532 if〜お菓子の家と幸せの味~
両片想いの同僚関係からゆかりさんが頑張るif話です。
バレンタインデーをもうすぐに控えた二月上旬。喫茶いしかわでもバレンタインデーにちなんだ催し物をしようということで和樹とゆかりは会議を行っていた。
「無難にチョコレートをおまけにお出しする形になりますかね? 去年なんかは何をやったんですか?」
「去年は……というか私がここで働くようになってからは私の手作りトリュフをお客様にお出しする形を取ってました」
「ゆかりさんの手作りトリュフ……」
「でも毎年それだと面白味がないでしょう? それ以外にも今年は別のことできないかな、と思って」
うーん、と二人は唸った。と、そこへマスターが突然現れた。
「僕にいい考えがあるんだけど」
「うわ! マスター! いつも突然すぎます!」
「いい考えとは?」
「うん、これ見て」
マスターが見せてきたのはスマホの画面。そこに映し出されていたのは家庭でできるチョコレートファウンテンの機械の通販ページだった。
「チョコレートファウンテン! 女の子の憧れですね!」
「これだったら店先に置けていいかなと思ってね。ちょうどセールで安いみたいだし」
「お洒落でいいと思います、チョコレートファウンテン」
「二人のお墨付きももらえたということで! 今年の喫茶いしかわのバレンタインの取り組みはチョコレートファウンテンで決定!」
マスターはその場で必要な機械を通販でポチってしまった。決めたら行動が早いのが彼だ。
「お急ぎ便にしたから明日には届くみたい。二人とも具材のフルーツとかの買い出しに行ってきてくれる?」
「わかりました」
アイドルタイムだったこともあって、和樹とゆかりはそのまますぐにチョコレートファウンテンの具材の買い出しに向かった。
「和樹さんはチョコレートファウンテンの具材といったら何だと思います?」
「うーん、やっぱり無難にいちごとかですかねぇ」
「いちごは外せませんよね! あとはバナナとかキウイとか……」
「マシュマロなんかも定番ですよね」
「ですね! はぁん、想像しただけで涎が出ちゃう……」
順番に必要な具材をカートに乗せてあるかごに放り込んでいく。さて会計を、とゆかりがレジに向かおうとしたところで和樹が話しかけてきた。
「ねぇゆかりさん」
「なんですか? 和樹さん」
「今年はその……トリュフ、作らないんですか?」
「うーん、今年はチョコレートファウンテンメインになっちゃってお役御免みたいですしねぇ……義理チョコとかも配る習慣ないですし。チョコレートファウンテンを堪能したいと思います!」
「そうですか……」
二人は会計を済ますと喫茶いしかわに戻った。そして手書きのメニューポップにチョコレートファウンテンの文字とイラストを書き加える。
「明日機械が届いたら早速喫茶いしかわのバレンタイン開始ですね! バレンタインデー当日まで約十日間! 頑張りましょう!」
◇ ◇ ◇
その日家に帰ったゆかりは荷物を放り出すとぼふんとベッドに突っ伏した。
「どうしよう。今年はトリュフ作らなくてよくなっちゃった……」
お気に入りのぬいぐるみを抱き締めながらゆかりははぁとため息をついた。実はもうすでにトリュフ作りの準備を進めていたのだ。
「まだ一部しか材料買ってなかったからよかったけど、トリュフを作る口実がなくなっちゃったなぁ」
実はゆかりは初めてバレンタインデーを共にする和樹にトリュフを食べてほしいと考えていた。ゆかりは喫茶いしかわの催し物としてのトリュフ以外、義理チョコなどは人に渡さないようにしていた。常連客や顔見知りなど、全員に渡していたらキリがないからだ。
「どうしよう~でも和樹さんに私のトリュフ食べてもらいたい……でも突然手作りの本命チョコ渡すのってハードル高いよねぇ……うーん」
ゆかりは和樹に恋をしていた。同僚である以上、一線は越えないように気をつけていたが、時を経るにつれその想いは募っていくばかりだった。バレンタインデーに喫茶いしかわの催し物の一環として彼にトリュフを食べてもらえればそれで充分と考えていたが、それが叶わなくなった今、道は一つしかなかった。
「玉砕覚悟で告白するかなぁ」
ゆかりには何となく予感があった。この恋心は伝えない方がいいのではないかという予感が。どうしても和樹に告白を受け入れてもらえる自分が想像できなかったのだ。
