55-1 応援屋(前編)
「いよっ! スーパーシェフ和樹! 手際がいい! 卵も大喜びだよ!」
突然の声援に、和樹は手にした卵を握りつぶしかけた。一歩手前でなんとか堪えきり大惨事を免れる。持ち前の身体能力に感謝だ。食材を無駄にするのはいけない。
それはそうと。
スーパーシェフ?
晴れてゆかりの夫になった自覚はあるが、料理人になった覚えはない。加えて、卵も大喜び、とは。しかもどことなくボディービルダーへの掛け声に通じる何かがある。
「ゆかりさん?」
今度は何が始まったのか。怪訝さを隠さずに声援の発生源であるひとの名を呼ぶ。純粋にどうしてなのか解明したい。しないと本日の昼食は作れそうもなかった。
ちなみにオムライスである。卵を複数使用しなくてはならない。ふわとろオムライスにありつきたくば、ゆかりは速やかに白状すべきだ。
和樹の声に感じるものがあったのだろう。昼食の完成を待つ、石川ゆかりがダイニングテーブル越しにぴゃっと肩をすくめる。
しかしその顔はちっとも怖がっていない。むしろにこにこといつもの笑顔だった。あーかわいい。気が抜けそうになるが、引き下がるわけにはいかない。
「ゆかりさん?」
こちらも負けじと笑みを浮かべてもう一度。
「……えへっ。実はこの前、SNSで見かけまして……」
「またですか……で? 今度はどんな?」
若い女性らしくゆかりは流行りものに敏感である。女子高校生には負けるらしいが、和樹にその違いはあまりわからない。
ともかくその情報源はSNSであることも多かった。なかなか上手く使いこなしているようで、時々こうして仕入れてきたネタを和樹に披露してくれる。
もやしを長持ちさせる方法、新規オープンのカフェ、かわいい動物の写真や動画とその内容は様々だ。しかし時折、プリンに醤油でウニの味になる、と同レベルが紛れているから油断ならない。
今回のはその似非ウニ味と同類の気配がした。つい雑な反応になるのはしかたないことだろう。
「あのね。お化粧する奥さんに旦那さんが褒め言葉をかけると、化粧のりがよくなるらしいんですって!」
夫婦仲がよろしくて結構なことだ。しかしそれが、どう先の掛け声に繋がるのか。
すごいでしょ、と口元をもぞもぞさせるゆかりへ曖昧に頷く。
「はあ」
「褒められたことで、気持ちが変わったからですかねぇ? とにかく同じ理論でいくと、和樹さんを調理中に褒めれば、いつもに増して美味しいごはんが食べられるのでは? って思いついたんです!」
食いしん坊め。自慢気に立てられたひとさし指がかわいい。つい思考が明後日に飛んだ。しかし、いつまでも現実を無視していられないとわかっている。
案の定、似非ウニ案件だったな。
和樹はゆかりにばれないようため息をついた。
ここで話をそらすのは簡単である。だがそれではつまらない。彼女にそのつもりはなかったとしても、ペースを乱されたままなのは癪だった。
「ホォー……ですが、その理論が本当なら褒めるべきなのは僕ではないと思いますよ」
顎に手をやり、さもいま思い付いたように言う。すると素直なゆかりは、えっ、と戸惑い出した。立てられていた指がふらふら彷徨う。
「じゃあ誰を褒めれば……」
「卵です」
「たまご」
おうむ返しする彼女へ、大袈裟に頷く。ここで笑えばすべてが台無しだ。和樹は頬の内側の肉を軽く噛んだ。
「考えてみてください。褒められて変化したのは化粧ではなく奥さんですよね? なら、現状に当てはめると、変化するのは……?」
「……たまご!」
「ええ、そうです。ならゆかりさん、すべきことはもうわかりますね?」
改めて手にした卵を軽く振る。呼応して、ぐっ! と突き出される親指。
笑い出さなかった己を褒めつつ、和樹は新たな卵をボールに割り入れた。そこにゆかりの声援が重なる。
「ひゅーっ、いいねいいね! いい丸みだよ。たまご界の大スターが現れた! かわいいねぇ、今度は真上からいってみようか!」
なんの拷問か。しかも今度は怪しいカメラマン風だ。真上からいって何になるのだ。
自分の内なるツッコミがさらに腹筋を攻撃する。ぐ、と鳴りそうになった喉を和樹は気合いで捩じ伏せた。そうしながらも、手は次の卵に伸びている。
コンコン、パカッ。
「素敵っ! 素敵よぉー。なんて鮮やかな黄身の色! オムライスのためにアナタ生まれてきたんじゃない? んもぉーっ。そんな濃厚になってどうするつもり?」
無理だ。これ以上は絶対無理。
和樹は悟った。次はどんな方向でくるのか知るより、腹筋が持たない。きつすぎて涙が出てきた。こっそり太ももをつねったけれどそれをやすやすと越えてくる。
どうして某二丁目風なのか。何故、和樹にいつも惜しげなく与えてくれているような、素直なものでないのか。そうすれば微笑ましい気持ちになっただけで済んだだろう。多分。
そもそも、卵は駆け出しアイドルでも二丁目で道を踏み外しそうな若手サラリーマンでもない。食材だ。仮にこんな声援でおいしくなったとして彼女はそれでいいのか。
いいのかもしれない。
だって彼女は石川ゆかりだから。
「美味しいは正義」を地でいくからこそ出てきた褒め言葉群である。
そして卵はなにもオムライスになるためにこの世に存在しようと思っていない。なってほしいのは彼女だ。褒め言葉に見せかけて、願望が直球で投げ込まれている。
「んぐ、ふっ、だめだ、待って……ゆかりさんちょっとストップ……」
さすがに大笑いするのは機嫌を損ねてしまうかもしれない。
わずかに残った理性がブレーキをかける。だが、ゆかりの顔を見てしまえば終わりだ。我慢できる自信がなかった。ずるずると崩れ落ち、しゃがみこんで腹を抱える。
これほど笑ったのはいつぶりだろうか。和樹は思い出そうとしてやめた。わりとある。主にこの場所で。
だいたい全部、ゆかりによるものだ。
自分で自分の首を絞めた。いや、この場合、腹筋を壊しにかかったとすべきかもしれない。
ともかく、第二、第三の笑いの大波に飲み込まれ、すでに和樹の息は絶えだえだ。瀕死である。
「和樹さーん? 大丈夫ですかー? たまごさんたちがお待ちでーす! 私のお腹もですからね。巻きでお願いしまーす!」
大丈夫なわけない。
微妙に芸能界っぽい言葉をチョイスされ、遂に笑いの防波堤が決壊した。
ゆかりの声援を受けた卵たちはこの後、和樹の手によってふわとろオムライスになり、ゆかりの胃袋に美味しく納められた。
なお、案の定へそを曲げたゆかりの機嫌を直すため、和樹特製チョコレートパフェも振る舞われたのだが、それはまた別の話である。




