543 こわいのこわいの
サクラちゃん二歳くらいのおはなし。
サクラは、寒いけど楽しく保育園に通い、元気に外遊びやお絵描きする日々を送っていた。
一月末、教室にいる全員にファンシーな鬼のお面の塗り絵が配られた。サクラはそのファンシーさから「もじゃもじゃの髪の毛あるし、変なお耳のくまさんだなぁ」と思いながらくまさんらしい茶色を塗っていき、耳をかけるところに輪ゴムをつける。先生からはお家で鬼は外する時使ってねと言われ、潰れないよう抱きしめながら家に持ち帰った。
「まま、これ、おうちでちゅかってって、てんてーがいってた」
節分前日には、豆を入れるための枡を折り紙で作った。折り紙が楽しくていくつも作ったら、結局一番お気に入りのものは明日使うから名前か印を書いて教室(自分に割り当てられたロッカー)に置いておきましょう。たくさん作った子はお家に持ち帰りましょうという話になった。
お家に持ち帰った折り紙の枡は
「はいこれ、ぱぱにあげるね。あのね、あちた、おまめしゃんいれるんだって」
と説明しながらひとつずつ家族にあげた。
つまり、みんなで一緒に準備をしていたものの、サクラは節分とはなんなのか、何をするものなのか、あまりピンときていなかったのである。
そして当日。
先生から改めて説明される。
「みんなー、今日は“節分”です。もうすぐ恐ぁい鬼さんが悪いものを持ってここに来ます。そしたら悪いものを追い出さなきゃいけないので、“鬼は外ー!”って言いながら、今から配る豆を鬼さんに投げてください。鬼さんが逃げちゃったら、悪いものもなくなって、みんなの勝ちです。できますかー?」
「はーい!」
「みんなに、お豆配りますね。昨日作った折り紙の容れ物を出してください」
「はーい!」
先生が、昨日作った折り紙の枡に、ひと掬いずつ炒り豆を入れていく。幼児の小さな手なら二、三回で投げきれる量だ。
「そろそろ鬼さん来ます。鬼は外の準備はバッチリですか?」
先生が小声で聞いてきたので、こどもたちは皆声は出さずうんうんと大きく首を縦に振る。サクラは
「もうすぐおにいさんくる!」
とワクワクしながら待っていた。
教室の外、すりガラスにぬうっと大柄な影が現れる。こどもたちは見つけた嬉しさで「あっ!」と叫び、ざわざわそわそわする。
サクラは「くまさん、おっきいなぁ」と思いつつ、『森のくまさん』の歌詞を思い出していた。「そっかぁ。おんなのこはくまさんがおっきすぎてこわくなってにげちゃったんだ」と納得していた。
のしのしと体を揺らしながら扉の前に辿り着いた大きな影はその場でひと呼吸おく。
先生が確認する。
「みんな、お豆を投げる準備はできてますか」
サクラも皆と同じように、枡から握りしめた豆を取り出して投げる構えをとる。
ガラッ。
扉が開いたそこには、なまはげを参考にしたのではないかと予想される存在がいた。簑で身体を大きく見せ、これでもかと恐い表情の面を着けた大男だ。
もちろんその正体は人間で、実はこども好きだが普段園児と直接触れ合う機会のない園長先生の従兄だ。どうせ大きな身体と低すぎるバリトンボイスで恐がられるなら……と立候補してくれたのだ。
こどもたちは鬼のインパクトに目を見開き口を大きく開けたままピシリと固まっていた。
先生が固まったこどもたちのフリーズを解除すべく声をかける。
「さあ皆、鬼さん来たよ! 鬼は外って言いながら豆を撒こう!」
うんと恐い鬼になってくれと頼まれていた彼は、一步中に入り、ズゥン、と立ちはだかるように入り口の前に立ち、さらに怖がらせるべく両手を上げて雄叫びを上げる。
「ぅぐぁあぁっ」
周りと同じく固まっていたサクラは雄叫びにビクリと震え、ぷるぷるしながら目にいっぱいの涙を溜める。
「うっ、ふっ、うっ……やあああああっ!」
手に持った豆も枡も一気に投げつけると大慌てで机の下に隠れた。
「こんにちは。石川ゆかりです。サクラちゃんママの代わりにサクラちゃんを迎えに来ました」
「あ、はい。聞いています。聞いてはいるんですが、実は……」
先生が事情を説明する。鬼が恐すぎたのか、机の下から出てこないのだと。鬼役の彼は恐縮しきりと体を縮こまらせながら平謝りしてきて、逆にすみませんとゆかりも平謝りした。
「あらまあ。うーん……サクラちゃんとお話ししてもいいですか」
「もちろんです。こちらです」
「さくらちゃーん、でておいでー」
「さくらちゃん、でてきていっちょにあそぼ」
「いや! こわいのいるもん! さくらでない! こわいのとあそばないの! わあぁぁん!」
そろそろ泣き疲れて眠ってしまうのではないかと思うほど泣き叫び続けていた。
――という状況を聞いたゆかりはそっと、困り果てた先生に声をかける。
「あの……わたしが声をかけてみてもいいですか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
サクラはいまだ机の下、壁にくっつくようにしながら泣きじゃくっている。
「ひっく、ひっく、ぅっ、ぐすっ」
ゆかりはそっと膝をつき、できるだけ穏やかに声をかける。
「サクラちゃん」
ハッとしたサクラはゆかりを見て慌てて立ち上がる。
「ねぇね……」
ガンッ!
