520 わたしの可愛い旦那サマ
結婚して子供できる前のふたり。
わたしの旦那サマはいわゆるスパダリというものである。
モデル顔負けの整った顔とすらりとした高身長。足も長い。着痩せ効果抜群な鍛えられた細マッチョ。腕まくりしたら予想外に逞しい筋肉とそこに纏わり付くようなくっきりした血管にドキドキするのはいつものことだ。料理もスポーツもできるし頭も良いし、周りの人たちからも頼られてるし、会社ではエース扱いされるほどの成績を上げているらしいし上司の覚え目出度き出世頭みたいだし。
とにかくお腹いっぱいになるくらいのスペックを携えたわたしの旦那サマ、和樹さんとの出会いは、わたしが働いている喫茶いしかわだ。出会い自体はまぁ、よくあるものだったと思う。その後は紆余曲折あり、いきなり婚姻届付きの交際を申し込まれ、あれよあれよと結婚に辿り着いた。
……といってもわたしが和樹さんのことを好きじゃない、なんてことはまったくない。私自身がいわゆる無自覚片想い状態だったのを告白された時ようやく認識し、想いを寄せていることを自覚したのだ。
だから交際を申し込まれた時、交際ゼロ日婚はさすがに遠慮したものの交際そのものはすぐOKした。我ながらチョロいのかな? と思ったりもしたけど、今すごく幸せだから問題ナシ!
こんな素敵な人がわたしの旦那サマだなんて、前世のわたしはどんな徳を積んだのだろうとたまに考えることがある。この前それを和樹さんに伝えたら
「僕も前世できっと徳を積んだんだろうな……まぁ今までは色々あったけど、こんな可愛いお嫁さんを迎えられたんだから」
とはにかみながら砂糖を吐くようなことを言われた。思い出すだけで顔が熱くなってしまう。
そんなスパダリ和樹さんだが数ヶ月に一度、とある変化が訪れる時がある。
今日は『その日』だったようだ。
「かーずーきーさーん! 今から包丁使うから危ないですよ、一度離れて……」
「やだ」
いつもより遅く起きてきて、洗面所に向かったなと思ったら、キッチンでお昼ごはんを作ろうとしていたわたしに後ろから抱きついてきて肩にグリグリと頭を擦り付けられた。和樹さんのサラサラの髪が首を撫でて擽ったい。
「ね、和樹さん、少しだけだから。お昼ごはん作ったら、今日はダイニングじゃなくてソファで隣に並んで一緒に食べましょ?」
だから、ソファで休んでて、ね? と念押ししながら肩に乗っている和樹さんの頭に頬を寄せる。
「……じゃあ僕も一緒に作る」
「いけません、和樹さん。目の下のクマがまだ消えてませんよ? 仕事で無理したんでしょ。今日はせっかくのお休みなんだから、何もしないで休んでください」
ほら、と和樹さんの目尻を軽くつつくと、和樹さんは口をへの字にまげて目を逸らした。
「……何もしない僕なんてきっとゆかりさんに捨てられ……」
「ません! どんな和樹さんも大好きですよ」
「本当?」
「もちろん本当です。んもう! ほら、ソファに行って休ん……」
そう言っていると和樹さんの手がわたしの服の中に入ってきてお腹を撫でた。
「ぅひゃ……っ!」
「あー……ゆかりさん、可愛いなぁ……」
「っ、こら! 和樹さん! いいかげんにしないと怒りますよ!?」
めっ! と、ぺちぺちと和樹さんの腕を叩く。
「むぅ……分かったよ……」
いつもはしゃんとしている背中を少し丸めながらトボトボとソファに向かっていくのを見届けて、ふぅと口から溜息が溢れた。
そう……和樹さんは数ヶ月に一度の頻度でスーパー甘えたさんになるのだ。きっと知り合いや職場の人が見たら絶句するレベル。
最初は軽いものだったそれが、徐々に甘える段階を踏んできて(二回目に気付き三回目には確信を持った。とてもちゃっかりしていると思う)今では四六時中わたしに抱きついてアレやコレや甘えてくるようになってしまった。わたしが予想するに、大変なお仕事の反動だろうと思っている。
まぁ……そんな和樹さんを相手できるのはわたしだけの特権かなってちょっとした優越感に浸ったりもするのだけれど。
「お待たせしました! 今日のお昼はオムライスですよ〜」
お盆に二人分のオムライスとサラダとお茶をのせて、ソファが置いてあるリビングに行きテーブルに並べていく。ソファに座ってふと和樹さんの顔を覗くとまた口をへの字に曲げて不満そうな顔をしていた。
え、もしかしてオムライスの気分じゃなかった!?
「あ……和樹さん、ごめんなさい……オムライス嫌だった?」
「……ううん、違う……ケチャップ……」
和樹さんがぽそりと呟いて、オムライスにかかっているケチャップを指さす。
「ケチャップがどうかした?」
まさかデミグラスが良かったのかしら……と考えていると。
「ハートじゃない」
「へ?」
「ケチャップ、ハートがよかった」
「……っ!? あっ、え!? あっ、ごめんなさい!? ハートね!」
おっとこれは初めて言われたやつ。和樹さんからハートのケチャップを希望されるとは思わなかった。
「どうしよう。もうケチャップかけちゃったし……」
これ以上ケチャップをかけると味濃くならないかなぁと考えていると、突然和樹さんが胸に飛び込んできた。
「ひゃっ!?」
「ハートじゃなかったお詫びにゆかりさんからキスして」
眉を下げ、首をこてりと傾げながら上目遣いでキスを強請ってくるイケメンスパダリ旦那サマ。
「〜〜〜っ!!」
理不尽なことを言われているような気がするのに(いや、99.9%理不尽)わたしの心の急所を突いてくるの、ズルい。カッコ可愛い、もぉーっ!
