いて硬直した。ほんの少し頬も染めていた。
けれどそれはほんの刹那の間で、アリカは次の瞬間、俺の片腕を掴み、一気に背負い込んだ。
「私をっ!」
アリカの顔は真っ赤で、きっとそれは照れているとかそんなんじゃなくて。
「逃げ道にっ!」
俺に対する呆れと、全力で全開な怒りの赤ら顔だった。
「使ってんじゃねぇええええええええええええええええっ!」
プールが爆発した。
アリカの華麗な背負い投げが俺をプールへと着弾させたのだ。一切の手加減も無く、したたかに水へと打ちつけられた俺は、激痛に沈む。
「ジオンの馬鹿っ! それがどれだけ私に対する侮辱だと思ってるの! ジオンが私の事を好きなわけないじゃないっ!」
ようやく顔を水上に出すと、鬼のような形相のアリカがプールサイドから見下ろしていた。
「そんなの私が一番良く分かってるわよっ! 好きな女の子に対して水鉄砲を容赦無くぶち当てるわけないわよ、あんなにも無意識に優しい言葉をかけるわけないわよっ!」
アリカは、ほんの少し瞳に涙を浮かべていた。
「私に向ける言葉や行動は、友達に対するものと一緒。例え違ったとしても、私がそう感じたんだから、それは真実なのよ。ジオンは、私を女の子として見てるんじゃないんだよ?」
「でも、アリカの事が心配なのは確かなんだ」
あまりにも弱々しい自分の声に苛立つが、自分の感情に嘘をつけない。嘘をつくような人間はアリカの前に立っていられない。
「見くびらないでよ、私はあんたの助けなんていらない。自分の力で自分の居場所を作る。私はそれができるほどの強さは持ってる。余計な同情なんていらない」
アリカの怒りは冷えてきて、強がった表情でずっと涙を堪えていた。
「だったらそんな顔するなよ、助けたいとか、頼られたいとか、思うじゃねぇか」
「思わないでよ、あんたはクロコだけ見てればいいでしょ」
ついにアリカは俯いて、俺から視線を外すのだった。
茜色に染まるプールは、アリカの激昂で空気が緊迫していた。長い沈黙が流れる。
俺とアリカはその場を離れる事ができなかった。アリカはプールサイドに腰掛け、足を水につけている。俺も何故か体が動かなくて、ずっと水に浸かっていた。
「……ごめん、痛くなかった?」
「自業自得だし、俺のほうこそひどい事言ってごめん」
気まずいはずなのに、離れてしまうと二度と会えないような気がして、俺は動けなかった。だってあのアリカなのだ、勢いでアメリカに帰ってしまってもおかしくない。
それ以上に話を聞いて欲しくて、でも言い出せなくて、言葉を飲み込む事を繰り返していた。
「私はジオンの事、別に好きじゃないんだよ」
ポツリ、とアリカは呟いた。その声が小さくて、俺は聞き逃さないようにアリカに近づく。
「そりゃあ最初はさ、なんか妙に優しくて、クラスで浮いてる私に普通に接してくれたし、ありがたいなぁとか思ったよ。ちょっとドキドキする事もあった。けどね、ジオンの中にはもうクロコがいたから」
アリカが足を上げる、水が俺の顔面に跳ねた。
「きっとクロコがいたから、ジオンがクロコに優しかったから、ジオンは私の事を助けないといけないって思ったんじゃないかな。もう一度同じ事をしないと、自分が下心でクロコを助けたって認める事になってしまうから」
俺はそれに対してなんの反論も出来やしなかった。的確で精密で、俺の心の芯の所を的確に捉えていた。
アリカの表情は伺えない、声も平坦で、何かを諦めたような声色。
「それか、ただ単にジオンが優しすぎるだけかも。誠実で優しすぎるから、私の事を好きなんじゃないかって悩んだのかもね」
「俺はアリカの事を好きかもしれない、だって虹雪さんの事を考える度、罪悪感と一緒にアリカの事を考えるんだ……ごめん、今の一言だって、アリカの事を傷つけた……」
アリカの手が俺の頭に触れる、そのまま濡れた髪をすっと撫でると、俺の瞳を覗き込んできた。
「やっぱり、単にジオンが優しすぎるだけだったね。いいんだよ、誰かの心を傷つけても。その傷の痛みを共有できれば、恐れて離れるよりはよっぽどいいんだよ」
アリカは、出会ってから今までで、一番綺麗で可愛い顔で笑っていた。
「私、ジオンの事大嫌い。だって心の中はもうクロコのスペースしか空いてないから。もうちょっと早く転校してれば……」
アリカは俺に手を差し伸べる、俺はその手を握ってプールサイドに上がろうとした。
けど、俺の唇に何か柔らかいものが触れる。
唇から、たくさんの想いが流れ込んでるくるように感じる。俺は初めてだと言うのに、キスを受け入れる。
数秒間、俺の心にアリカとの思い出が蘇った。
アリカは楽しいやつだった。
楽しくて、楽しくて、俺にないものをたくさん持っている。
俺はそんなアリカが大切なのだ。
大好きという気持ちは、他の女の子の為に取っておくけど。
やっと唇が離れる。虹雪さんに対して少し後ろめたい気がするけど、こうやってアリカと触れ合えて良かったと思う。
「俺は虹雪さんの事が好きだ、大好きだ。けどアリカも俺にとって大切な存在だから、絶対に見捨てないからな」
「もぉ……分かった、それでいいわよ。けど絶対女友達として助けてよね。ジオンの一番はクロコだからね」
「ああ、約束する。虹雪さんを好きな事を誓う。アリカと絶対に友達でいる」
俺が決意して、アリカを見つめ返す。もう迷いは無い……と思う。吹っ切れた、と言ったら嘘になる。けど、虹雪さんに対して向かい合う勇気なら、この胸にある。
「クロコの全てを受け入れてあげてね。もうクロコにはジオンしかいないんだから。私は強いからいいけど、クロコはきっと折れてしまうだろうし」
「ああ、もうどんな逃げ道があっても逃げない。虹雪さんの全てを受け入れる。彼女の過去に何があったとしても全部背負って……じゃないな、一緒に頑張ってみたい」
あはは、とからっとした笑顔を浮かべるアリカ。
「ありがとう、アリカと会えてよかった。きっと一人ならまだ迷ってた。アリカがいたから俺は虹雪さんに想いを伝えられる」
「あーはいはい、分かったからさっさと行きなさいよ、私はあんたの事大っ嫌いなんだからさ」
アリカは赤くなって、今度こそ俺をプールから引き上げる。
水飛沫が茜色に反射して、とてもキラキラして綺麗だった。
「ジオン、ありがとう」
アリカは、本当に可愛い女の子だった。
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