10話『電話越しに、君と』
土曜日、温水プール前夜である。特に水着のサイズに問題が無い俺は、ただひたすらゴロゴロしていた。
我ながら非生産的だが、体力は残しておかなければなるまい。しかしあまりにもやる事が無いというのは人間を腐らせてくれる。
午後九時というのは、眠るには早過ぎるし暇で暇でしょうがない。
「ふんっ! ふんっ!」
いや、今から腹筋しても六つに割れるわけは無いんだけど、そんな事ぐらいしかやることがない。
「ふんっ! ふんっ! 腹筋……バイブレーション、おぅ着信」
寂しくて独り言がひどい。急いで携帯のパカッと開けると、表示されたのは虹雪さんからの着信だった。いつか俺が無理矢理電話番号を交換したんだっけか。
「こちらスモーク、中佐、銃を持った兵士がウロウロしているんだが」
『あ、すいません、ま、間違い電話です……』
虹雪中佐にネタは通じない模様、このまま放っていたら本気で切られそうだったので俺は冗談モードをオフにする。
「朝倉だよ、間違いじゃない。どういったご用件かな」
『銃を持った兵士はいないんですね? えと、明日の集合時間を三十分程遅らせるという事らしいので』
「りょーかい、あと何か変更はないかな」
『特にありませんね……』
たとえ用件だけだとしても、好いている異性から電話があれば嬉しい。俺は少し手に汗が滲んで携帯を落としそうになる。
「えと、それじゃあ」
『は、はい、用件はそれだけなんですけど』
切りたくない、けど虹雪さんの迷惑になりたくはないから、俺は通話を終了しようとするのだが、はっきりとは言えないし、お互いに要領の得ない会話が続く。
「に、虹雪さんは今何していたのかな、フヒヒ」
『はは、はい、今はお風呂から上がって髪を乾かしている所で』
是非ともそれを生で見たい、だがそれを言ってしまうと切られそうなので堪える。
「俺も風呂に入って、今実は全裸なんだ」
『今すぐ服を着てください!』
流石にフルチンで腹筋なんて悲惨な光景過ぎるから服着てるけど。想像したらちょいと吐きそうになったぜ。
「嘘だよ」
『朝倉くんは嘘ばっかりですね、電話の向こうだから本当に嘘かどうか分かりません』
「こうして電話するのも面白いもんだな、相手の事を声色と言葉でしか想像できない」
それに電話はほとんどの場合二人っきりだ、相手のと言葉と自分の言葉だけに集中できる。
『朝倉くんの声は低くてかっこいいですね』
「そうなのか? まぁ優よりは低いだろうな。どっちかというとあいつはハスキーボイスだし。声の事をかっこいいなんて言われる初めてだ」
『冗談や嘘を言う時は高くなるんですよ、知ってました?』
虹雪さんの声は溶けるように甘くて優しかった、そんな声で自分の事を聞かれるのは、実に心地よくて愛しくなる。
「あんまり聞かれたくないな、かっこ悪い」
『いえ、その声も楽しくて好きなんです。その声を聞いている時は私、いつも笑っている気がします』
虹雪さんは狙ってやっているんだろうか、俺は堪らなくなって枕を殴りまくる。
「ほっとんどが下ネタとセクハラのような気がするけどな!」
『それは困るのですが、でも楽しいですよ』
今日は褒められまくりじゃないか、そこまで褒められるような人間じゃないけど、虹雪さんに言われたら空も飛べる気分になる、
「……最近はよく喋るようになったな。なんというか、可愛くなった」
お返しに臭い台詞を吐いてみるが、自爆して顔が真っ赤なのが自分でも分かる。
『うぅ、可愛くなったかどうかは知りませんが、よく喋るようになったのは確かです。それは朝倉くんのおかげで、感謝してもしきれぐらいで』
「べ、別にアンタの為にやったんじゃないんだからねっ!」
しまった、あまりに照れてまた虹雪さんに伝わらないツンデレネタを仕込んでしまった。
『朝倉くんのおかげで、寂しくて沈む事も減りましたし』
少し虹雪さんの声のトーンが落ちる。電話だからだろうか、集中して相手の気持ちを探る事ができるのかもしれない。
「俺は、俺はさ。その、減っただけじゃ納得できないというかなんというか、虹雪さんが少しでも寂しいだとか沈んじゃったりするんだとしたら、助けてあげたいとか思うんだ」
言葉が思ったように出力できない、遠回りに当たり障りのないように、言葉を選ぶ自分がもどかしく感じた。