「キミならどうする?」
抱き締めたぬいぐるみは当然、無言である。
「わかるわけないよね~」
その日は答えが出せないまま夜が更けていった。
◇ ◇ ◇
翌日の喫茶いしかわにはチョコレートファウンテンの機械が届いていた。器用な和樹がそれをセットするとあっという間に準備は終わった。
「開店前に試運転してみますか」
スイッチを入れると機械からはチョコレートの泉が涌き出てきた。和樹はフォンデュフォークにマシュマロを一つ突き刺すとチョコレートを丁寧に絡めていく。
「はい、ゆかりさん」
ゆかりに向かってフォンデュフォーク先のマシュマロが突き出される。
「和樹さん!?」
「食べたかったんでしょう? 顔に書いてます」
「えええええ炎上します!」
「まだ開店前です。ほら、他の準備もあるんですから口開けて」
ずい、と差し出されるマシュマロ。ゆかりは観念して口を大きく開けた。和樹によってゆかりの口に放られたマシュマロは絶妙なチョコレートの絡み具合だった。ゆかりは思わず満面の笑みを浮かべる。
「お、おいひー!」
そんなゆかりの様子を見て和樹はくつくつと笑う。
「そんなに美味しそうにマシュマロ頬張る人初めて見ましたよ」
「だって美味しいんですもん! せっかくだから和樹さんも!」
ゆかりはフォンデュフォークを和樹から奪うとマシュマロを突き刺し、同じようにチョコレートを絡めていった。
「はい、和樹さん、あーん」
「僕もですか?」
「お返しです。ほら、他の準備もあるんですから! 口を開けて!」
和樹は一瞬目線をさ迷わせた後、口を開けた。そこにゆかりはぽいとマシュマロを放り込む。
「……美味しい」
「でしょう? これはお客様の反応が楽しみですね!」
そうしてチョコレートファウンテンの準備と他の諸々の準備が終わった喫茶いしかわは開店した。一人目のお客は常連のサラリーマンの男だった。彼は店に入ってくるとすぐにチョコレートファウンテンに気付き、側にいたゆかりに言った。
「お、なにこれ。女の子に人気のやつでしょう?」
「チョコレートファウンテンです! よかったらデザートにフルーツやマシュマロを食べていってくださいね!」
「いいね! それじゃあ後で頂こうかな?」
喫茶いしかわのバレンタインデーの催しは大盛況だった。年配のお客は物珍しさに驚きながらも楽しんでくれたようだし、女子高生や子供たちの間ではちょっとした話題になり、初見のチョコレートファウンテン目当てのお客も増えた。中にはゆかりの作るトリュフを楽しみにしていた面々で残念がる者もいたが、全体的にみてこの取り組みは大成功だった。
二月十四日が近付く中、和樹とゆかりはまたチョコレートファウンテンの具材の買い出しに来ていた。前回同様ひと通り買うものをかごに入れたゆかりはレジに向かおうとしていた。そこを和樹に呼び止められる。
「ゆかりさん!」
突然呼び止められたゆかりはびっくりして振り向く。和樹は真剣な表情でゆかりのことを見つめていた。
「貴女に……伝えなければならないことがあります」
◇ ◇ ◇
「和樹さんが喫茶いしかわを辞める!?」
「はい、突然の報告になってしまい申し訳ありません」
話を聞くところによると、本業が忙しくなることと春から長期海外出張が始まりそうなことから和樹は前々から喫茶いしかわを辞めることを考えていたらしい。ちょうどバレンタインデー翌日から新しい仕事が入るということで、最終勤務日は二月十四日になるという話だった。
「……マスターには?」
「もう伝えてあります」
「突然なんですね?」
「そこは本当に……申し訳ありません」
突如和樹から舞い降りた報告にゆかりはびっくりしていた。そこから喫茶いしかわまで戻ってきた道のりはうろ覚えだ。それくらいショックだった。その日の勤務を終え自宅に戻ってきたゆかりは、用意していたトリュフ作りの道具に目をやる。
「これはもう……やるしかないよね」
後悔だけはしたくなかった。その日からゆかりのトリュフ作りが始まった。
作りなれているメニューとはいえ、バレンタインデーに好きな人に想いを込めて渡すことになるチョコレートだ。ゆかりは何度も何度も納得いくまでトリュフを作り直した。やれ味が納得いかない、やれ形が上手くいかない。追求し始めると満足のいくトリュフはなかなか出来なかった。そしてバレンタインデーを翌日に控えた二月十三日、ゆかりの想いが詰まった最高の出来のトリュフが完成した。