「いたい~~」
すぐにしゃがんで頭をさするサクラ。
「サ、サクラちゃん、大丈夫?」
声をかけられてまたハッとしたサクラは這いずって机の下から飛び出し、ゆかりの腕の中に飛び込んだ。
「ぅえっ、うえぇえん、ねえね、おっちくてこぁいのいたの、ぐすっ」
「頭痛かったねぇサクラちゃん。コブできてない? 大丈夫そうだね。でも痛いよね。痛いの痛いの飛んでけーっ」
ゆかりはサクラの頭をそっと撫でてコブがないことを確認すると、明るい声で痛いのを遠くへ飛ばす仕草をする。
「どうかな? 少しは痛いのどっか行った?」
「ん……」
サクラはすりすりとゆかりに抱きついた。
少し落ち着いたサクラはゆかりを見上げて尋ねる。
「ね……ままは?」
「病院に行ってるよ。診察の順番を待ってるけど時間がかかっててサクラちゃんのお迎えに間に合わないからってお願いされたの」
「えっ!? まま、びょーき?」
「違うよ。悪いところがないか調べてもらってるだけ。サクラちゃんのお迎え中に具合悪くならないよねって、サクラちゃんが心配にならないように、大丈夫だよって診てもらってるの。お迎えがお母さんじゃなくてごめんね」
「ううん。ねえねのおむかえもうれしいよ」
「そっかー。わたしもサクラちゃんのお迎えできて嬉しいよ」
「へへっ。ねえねだいすき」
「わたしもサクラちゃん大好きよ。そろそろ帰ろうか。歩けるかな?」
「……やっ! こあいのいるもん。ねえねにぎゅーしてかえるの!」
「そっか。抱っこじゃなくておんぶでもいい?」
「うん」
肩からカバンをかけたサクラを背負ったゆかりはのんびりと園を後にした。
喫茶いしかわで預かっていたサクラは、父親が迎えに来た。
「遅くまですみません」
「いえいえ。そこまで遅くないですよ。まだ普通にお夕飯の時間じゃないですか。あ、サクラちゃんにはお夕飯食べてもらいました。それからこれ、お二人の夕食です。サクラちゃんとお揃いの恵方巻きですから」
「何から何まで本当にすみません」
というやりとりを重ねて、預かっていた間のサクラの様子を書いた手紙を渡す。
父に背負われたサクラがゆかりに手を振る。
「ねえね、ばいばい」
「サクラちゃんバイバイ。また遊びに来てね」
家に着いたサクラは一目散に母の様子を見に行く。
「まま!」
「サクラ、お帰り。迎えに行けなくてごめんね」
「びょーき、ないないした? おねんねしなくていいの?」
「ええ、大丈夫よ」
「よかったぁ」
サクラは母にぎゅうっとしがみつく。母はとん、とん、とん、とサクラの背中を叩く。
「ただいま。調子はどう?」
「大丈夫。ゆっくりさせてもらえたから」
「これ、喫茶いしかわさんでもらった恵方巻き。サクラはもう食べたんだよな?」
「うん! おいしかった!」
「よかったわねサクラ。今年の恵方はどっちだったかしら」
無言で恵方巻きを完食した二人はサクラの話を聞く。
目が赤くなっていたのは鬼が恐くて泣いたのだと聞いて微笑ましく思いながらサクラを抱きしめた。
「あのね、サクラ。今日病院に行ったのは、ママのお腹に赤ちゃんがいるからなの。サクラの弟か妹がいるのよ」
「あかちゃん? さくら、おねーちゃんになるの?」
「そう」
「楽しみだな」
「ええ、とても」
サクラは赤ちゃんがいるという母の腹をそっと撫でながら
「おねーちゃんがいっぱいぎゅーしてあげるからね」
その日、大興奮のサクラはいつもの時間を過ぎてもなかなか寝つけず、次の日はちょっぴり寝不足で、たまに目をこすりながら通園していた。
季節感? 何それおいしいの?(笑)
出演時はちょっとすれてたり大人びてたりする役回りをお願いするサクラちゃんですが、こんな可愛い反応する時もあったのです。
これが真弓ちゃんや進くんだと多少恐い見た目でも、なんだかんだで受け入れて「いっしょにあそぼ」とかやらかしそうなので、おそらく全然違う結末になります。




