#06 到着
国境につきました!
4日目の早朝
前方右側には山肌に白く雪を残す山脈がみえている。
ゴツゴツとした岩肌の露出が増えてきて、ブナの木よりも針葉樹の割合が多くなってきた。
ここまで水辺にちらほら生えていたガマがなくなってしまった。
代わりに丈の短いコケの様なものばかりになってしまって、ガマの茎を振り回すというナトの日課もなくなった。
朝食をとりながらダンテが話す。
ダンテ 「みんな、聞いてくれ。 昨日の夕方に通ったのが最後の関所だったはずだ。 残り国境まで10キロってところだろう。 もう少しだけ進んで、物理防壁が目視できる距離まで行ったら、水辺を探してそこに宿営地を張ろう。 予想ではRYHTAIの侵攻はまだ先なんだが、今日から南側に気を張っていてくれ。 王都までの距離は直線で115㎞だ。 こちらの方が標高が高いから、戦闘が開始されればこの距離でもわかるはずだ。 昼間なら煙が上がるのが見えるだろうし、夜ならば空が赤くなるだろう。 以上だ。 朝食を食べたら、出発だ」
ハンナの診る患者はベレ1人になった。 そして、ベレのケガも完治するまで1週間だろうとハンナは言った。
コールと優のタッグも加わって荷支度をするのは早い。 1分足らずでテントはたたまれ、折り畳み式のテーブルと椅子が馬車に乗せられると、後には何も残らなかった。 ハンナがドロアをカタンと閉めると、馬車は走り出した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
気温は多少上がったが、上着を着ていても汗をかかないほどに涼しい。
馬車が進むほどに針葉樹の森の独特な匂いも濃くなってきて、2時間ほどで一行は目的地に着いた。
馬車は森が終わるところの少し手前に止まった。
唐突に森が開け、200m程の幅の何も生えていない山肌が横一線に続いていた。 そしてその向こう側に、半透明で巨大な壁も同じく横一線に立ちはだかっていた。 強大な壁ははるか上空まで続いている。
『すげぇー…』 馬車の後方から声が漏れる。
優はダンテの後に続いて、馬車を降りた。
ダンテは、森の木々が生える境界線で自分と優の足を止めた。 『放電してる』 ダンテの立つラインの外側でチリチリと小さな音がしている。 この辺り一帯にも『ブヴーン』という耳障りな音がしている。 それの影響か、この一帯には生き物の気配がない。
親子はしばらく、辺りを見渡す。 森の大きさはアウトフィールド側もこちら側とあまり変わらない。
『父さん、向こうだ。 何かある』 優が指をさした。 アウトフィールド側の西に、森の中に広場のようなものがある。 舗装されていて、幅が広い。 ダンテが双眼鏡でのぞく。 『よし、あれが旧道の入り口だ』 ダンテの探していたそれだ。
アリス 「見つかりました?」 ダンテ 「ああ、あった。 西に500mだ。 さぁ、このうるさいゾーンから出よう」
ダンテたちは来た道を1㎞ほど戻って、南側が見えるように開けた高台に宿営地を張ることにした。
馬車の入れるところからは80mほどの距離の上り坂があったが、高台の反対側に10mも下らずに岩の間から出る湧き水があって便利だった。
優たちは荷物を運ぶ。 宿営地とは言っても、これまでの道中と中身はあまり変わらない。 違いは、テントの数と組み立て式の寝具、そして、アリスとハンナの要望の風呂だ。
『師匠の荷物はこれだけですか?』 何往復目かの荷物を運ぶハンナの声は弾んでいた。 アリスからもらったヒスイのネックレスが胸元に輝いている。 よほどうれしかったのだろう。
アリスはあえて言わなかったが、ヒスイのネックレスは本当なら人前で見せびらかしてはいけないくらい値が張る代物だ。 ハンナが年相応の女の子らしさで喜んでくれたことが何より嬉しくて、アリスもテンションが上がっていた。
そんなアリスのもとに珍しく、ダンテの方からやってきて話しかけてきた。
ダンテ 「娣子の修行はどうだ?」
アリス 「ええ、あの子の飲み込みの速さには驚かされます。 ダンテさん、あの子は優君と同じかそれ以上の逸材ですよ? 成長が楽しみです」
ダンテ 「ほう、すごいじゃないか。 なるほどなー」
アリス 「あら? 認めるんですね? 優君のこと」
ダンテ 「ん? どうしてだ?」