「つまり! その、電話ぐらいだったらいつでも掛けてこいよ! 契約会社が一緒だから通話料が掛からないんだしさ!」
最後に通話料の事を言う俺は、どこまで逃げ道を作りたいんだろうか。
『そこまで朝倉くんに頼るわけには、いきません』
言葉だけ見れば拒絶の言葉。けれどその声は寂しくて、不安に揺れていて俺は全くダメージを受けなかった。
「そうだよな、俺ってばオタクでヘタレでもやしっこだから信頼されてないよね」
俺がこう言えば、虹雪さんの返答は軽く予想できる。
『そんな事はありません! 朝倉くんの事は信頼しています!』
虹雪さんは思ったとおり俺のフォローをしてくれる。
ここ最近の虹雪さんの言葉と行動は矛盾している。俺の傍の居心地はいいが、自分はその場所にいる資格は無い。と言っていたが明らかに会話を交わす頻度が増えているのだ。
現に今こうやって電話をかけてきているし、実質的に俺に頼ってる形になっている。それは俺の自惚れなんだろうか。
「信頼してるんなら頼ればいいのに、誰かに頼られるっていうのは心地いいものだから」
『それでも……私は……』
虹雪さんの声が掠れる。切られるかハラハラしたが、静かに吐息が聞こえてくる。虹雪さんが迷っている証拠だ。
「俺は虹雪さんの声が聞きたくてしょうがなくなる時がある、もしそんな時が虹雪さんにもあるのだとしたら、いつでも俺に電話をくれて構わない」
今度は誤魔化さずに正直にまっすぐに答える、もしも虹雪さんが迷って揺れているのだとしたら、それを押し倒すつもりで。
『私は、どうしたいんでしょうね』
それは俺に向けた言葉じゃなくて、完全な虹雪さんの自問自答だった。
「俺の声が虹雪さんの寂しさを拭えるのなら、ずっと聞かせてあげたい」
頬が燃えるかと思った。体温が明らかに上昇している。手汗もやばいし、なんだか言葉を紡ぐだけなのに体中がおかしくなりそうだ。
虹雪さんの吐息が消える、僅かな沈黙のあとに彼女の鼻を啜る音が聞こえた。
『……電話で良かった』
「え?」
『今朝倉くんの傍にいたら、きっと抱きついてしまったでしょうから』
あまりにもいじらしすぎるその台詞に、今度は俺が言葉を忘れてしまう。
『私にはそんな資格は無いのは分かっているのですが、もし朝倉くんがぎゅっと抱き返してくれたら、とっても幸せなんだろうなぁって……』
もし、そんな状況になったら俺はちゃんと受け止めて抱き返してあげられるだろうか。
虹雪さんの全てを受け止めて上げられるだろうか。
何故か、アリカの顔がちらっと浮かんだ。だから俺は決断することをためらう。
きっとここで決定的な事を言ってしまえば、虹雪さんと俺自身に嘘をつく事になるだろう。
俺が抱き返す女の子は、本当に虹雪さんたった一人か?
「は、HAHAHA! 俺はそんな状況になったら多分おっぱいの感触を楽しむ事に夢中になると思うぜ」
だから、俺は思いっきり逃げた。
『……あはは、朝倉くんはどこまでも朝倉くんなのですね』
ちょっと呆れたようなホッとした声で虹雪さんは笑い声を上げた。無理矢理声を作っているようにも聞こえるし、何かを諦めたかのようにも聞こえる。
こんな時に表情を伺えない電話なんかやっぱり駄目じゃん! と俺は思いっきり前言撤回してみる。我ながら色々支離滅裂でひどすぎる。
『明日は楽しみましょうね、できれば今私が言った事を聞かなかった事にして』
「何か言ったっけ?」
『……ありがとうございます。それじゃあおやすみなさい』
「おやすみー」
俺は逃げるように通話終了のボタンを押した。
肝心な所は臆病になって言えない、まるで栓をしたように好きだ、の一言が言えない。
今の関係が壊れるのが嫌なわけじゃない。嫌われるのが怖いわけじゃない。
俺の告白は、きっと迷いの全て消えた告白じゃないから。
きっと虹雪さんは少しでも俺が迷っていたら振り向いてはくれない。
俺が妥協も諦めも迷いも捨てた時にできる告白しか、彼女に伝えてはいけない。
そう俺は強く強く思ったのだ。
だから、また明日。明日が駄目ならきっとずっと。俺は虹雪さんに向かい合い続ける。
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