56 仮装というより
新婚さんの頃の一幕。
聡美と共に遥が『ハロウィンフェアはじめます』という店内のポスターを見止めたのは、閉店間際の、陽が落ちかけた週末の喫茶いしかわでお喋りに興じていた時のことだった。
「これ、どうしたんですかゆかりさん」
「本当だ。去年はやっていませんでしたよね?」
マスターは夕方、今日は早めに閉めて良いからね、と言い残していそいそと八百屋の大将と共に連れだって出て行ってしまったので、普段よりも早めの閉店作業を始めたゆかりは、二人の声に顔を上げて笑う。もう一人の店員(仮)の和樹は沈黙は金と言わんばかりに女性陣の会話を聞いているのか、素知らぬ顔で洗い物を片付けていた。
「今度ご近所さんたちと一緒にやろうか、ってマスターが盛りあがっちゃったみたいでね。ほら、うちもたまに和樹さんが手伝ってくれるおかげで若いお客さん増えたでしょ。かぼちゃとかおいもとか、メニューに入れてみようって言い出しちゃって、これ」
「へえー、楽しそう! 仮装とかは? しないんですか?」
「しませんー。遥ちゃんたちくらいの若さと勢いがあればいいけど、わたしがするならネタしかないじゃない。でもそんなの着たら接客の邪魔でしょ」
「そんなことないと思うけどなあ。ゆかりさん、まだ制服なんか着てもセーフだよね、聡美」
「うん、ゆかりさん動きやすいのも結構ありますよ」
「聡美ちゃんも乗らないの!」
うっすら頬を染めて笑いながらこら、と言うゆかりに、聡美も楽しげに隣に座る飛鳥を見遣る。
「飛鳥ちゃんも似合うと思うわよね」
「うん!」
「飛鳥ちゃんも味方に付けるのずるい!」
アイスコーヒーを飲みながらにっこり天真爛漫な声にゆかりは唇を尖らせた。童顔であることは本人も自覚しているらしいが、ゆかりの纏う雰囲気もまだ聡美たちと変わらないように二人は思う。
遥はふと悪戯っぽくにやりと笑うと、アイスティーのストローを持ったまま思い付きを口にする。
「そうだ! 試しに聡美の制服着てみたらどうです? わたしの見立ては確かなんだから」
「制服なんて余計に事故でしょ、もう!」
「そんなことありませんよ。わたし制服取ってこようかな」
「聡美ナイス! 頼んだ!」
「こらぁ!」
ゆかりの声に行ってきまーす、と笑って、聡美は席を立つ。そしてそのまま出て行く背中に慌てて静止の声をかけるゆかりと、楽しげな遥の姿に飛鳥は内心「ご愁傷様」と呟いた。
女子高生、それも遥がやる気になってしまったのなら仕方ない。やはり胸中でそう付け加え、半眼でオレンジジュースをすすった。
宣言通りにクリーニングのビニールカバーがついたままの制服を手に戻ってきた聡美と楽しげに席を立った遥に、ゆかりはバックヤードへと押しやられた。
ゆかりさんをお借りしますね、とその背を押しながら和樹に声を掛けた遥と、はいどうぞと快諾した和樹に「和樹さんの薄情者ぉ!」とゆかりが悲痛な声を上げたことは割愛する。
やっぱり女子高生は最強なんだJK怖い、とぶつぶつと呟きながらも抵抗したものの、勢いに飲まれるようにゆかりはとうとう渋々ながらも聡美の制服に腕を通した。
「ほらーやっぱり違和感ない!」
「ゆかりさん見てくださいよ、大丈夫ですってば」
いつもゆかりが横に分けている長い前髪を軽く額にかけ、スカート丈まで厳しく見た遥が上機嫌に手を叩き、聡美はゆかりを安堵させるように微笑む。その二人の前で高校の制服をロッカーの鏡で見たゆかりは、自分の姿に首を振った。
「まずいってば遥ちゃん、大体これじゃあ仮装じゃなくて完全にイメクラ……! 仮装よりコスプレでしょうこれ!」
「そんなことないですってばー大丈夫全然余裕。わたしたちに紛れてても判んないくらい」
