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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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51 コーヒーをいっぱい(前編)

「あ、もしもし環さん? ゆかりです。今お時間大丈夫ですか? お買い物の日程と場所ですけど……はい。ええ。では、当日を楽しみにしていますね」

 通話を終えると、ゆかりはくふふと笑い声をこぼした。



「長田」

 自販機の横で休憩していた長田に、和樹が声をかける。

「これ、奥様と一緒に使ってくれ」

 スッと差し出されたのは薄茶色の封筒。


 中身を確認すると、チケットが入っている。

「喫茶いしかわのコーヒーチケットだ。ショッピングの日はゆかりさんと店で待ち合わせてるんだろ? ついでにふたりでコーヒーを飲めばいい。この前のブルーチーズの礼だから、奥様によろしくお伝えしてくれ」

「承知しました。ありがとうございます」

 長田は背広の内ポケットに封筒をしまう。


「それにしても……石川さんも普通にプレゼントを渡すこともあるんですね」

「どういう意味だ?」

「以前、アドバイスをいただいたことがあったじゃないですか」

 苦笑気味に思い出話が始まった。



 ◇ ◇ ◇



 和樹は振り向き怪訝そうに、わずかに眉を寄せて長田を見る。

「女性にプレゼントを贈るなら、僕なら何をどうやって贈るか?」

「はい、後学のためにご教授願えないかと」

「うーん……そうだなあ。この前ゆかりさんにネックレスを贈ったときは……」



「たまたま店の前を通ったらゆかりさんに似合いそうなネックレスがあったもので」

 ずいと差し出すとわずかに目をきらめかせ、すぐに慌てたように両手を胸の前で横に振る。

「か、可愛いですけど、誕生日でもないのに……」

「僕が贈りたかったんです。着けてあげますね」

 これ以上ゆかりから拒絶らしい言葉は聞きたくなくて、するすると話をすすめるため、和樹は向かい合ったまま彼女にネックレスをつける。少し困った表情のゆかりは一言。

「前から着ける人、初めて見ました」

「前からでもつけられますよ」

「いえ、そういう問題じゃなくて……もう!」

 ゆかりは、小さなため息をひとつ。

「……ハイ、つけ終わりましたよ」

 ゆかりはパッと見上げながら和樹にお礼を言う。

「あ、ありがとうございま……」

 ちゅっ。


「も、もうっ、和樹さんってキザなんだから! もーっ!」

 ぽかぽかと擬音がつきそうな、可愛らしいにゃんこパンチのラッシュを和樹にお見舞いするゆかり。もちろん痛くはない。それどころか。

「あはは! 緊張してるゆかりさんが可愛くて、つい!」

 和樹は愛しくてたまらない気持ちを満面の笑顔にのせて、胸元でにゃんこパンチを繰り出すゆかりを長いリーチですっぽりと覆い、そのままぎゅっと抱き寄せて、旋毛にキスを落とした。



「……という感じだったな」

 そのままゆかりがいかに可愛らしいかを語り出しそうな和樹に長田は待ったをかける。

「あの……申し訳ないのですが、自分のキャラと経験値に合ったアドバイスをいただけると嬉しいです……」

 長田は、イケメン以外許されないだろ、それ! というツッコミを反射で入れなかった自分は誉められてもいいはずだ、と思いながら、なんとか別のアドバイスを引き出そうとする。

 対する和樹はわけがわからない、という表情だ。

「え? 難しいか? なんのスキルもいらないと思うんだが」



 ◇ ◇ ◇



「……ということがあったじゃないですか」

「ああ、懐かしいな。君と環さんがうまくいって良かったよ。ちなみに僕は昨年の結婚記念日にも同じことをした。いつまでも初々しく照れるゆかりさんがあまりにも可愛すぎてな」

「それは良かったですね。そろそろ休憩終わるので戻ります。チケットありがとうございました」

 和樹ののろけ話をバッサリ切った長田は、一礼すると踵を返した。




 ショッピング当日。

 長田夫妻はマスターのサーブするコーヒーを味わっていた。

 店内は彼らのほか、カウンターにひとり、奥のテーブル席に若いカップルが一組。わずかな話し声と、食器の音が少し。それからランチの下拵えをする梢さんのリズミカルな包丁の音。

 ぽつり、ぽつりと穏やかな会話が続く。


 カロン。

 やわらかい音でドアベルが鳴ると、明るい子どもの声が響く。

「あーっ。本当におじちゃんたちいるーっ!」

 トトトト……と走って長田にしがみついてきたのは真弓だった。見上げてにっこりする。

「今日は、この前聞けなかったおはなし、聞かせてくれる?」

「ああ、そのために来たんだ」

 真弓の頭を撫でながら長田は答えた。


「環さん、お待たせしてすみません」

「いえいえ。美味しいコーヒーをいただいてたので。今日ってコーヒーの日なんですね。コーヒーに合うクッキーまでサービスでいただいてしまって。あまりに美味しくて、主人とも久しぶりにのんびりと世間話をしたんですよ」

「まあ。うふふふ」

「……あら? ゆかりさん、今日はこの前とメイク変えてる?」

「えっ、ええ。変えたというか……」

「お父さんがお母さんにお化粧したんだよ。お父さんね、よくいちゃついて、もっと僕好みになってくださいねって言いながらお母さんにお化粧するの」

 横から進が暴露した。ゆかりさんは耳まで真っ赤になり、和樹さんも心なし目をそらしている。

「……とても器用なんですね」

「ははは。ええまあ」

「そっ、そろそろ行きましょうか環さん!」

「ふふっ、そうね」

 ゆっくりと立ち上がった環がハンドバッグを手にした。



「それで、今日はネクタイを見るんでしたっけ?」

「ええ。私、主人によくプレゼントをもらうから、何かお返しにプレゼント渡したいなと思って、何がいいか聞いたの。そしたらね『なんでもいいよ』って言うの。本人からすれば期待もしてないかもしれないけど! 『なんでもいい』が一番困るんですよね」

「あ~分かります分かります! 夕飯とかも『なんでもいい』が一番困りますよね。具体的に言ってくれればこっちも準備しやすいのに!」

「そうなの! それで洋食にしたらしたで、『あっ、洋食なんだ……』って顔するの! 別に怒らないから、作る前にその気持ちを伝えて欲しかったーって思っちゃうんですよねえ」


 気づいたら、環さんと夕飯あるあるの話になってしまっていた。そのまま夕飯の会議になってしまうところだったが、環さんが話が逸れていたことに気付き、軌道修正してくれた。


「あっ、ごめんなさい。それで、その、プレゼントを何にしようかが全然決まらなくて。そうしたら、お店の常連のユキエさんって人から紳士服売り場のセールの招待状をもらって」

「あ、それで今日の目的地がそこになったんですね。去年は何をあげてたんですか?」

「去年は、無難にお仕事で使うYシャツとネクタイを贈ったんですけど…」

「ふうん。去年シャツとネクタイをあげたのなら、今年は、ベルトとか時計とか、小物がいいかもしれませんね。無難に考えれば」

「時計か~、あの人持ってるものぜーんぶ高そうなもの使ってるから、なんだか私が中途半端なもの買っても変に気を使わせてしまいそうで怖いんですよね」

「あぁ、確かに」

「えっ?」

「あっ、いえ。なんでもありません。いいプレゼント、見つかるといいですね」

「はい!」

 10月1日はコーヒーの日です。コーヒーの新年度は今日から始まるそうですよ。

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