「ほら、ゆかりさん」
目を閉じ顔を少し近づけて急かしてくるので、えいっ! と自分の唇を和樹さんの唇に重ねる。すると和樹さんが自分の舌でわたしの口をこじ開けて舌を絡めとってきた。
「っ!? んっ、ふ……んっ、ふぁ……」
「……ふ、はぁ……」
苦しくなってきて和樹さんの肩を叩くと、ペロリとわたしの唇を舐めて顔を離した。
「〜〜っ! ご飯食べる前になんてことするんですかぁ!」
顔が熱くなってポカポカと和樹さんの胸を拳を作って叩くと「いたいいたい」とクツクツ笑っている。まったく痛くないくせに!
「もうっ! ご飯冷めちゃいますからね! 早く食べましょ!」
そう言って二人で手を合わせて「いただきます」をして、わたしはオムライスをスプーンで掬い、食べていく。うん、美味しい。今日もまずまずの出来じゃない?
そんなことを考えていると隣から痛いくらいの視線を感じ、首を和樹さんの方へと向ける。和樹さんは目の前のオムライスにまったく手を付けていない。
「どうしたの? 和樹さん」
どうしたの? と聞いたが、多分、おそらく、十中八九、予想はついている。
「……ゆかりさん、あーんして」
やっぱり、ビンゴ! さすが名探偵ユカリ!
はいはい、と和樹さんのスプーンを手にとり、オムライスを一口サイズに掬う。
「和樹さん、あーん」
オムライスを和樹さんの口元に運ぶと、パクリと口に含み咀嚼した。ゴクリとオムライスが喉を通る音がする。
「……うん、美味い。ゆかりさんの料理は世界一美味しいな」
「ふふっ、ありがとうございます。でも和樹さんの作るオムライスの方が美味しいですよ?」
だって喫茶いしかわで同僚してた時の和樹さんのオムライスはふわとろ卵が大人気だったし、賄いも美味しかったなぁ……と昔を思い出して話していると旦那サマのご機嫌がまたまた悪くなった。
「ゆかりさんが、他の男の話する……浮気……」
「なんでそうなるんですか! ちょっと前の和樹さんのことじゃないですか!」
「それはそう、そうなんだけど……今目の前の僕じゃないし……」
と和樹さんは不服そうに口を尖らせブツブツ呟いている。
「ほらほら! たんと召し上がってくださいね!」
ぐいっと次のオムライスを和樹さんの口元に寄せる。
「ゆかりさんが冷たい……」
「冷たくないです! ほら、あーん」
和樹さんは順調にパクリパクリとオムライスを食べていく。なんだかラブラブ夫婦……というよりまるで親鳥が雛鳥にエサを与えているようで思わずクスッと笑ってしまった。
「なんで笑ったの」
「えー? 和樹さんが可愛くてつい」
「はぁ?」
和樹さんが頬を赤らめてジト目で睨んでくる。可愛いって言われて(しかも年下女子に)ちょっと恥ずかしいって思ったんだろうなぁ。
「照れてますぅ?」
「照れてない!」
ほら、早く次! と膝を叩いて「あーん」を急かしてくるイケメンスパダ(以下略)
そのまま和樹さんにご飯を食べさせて自分も食べてを繰り返して二人とも完食し、洗い物を済ませて(洗い物をしてる時も抱きつかれたので、なんとかしてソファに強制送還した)ソファに座り込むと待ってましたと言わんばかりにすぐさま和樹さんに抱きつかれた。
その様子を見て、子育てしたらこんな感じになるのかなぁ……と少し先の未来を考えてしまう。
和樹さんとの子どもかぁ……和樹さんの遺伝子が強ければきっとカッコよくて可愛い子が生まれてくるんだろうなぁ……と和樹さんのサラサラな髪を撫でながらぼんやり考えていると、巻き付くように抱きついていた和樹さんの腕が解かれてわたしから離れていった。
「ん? どうしました? 和樹さん」
和樹さんがそのまま立ち上がる。甘えたモードは終わりかしら、と思い首を傾げていると突然身体がフワリと宙に浮いた。
「へっ?」
突然のことで状況を理解するのが数秒遅れてしまった。わたし、和樹さんにお姫様抱っこされている。
「……ど、どうしたの、和樹さん?」
どうしたの? と聞いたがイヤな予想はついている。まずい、これは。名探偵ユカリが頭の中でアラームを鳴らしている。おそるおそる和樹さんの顔を覗くと口元に弧を描き目を細めて楽しそうな表情をしている。間違いない。
「僕、明日も休みなんです」
「そう、ですね……」
「たくさん寝たし、美味しいご飯も食べた」
「そう、ですね……」
「後はひたすらセックスするだけですよね」
「ひっ!?」
もう充分甘えたじゃないですか!? という言葉は喉を通ってくれず固まったままでいると、和樹さんは晴れ晴れとした表情でわたしを抱き抱えながら寝室へと向かっていった。
「いっぱい甘えさせてくださいね、奥さん」
結局今回の「和樹さん甘えたモード」が終わったのは次の日の朝だった。
和樹さんは甘えたモード(というかザ・ビーストかも)終了とともにゆかりさんへのご奉仕&口説きモードに突入します。
この上なくつやっつやにご機嫌で過剰な色気を振りまきながら。