「ゆかりさんは高校の制服、ブレザーだったんですか?」
ぐっと親指を立てて自分の仕事に満足しているらしい遥に頷きつつ、聡美がスカートの裾を引っ張りながら体を小さくしているゆかりに首を傾げる。冷や汗をかきながら顔を赤くしているゆかりは、いつもの快活さはどこへやら、大きな瞳すら潤ませつつぼそぼそと呟いた。
「高校はセーラー服だったから余計に居たたまれない……」
その言葉に、遥はふと顔を引き締め自分の親友を見据えた。
「セーラー服なら中学ね聡美……」
「そうね遥……」
「やめよう。ね? そういうのよくないからホントに」
とうとう青ざめて遥の肩を掴み、がくがくと揺さぶるゆかりにそのままにされながら、遥は思案げに片眉を持ち上げながら顎に指を当てる。
「そうだ、そんなに気になるなら男性の意見も聞きましょう」
「え! 遥ちゃんちょっと!?」
「はあい、和樹さん、飛鳥ちゃんどうー?」
身を翻してゆかりの背後に回った遥に背中を押され、フロアへ戻る扉を開けられたゆかりが悲鳴じみた声を上げた。遥の声にシンクから振り返る和樹とすぐに目が合い、ゆかりはひっと喉を鳴らす。
「やだ、ちょっと待っ……和樹さん見ないでぇ!」
「あはは、嫌です」
「嫌!?」
明るく笑って告げられた否定の言葉にショックを受けていると、更にはひょっこりとカウンターの向こうから飛鳥が顔を覗かせた。
「似合ってるよ、ゆかりお姉ちゃん」
無邪気な子どもの声にゆかりの良心と羞恥のメーターが一気に上がり、こんな大人の姿はどうなんだとゆかりは自問する。
絶対よくない、高校生だったのは六年前だ。もう六年、と言っていいだろう。卒業すれば母校の制服でもコスプレという枠に括られると思うし、そもそも母校でもない。
赤くなりながら青ざめるゆかりに、和樹はいつもの人好きのする笑みを浮かべながら眼を細めた。
きゃあきゃあ言うJKのお客さんならば満足だろうが視線を向けられたのは自分であるし、和樹は最近たまに、ゆかりに対して雑なところがある。
「ゆかりさん、高校生のお客さんに混ざっても判らないんじゃないですか?」
案の定、からかっていると判る楽しげな声にゆかりは声を上げた。
「怖ろしいこと言わないでくださいよ! 遥ちゃん、聡美ちゃんもういいでしょ恥ずかしいから!」
「勿体ないもうちょっと。写真撮りましょ写真」
「むり!」
ポケットからスマホを取り出そうとした遥から逃れるため、ゆかりは素早くバックヤードに駆け込んだ。カメラを用意しようとした遥は残念そうに唇を尖らせる。
「ありゃりゃ、似合ってたのに」
「でも、わたしたちもちょっと悪ふざけし過ぎたし。謝ろうよ、遥」
「メイド服も似合いそうなのになあ……」
「喫茶いしかわはそういうお店じゃありませんので、ゆかりさんにそういうのはナシですね」
笑顔のまま、和樹は遥の提案をばっさりと切り落とした。その鋭さに気付いたのは飛鳥だけのようで、遥はざんねーん、ともう一度唇を尖らせて、聡美と共にゆかりの消えたバックヤードの扉を開ける。
ごめんなさあい、と声が聞こえたところで扉が閉まり、相変わらず笑みを浮かべている和樹に、飛鳥はふと気になって問いかけた。
「ところで和樹さん、さっきのゆかりお姉ちゃん、アリかナシだとどっち」
「アリ」
笑顔のままコンマ数秒で殆ど被さるような回答に、飛鳥は再び半眼となる。
(ハハハー、男って……)
ズコ、とストローを鳴らしつつ手にしたグラスのジュースを飲んだ。
和樹さん、ゆかりさんにコスプレさせるにしても自分以外の前で披露させる気なんかないですよね。
というか、飛鳥ちゃんの前で素が出すぎじゃありませんか?(苦笑)