「できた!」
満足そうな顔をしているゆかりを見ているのはぬいぐるみだけだった。
◇ ◇ ◇
そしてバレンタインデー当日である二月十四日。喫茶いしかわはその日も大盛況だった。和樹もゆかりも一日中せわしなく店内を駆け回る。チョコレートファウンテン目当てのお客さんが一番多い日になった。勤務時間が終わると、ふぅと息をつく和樹の元にゆかりは行った。
「和樹さん、帰り、時間少し貰えますか?」
帰りはゆかりが和樹に車で家まで送ってもらうことになった。その道中、和樹が喫茶いしかわに来てからの思い出話をたくさんした。あの時の和樹さんはすごかった、あの時のゆかりさんは面白かった、等いろいろ。話のネタは尽きないのに時間が過ぎるのはあっという間で、ゆかりの自宅前に着いてしまう。
お礼を言いながら車を降りるゆかりに改めて最後の挨拶を、と和樹も車を降りた。
「ゆかりさん、短い間でしたが本当にお世話になりました」
「こちらこそ、和樹さんにはたくさん助けてもらいました。ありがとうございました」
「……」
「あの、和樹さん」
「……なんでしょう?」
「最後に、じゃないんですけど渡したいものがあるんです」
ゆかりはピンク色の包装紙に包んだトリュフを手渡した。
「もしかして……トリュフですか?」
「当たりです」
「今ここで食べても?」
「どうぞ」
和樹は包み紙を開けるとトリュフを一つ頬張った。
「美味しい……話を聞いてからゆかりさんの手作りトリュフ、食べてみたいと思っていたんです。最後にいいプレゼントを頂きました。ありがとうございます」
にっこりと嬉しそうに笑う和樹に向かってゆかりは意を決して言った。
「和樹さん、私……貴方のことが……好きでした」
過去形になってしまったが言えた。彼に迷惑をかけたくはなかった。想いを告げてホッとしたものの、怖くて彼の顔が見れない。ゆかりが俯いていると、いつの間にか側まで寄ってきていた和樹が言った。
「ゆかりさん、ごめんなさい」
え? と問いかける前に口の中に何度も味見をしたトリュフの味が広がった。ゆかりが和樹にキスされているのだと気付いたのはその少し後だ。
悲しげな、ゆかりを慈しむような目をしながら和樹はゆかりから口を離した。
「かずき……さん?」
「ゆかりさん」
つい、と唇に人差し指を縦に当てられる。
「この続きは……待っていてもらえませんか?」
それだけ言い残すと和樹はそこから立ち去っていった。その場には顔を赤らめて呆然と立ち尽くすゆかりだけが残された。
◇ ◇ ◇
和樹が喫茶いしかわを立ち去ってからも、ゆかりの時間は止まることなく流れていく。「待っていてくれ」の意味はわからないままだったが、ゆかりは彼を待つことにした。何をどれくらい待てばいいのかわからない。それでもゆかりは待った。
そして一年半が過ぎた頃、閉店間際の喫茶いしかわに彼は現れた。
「こんばんは、ゆかりさん」
「あ、和樹さん?」
「すっかりご無沙汰してしまって……でもお元気そうで良かった」
にこりと笑みを浮かべた和樹の雰囲気は以前とは違ったものだった。ゆかりの心臓がとくんと高鳴る。
「ゆかりさん、今度はお客としてここ喫茶いしかわに通わせてください」
「ええ、もちろんです」
その日から和樹は時間を見つけて喫茶いしかわに通ってくるようになった。ゆかりのいる時間を見計らったように彼は訪れ、毎回いろいろなことを二人で話した。そしていつの間にか二人で様々な場所へと出掛けるようになった。時には居酒屋で飲みあかしたりもした。それでもゆかりは彼の口から「待っていてくれ」の続きを聞くことはなかった。
自宅のベッドに寝そべり、ゆかりはぬいぐるみへと語りかける。
「待っていてくれって何だろうね?」
彼はあの日のことを忘れてしまったのだろうか。ゆかりはあの日のトリュフの味も彼の切なげな瞳も忘れていないというのに。ぬいぐるみは変わらず静かに佇んでいた。
◇ ◇ ◇
そして時は流れて再びバレンタインデーがやってくる。今年も喫茶いしかわの催し物はチョコレートファウンテンだ。アンケートをしたらリピート希望者が圧倒的に多かった。ゆかりは再び毎日あくせく働いた。そんなゆかりの元に和樹から連絡が入る。
"バレンタインデー当日、CLOSE後の喫茶いしかわで少しお時間頂けませんか?"