アリス 「――聞きましたよ? 優君たちから。 亡くなられた奥さまはヤマト族だったそうですね。 大事なことは何も言ってくれないんですから… 道理で優君は超優秀なわけです。 あっ、もちろん、わたしは今、嫌味を言っていますよ」
ダンテは大きな声で笑い、頭を掻きながらアリスに答えた。
ダンテ 「なるほどな、そういう事か」
アリス 「あっ、でも、ハンナが逸材だというのは間違いないですよ。 ダンテさんもハンナの淵源の力を見たでしょう? 息子さんの左手の骨折は完治してます。 わたしも不出来な部下たちのケガの治りの速さを見ていましたが、異常なスピードでした… わたしはMOCYLAで最高学位まで収めました。 ですが、彼女の様なケースは聞いたことがありません。 16歳で希少な淵源を扱えてて、しかもオートで発動しているなんて… 」
ダンテ 「なるほどなぁ。 ジーナも言っていたが、それほどのものだとはな」
アリス 「ええ、驚かされるばっかりです。 ハンナは1日やそこらで、魔導師の私と同じ眼を開眼しました。 これも偶然とは思えません。 しかも、彼女はエルフの血が入っているというじゃないですか」
ダンテ 「ああ、だが、淵源とやらの魔法と関係があるのか」
アリス 「いいえ、たぶん、関係は無いでしょう。 エルフが魔法を扱うのが得意なのはわかりますが、わたしはそれよりも、彼女が育った特殊な環境が彼女の才能を開かせるきっかけになったのではと考えています。 ダンテさんは彼女の生い立ちをご存じでしたか?」
ダンテ 「ああ、ジーナから大体のことは聞いていた」
アリスは『ハァー』とため息をついて
アリス 「まったく… 大事なことは何にも言ってくれないんですから…」
ダンテ 「そんなにハンナの生い立ちが重要なことだったのか?」
アリス 「ええ、何にも知らないわたしは、あんな可哀そうな子に嫉妬してもう少しでつらく当たるところでした... 情けないですけど、わたしも女性です。 女性なら誰でも、あの子ほど綺麗なら妬いてしまいますよ」
ダンテ 「よくわからんが、そういうものなのか?」
アリス 「ええ、そういうものです! 倍も生きているわたしがあんなけなげな子をいじめる所でした。 わたし、めちゃめちゃ反省しましたよ」
ダンテ 「本当によくわからんが、すまんな」
話しの内容とは裏腹にアリスは、いつものようににこにこ笑っていた。
それを見てダンテはすごく照れ臭そうな咳払いをして話題を変えた。 本題を思い出したようだ。
ダンテ 「今朝一番にな、息子に言われた。 自分もあと1年で成人するから、オヤジも身の振り方を考えろってな。 正直ショックだった。 いつの間にか大きくなったんだなぁと思ってさ」
アリス 「ダンテさん… それって、もしかして?」
ダンテ 「ああ、そうだ、アリス。 でも、それは今じゃない。 悪いがもう少しだけ待ってくれるか? この旅が終わって落ち着いたら、俺のタイミングで言うから、それまで――」
アリス 「はい。 うれしい! どうしましょう、わたし泣いてしまいそうです!」
アリスはにこにこ笑って、目をこすりながら答えた。
ダンテは、頭の後ろを掻きながら、馬車の荷台に腰を掛けた。
ダンテ 「俺もカッコ悪い大人だなぁ、息子に言われるなんてな」
アリス 「アハハ、そうですね。 否定はしませんよ?」
アリスもけらけらと笑いながら、ダンテの横に背中をもたせる。
アリス 「でも、優君は特別だと思いますよ? あの年でもう覚悟ができてるって凄いことだと思います。 ダンテさんにそう言ったということは、彼はもうハンナと共にこの先も歩くことを決めているのでしょうね。 わたしがもし優君の立場だったとしたら、わたしにはできないかも知れません。 ハンナの過去を知って、これからを想像して、果たして彼女と向き合う勇気があるかどうか… わかりません」
『ああ…』と言って遠くを見つめるダンテの前へ回り込んでアリスは続けた。
アリス 「知ってますか、ダンテさん? わたしは夕べ優君に泣かされました。 優君はわたしに… わたしのしたいようにしていいって。 何にも気にせずに“ここ”に飛び込んでいいって言ってくれたんですよ? わたしはもう嬉しくて、嬉しくて。 泣いてしまいました。 しかも、娣子の前で… わたしもソートーにカッコ悪い大人ですね」
ダンテも大きく息を吸って、『否定はしない』そう言って笑った。