49-1 if~もしもゆかりさんが旗折り姫じゃなかったら~(前編)
パラレルワールドなお話です。
ただの常連客と従業員な期間中のゆかりさんがちゃんと自身の恋心を自覚していたら、こんな展開もあったかもしれません。
「はぁあ、ほんっと和樹さんかっこいい……」
大学時代の友人と女子会を始めて数時間。
喋って食べて飲んで、頭のなかはいい感じにアルコールが支配している。
ふわふわして気持ちいいし楽しい。
「出たーっ! ゆかりの『カズキさん』」
「ほんっと大好きだよねー、そのひとのこと」
しょっちゅう私から和樹さんの話を聞かされてる友人たちは、もう慣れたようにけらけら笑う。
まぁそりゃそうか。
ここ数ヶ月、女子会で私の口から「そういう意味で」出てくる男のひとの名前は彼しかいない。
「うん大好き……」
「素直だ」
「あっさり認めた」
「だってすごいんだよ? かっこいいし頭いいし気遣いがすごいし、お料理上手だし運転も上手だしかっこいいし声も良いし」
「かっこいいって2回言ったよ」
「ゆかりもう酔ってる?」
「酔ってませーん。ほんとにかっこいいんだもん和樹さん。見た目ももちろんだけどね」
すい、とグラスの中身を飲み干して、わたしはますます勢いづく。
こうなるとしばらくは止まらないから、優しい友人たちはいつもにやにやしながら聞いててくれるのだ。
演説でもするみたいにひとつ咳払いをして、私は真っ直ぐ顔をあげる。
「まずね、わざわざ車を出して買い出しに付き合ってくれるの。それでね、買い出し行っても絶対私に重たいもの持たせてくれないの。何度か押し問答して、それでも引かないと『じゃあこれを』って自分の手を握らせてくるのずるくない?」
「っあー、イケメン!」
「それはずるい、たしかにずるい」
「でしょ!?」
綺麗な瞳を、ふんわり優しく細めて。
「大事なものですからゆかりさんに預けます」なんて言ってくれちゃうのだ。
甘めの顔立ちのせいか、なんだか華奢なイメージが付き纏う和樹さん。
その実骨張った手は私の手をすっぽり包めるほど大きくて、彼が男のひとなんだと実感してしまう。
これできゅんとこない女子がいるなら、ぜひともお顔を拝見してみたい。
「他には?」
「ちょっと寒いなって思ってたら、無言で肩にカーディガンかけてくれたりとか」
「うわスマート」
「つい『炎上!』って言いかけたら唇ちょんってつついて封じられちゃうし、しかもそのカーディガンめちゃくちゃいい匂いするの!」
「柔軟剤聞き出さなきゃ!」
「ほんとそれ!」
かけられたカーディガンは大きくて、私の肩にはずいぶんと余った。袖の付け根が二の腕の真ん中にくるほどだ。
残った彼の体温や香りにドキドキしてしまって、ひとり赤面したことは記憶に新しい。
「……和樹さんはね、グレーが似合うの。スーツは他の色着てるところしか見たことないけど、きっとグレーのスーツ姿も素敵だろうなぁ。着てきてくれないかな、グレーのスーツ」
「ゆかり昔っからスーツ好きだよね」
「だってかっこよくない? 仕事する男のひとーって感じで。ベタだけど片手でネクタイ緩めてくれたらもう最高!」
「『カズキさん』がしてくれたら?」
「問答無用で抱きつきたい」
想像しただけでときめきがすごくて、ちょっと真顔になった。
いけないいけない、抱きついたりなんかしたらそれこそ大炎上だ。
日頃和樹さんに気をつけてくださいと言っている手前、私がそんな軽率な行動を取るわけにはいかない。
あぁ、だけど。
私はうっとり目を閉じる。
「もうね、すごいの。毎日どんどん好きになっちゃうの、和樹さんのこと」
さらさらの髪、健康的な少し浅黒い肌、大きな手。
優しい声に笑顔、時々遠くを見る横顔。
転びそうになったら片手で受け止めてくれるし、ちょっと厄介なお客様に絡まれたらさらっと助けてくれるし、もう日々私の心臓は高鳴りっぱなしなのだ。
私が突然死したら死因は間違いなく和樹さんだと思う。
「まぁ、内緒なんだけどね」
そう、これは隠し通さなければいけない感情。
何度も語ったから、友人たちもそれは知っている。
どんなに和樹さんのことが好きでも、それを伝えるわけにはいかないのだ。
締めくくるように空のグラスをテーブルに戻すと、心得た友人が注文をとってくれる。
ついでに空いたお皿なんかも下げてもらって、妙に空白の目立つテーブルの上。
綺麗にネイルの施された指先が、私の手の甲をとんとん叩く。
「ゆかりの話聞いてると、向こうも好きっぽいけど。言わないの? 好きですって」
「……言えないよ」
新しく運ばれてきたニューヨークをひとくち。
グレナデンシロップにオレンジピール。
甘くて美味しいカクテルなのに、なんとなくほろ苦く感じるのは何故だろう。
グラスを目の高さまで掲げると、澄んだ赤色がライトにきらめいて眩しい。
「……たぶん、和樹さんは私がなびかないから安心できるんじゃないかなぁと思って」
「なにそれ」
「私と和樹さんは友達ってこと」
彼のファンの女子高生やマダムたちのように、私が彼に好意を向けたらそれはそのまま負担になってしまうような気がした。
私が「炎上!」と言うたびに、楽しげに笑う和樹さん。
たぶん、そのやりとりに安心してるんじゃないかとぼんやり思っている。
大人になってからは、恋人よりも友人の方が得難い存在だ。
男女の間ならなおのこと。
彼のようにかっこいいひとならば、難易度はさらに跳ね上がるだろう。
人生のなかで気兼ねなく好意を向けられる相手って、すごく貴重だから。
「友達だと思って向けてた好意がさ、裏切られたら悲しいでしょ?」
「そうだけど……」
「それに、私みたいなビジュアルが二転三転するようなモブあがりと和樹さんじゃ釣り合わないもん」
「ゆかりー、メタいメタい」
掛け値なしの友情。
彼がそれを望むなら、私はいくらでも差し出したい。
多くを頑張りすぎてしまうひとだから、自分とのひとときでほんのわずかでも気が緩むのならそれだけで充分だ。
例え、この恋が報われなくても。
「だからね、いいの」
もう一度喉に流し込んだニューヨークは、今度はちゃんと甘かった。
華やかに香るオレンジは、お酒のなかにあっても清潔で。
確かめるようにもうひとくち、ふたくちとグラスを傾ける。
「和樹さんが笑っててくれるなら、それで。大丈夫だよ、恋心くらい上手に隠してみせます」
「もー! 男前なこと言っちゃって」
「今日はいっぱい飲みな!」
こういうとき、女友達っていいなと思う。
二十歳も越えればみんな恋の痛みのひとつやふたつは抱えていて、覚えのある傷口に彼女たちは敬意を払ってくれる。
細い腕にぎゅうぎゅう抱きしめられながら、言われるがままにもう一杯同じものを頼んだ。
そういえばこのニューヨークって、何ベースのカクテルなんだろう。
街の名前がついたカクテルが好きだからなんとなく頼んでみたけれど、とっても美味しかったから、今度ちゃんと調べて他のも飲んでみよう。