その年の二月十四日も喫茶いしかわは大盛況だった。日中バタバタと働いて、ようやく閉店の時間を迎える。ゆかりがCLOSEの看板をかけようと店外に出ると、そこには紙袋を持った和樹がいた。
「中に入っても?」
「マスターから許可はもらってます。どうぞ」
ゆかりは和樹を店内へと案内した。
和樹はテーブル席にゆかりを座らせると言った。
「今年のバレンタインデーは僕からゆかりさんに贈り物をと思って」
「逆チョコですか?」
「まぁそんなところです」
和樹は紙袋をゆかりの前に置くとそれをばさりと開いた。現れたのは小さくて可愛らしい手作りのお菓子の家だった。
「かわいい……っ! これを私に?」
「そうです」
「和樹さんって本当に器用な人ですよね」
「お褒めに預り光栄です」
「ありがとうございます。早速食べてもいいですか?」
「もちろん。でもその前に屋根を持ち上げてみてほしい……かな?」
「屋根?」
ゆかりは和樹に言われるままお菓子の家の屋根を持ち上げた。家の中にはビニール袋に包まれた小箱のようなものが入っていた。ゆかりはそれを取りだしてぱかりと開いた。
「……指輪?」
「ゆかりさん」
和樹はずいとゆかりに近寄って言った。
「お待たせしました。あの日の続きをやりましょう」
「あの日の……続き……?」
「改めまして石川ゆかりさん、僕と結婚を前提に付き合っていただけませんか?」
手を取られ和樹に見つめられたゆかりは硬直した。思わず指輪と和樹を交互に見つめる。
「こ、婚約指輪!?」
「そうです。……お気に召しませんでしたか?」
「め、滅相もない!」
「じゃあ……返事は?」
返事なんて聞かなくてもわかっているだろうに、とゆかりは思った。やがて彼の目を見つめるとゆかりは言った。
「喜んでお受けします。私と結婚を前提にお付き合いしてください……和樹さん」
和樹はゆかりの薬指に婚約指輪を嵌めた。二人は顔を見合わせてにっこりと笑うと、今度はチョコレートの味がしないキスをした。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、和樹さん」
「なんですか?」
「どうして喫茶いしかわに戻ってきてすぐに告白してくれなかったんですか?」
「ああ、せっかくだしゆかりさんと同僚関係を抜きにしたお友達期間というのも楽しんでみたくて」
「なるほど……私はあの日のことなんててっきり忘れてしまったのかと」
「忘れるわけないでしょう? 貴女の伝えてくれた言葉もキスの味も。そういえば今年は手作りトリュフ、作ってないんですか?」
「作ってます。和樹さんにあげようと思って持ってきてたけど、こんな素敵なお菓子の家を出されたんじゃ私のトリュフ、ちょっとどころじゃなく霞んじゃうなぁ」
「そんなことないです。僕は貴女の作ったものが食べたい。ついでに貴女のことも食べたい」
「……なんか物騒な台詞が聞こえた気がした」
「まぁそちらは追々……とりあえずトリュフ、食べさせてください」
和樹にトリュフを食べさせたゆかりはまたそのチョコレートの味を味わうことになるのだが……今度は確かな幸せの味がした。
ちゃんと恋心を意識してるゆかりさん。告白させてしまった和樹さん(笑)
なんとか取り返そうと考えた結果がお菓子の家。
ゆかりさんから惚気を聞きだそうとする聡美や遥やユキエはどんな顔して聞くことになるんでしょうね。




