533 とある応援し隊員の思い出話・Case20
結婚した後のふたりを見守るモ部下くん目線のお話。
俺の所属する部署には若いのにとびきり仕事ができる上司がいる。
その石川さんはたしか三十歳前後のはずだ。
伝説的な数々の大型契約の立役者となった切れ者である。
「おいこの資料持ってきたやつ誰だ!」
ひぃと背筋が凍るような声色。
おずおずと出てきた俺の先輩。
「お、俺です」
「ここの数値間違ってる、あとここも。それにこれでは調査データが少ないやりなおせ」
石川さんは自分より年上の部下にも容赦はない。
俺はここに配属されてまだ期間が短いため、怒られないように仕事をすることで精一杯だ。
できる上司がいるよ。
最初はそう聞いて心浮かれていたがそれも今は、できれば関わりたくないと感じていた。
「腹減った……」
今週はずっと仕事が山積みで家にも帰れていない。
ゆっくり寝たい。
でもまずお腹がすいた。
「飯行くか?」
「長田さん!」
俺の呟きを聞いていたのか、誘ってくれたのは長田さん。長田さんは石川さんの右腕だ。
「ぜひ」
そんな方からのお誘いを断るわけにはいかない。
というか、この人は石川さんよりもう少し近付きやすい気がする。
「慣れたか、仕事は」
俺は餃子定食を食べながら。
「いや……やることが多くてついて行くのに必死です」
と、ありのままの現状を話した。
正直このままやっていける気がしない。ほかの部署とは求められるレベルが全然違うと痛感している。
「まぁ最初はみんなてんてこ舞いだ。お前はよくやってる方だ」
ぶっきらぼうだが、優しい言葉に泣きそうになる。
「ありがとうございます。ほんっと、いつも石川さんに怒られないか心配で……」
あははと髪をかく仕草をすると、ほぉというように見つめられた。
「石川さん、怖いだろ」
声を潜めていつもは見せないような悪ガキのような顔をした。
「怖いです、バリバリ働いてるし伝説の人ですし、頭の回転が早すぎて俺にはついていけないです」
長田さんはニヤッと笑って
「お前今度プライベートの石川さん観察してみろ」
と告げた。
「はぁ……」
少しいや、かなり憂鬱だ。俺にできるか?
〇月✕日
今日から石川和樹さんのプライベート観察を始めることにした。
たしか彼の奥さんはゆかりさんという、石川さんより年下の女性である。
なんでも店に通い詰めて落とした女性らしい。
お、マンションから出てきたようだ。
「和樹さーん!」
思ったより普通の人で、拍子抜けする。
あの石川さんの奥さんだから、どこかキツい感じのスタイル抜群な女性を想像していた。
「ゆかりさん遅い。早く行かないとゆかりさんが食べたいって言ってたパンケーキなくなりますよ?」
「う〜、だって帽子が決まらなくて……」
玄関先での会話である。え、あの人パンケーキとか食べるの。
「今日は紫外線キツいらしいから、こっちの広いつばが付いてるほうにしたら? もちろんもうひとつのも似合ってて可愛いよ」
あ、甘い……鬼の上司が……甘い言葉を見たこともない表情で奥さんに投げかけている……これは新婚だから奥さんもときめくだろう……。
「さっすが和樹さん! お天気まで完璧だね!」
え、そこスルーなんだときめかないんだ。
お天気の方に感心するんだ。
「それでは、れっつごー!」
と、可愛い声をあげて石川さんと奥さんは車に乗り込んだ。
〇月☆日
今日は久しぶりの休みのようで、二人で大型ショッピングモールに来ていた。
「和樹さん! これブランくんに似合いそう!」
ブランと言うのは二人が飼っている犬である。
なにか可愛い首輪を見つけてゆかりさんの目はキラキラしている。
「うん、いいと思うよ」
石川さんもそれに同意して首輪を買った。
「次は和樹さんの服を見ようね」
二人で仲良く手をつなぎながら歩く姿は俺が普段見ている仕事の鬼の姿を忘れるほど平和だった。
「僕の服ゆかりさんが選んでくれるの? 久しぶりだね」
「違う、今日は仕事のときのネクタイを見るの!」
そう言って、ゆかりさんの方が石川さんの手を引いていた。
「なんでネクタイ?」
「和樹さん、仕事柄結婚指輪はしないことが多いでしょ? だからブランくんじゃないけど、首に『私の!』って印付けとくの! 頭いいでしょ!」
どやぁという効果音が聞こえそうなくらいドヤ顔をするゆかりさん。
それが独占欲だと本人は気づいてないのか?
石川さんは気付いているようで嬉しそうだ。
「ははっ、頼もしいな。よろしく頼むよ」
途中から俺はなんのイチャイチャを見せられているのかと悟り始めた。
□月〇日
今日はゆかりさんの働く喫茶店に客として訪れた。
ここは以前石川さんが通い詰めた場所でもある。
今日の観察対象は配偶者であるゆかりさんだ。
「あー、カフェラテひとつ」
「は〜い! お待ちください」
接客慣れているだけあり、ほかの仕事を見ていてもテキパキこなしていた。
そして常連が多いということに気がついた。
「あ、ゆかりちゃん!」
「ゆかりちゃんこの前さ〜」
という、老若男女の言葉が飛び交い彼女はみんなに愛されている人なのだと、わかった。
今日の観察はゆかりさんが家に着くまで見守ることで終えるつもりだ。
少し距離をとり、彼女のあとを付ける。
昼からきびきびよく働くな。石川さんクラスなら共働きなんてしなくていいはずなのにきっと彼女は仕事を楽しんでいるんだろう。
「え」
そのとき前を歩いていたゆかりさんが倒れた。
「あ、ゆかりさん!?」
妻を溺愛する石川さんが自分以外の男との接触を許すわけがない。あとでお咎めを食らうのはわかっていたが、目の前で倒れた彼女を見過ごすことはできなかった。慌てて駆け寄り頭を打たないよう身体を支える。
「しっかりしてください! 大丈夫ですか!?」
「お、お腹痛い……」
か細い声でそう言ったのを確かに聞き取り、救急車を呼ぶ。救急車の音が聞こえ始めたとき、俺は石川さんに電話をかけた。
「ゆかりさんが病院に運ばれました! 早く行ってあげてください!」
次の日。
憂鬱だだめだ俺はだめだ。
先輩や同僚から溺愛する妻に接触した男の末路を散々聞かされていたのにゆかりさんと接触したあげく、それを自らバラすような電話をしてしまった。
絶対石川さんに怒られる。
いやそれだけならまだいい。
降格か? または地方にでも飛ばされるか?
行きたくない会社行きたくない。
「おい」
「い、石川さん」
廊下を歩いていると後から石川さんに話しかけられた。とりあえず謝らないと!
「す、すみません! 奥様との接触不可の原則を破りました。申し訳ございません! 以後このような──」
「は?」
俺が直角に頭を下げて謝罪しているのに、この人は「は?」と言った?
「そこを咎めるはずないだろう。お前が救急車を呼ばなければあそこで妻は倒れたままだったんだから。最善の行為だ」
「え、いいんですか? ていうか奥様大丈夫でしたか?」
「妊娠の初期症状がでて倒れたんだと。本人があまり気にせず動きすぎたみたいでな。まあ無事だよ」
良かった……そう思うと肩の荷が降りたようにほっとした。
「良かったです……」
「おう、ありがとう」
ふっと笑って石川さんは歩いていった。
あれこの人、そんなに怖くない……?
♡月✕日
ゆかりさんが会社近くの公園に来ていた。
たまたま俺はそこで昼食をとっていて、その光景を目にした。
「はい、和樹さん。これ差し入れと着替え!」
「ありがとう」
「大丈夫なの〜? クマちゃんすっごい真っ黒よ。さてはちゃんと寝てないでしょ!? 体調管理しっかりしてください!」
「ゆかり……」
「はい?」
ぎゅー。
石川さんがゆかりさんに抱きついた。
思わず飲んでいたジュースを吹きそうになったが、ここで俺に気付かれたら石川さんからあとで何を言われるか分からないので耐えた。
「ゆかりさんの匂いは落ち着くなぁ」
「ふふ、そう?」
ぽんぽんと子供を寝かすように石川さんの頭を撫でるゆかりさん。
お腹はもう大きくなっていた。
「ゆかりさん、僕がいないからって無茶しないでね」
「大丈夫だよ、私パワーキャラだから!」
……なんかズレてるんだよなゆかりさんて。でもそれくらいの癒し系だからこそ石川さんは彼女を好きなんだと分かる。
あといたたまれないわ俺。
上司のハグシーンに出くわした独身彼女なし二十七歳男子としては。
……結局キスシーンまで見てしまった。
モ部下くん、救急車の後お礼にってゆかりさんからコーヒーチケットをもらいそうになって、そこで「ゆかりさんから僕以外の男にプレゼント……」って嫉妬全開になる和樹さんにヒイィィィ!
そこで苦労人な長田さんがさりげなく「妻を助けたお礼は夫がした方がよろしいのでは?」って進言したおかげでコーヒーチケットはゆかりさんからではなく和樹さんからプレゼントされることに。
超強力な嫉妬の炎を回避したモ部下くんは涙目で拝みながら長田さんに感謝した。
……というエピソードも考えたんだけど、入れるタイミングが難しくてオチを阻害しそうなので本編に入れるの諦めた(笑)




