47 チャージの方法
夕食後、和樹がリビングのソファーで本を読んでいると、ゆかりが部屋を覗き込んできた。
ちょっと寂しそうな表情で少し考え込むと、物音を立てないように和樹の(ソファーの)後ろを回り込み、クマの前に到着する。
力が抜けたようにぺたりと座り込み、そのままクマにしがみついて目を閉じた。
和樹はそんなゆかりの様子をちらりと見ると、本を片付ける。
「ゆかりさん」
「なんですか」
「こっちに来ませんか?」
「和樹さん、本読んでるのに邪魔するの嫌です」
目を閉じたままのゆかりは、和樹がとっくに本を片付けたことに気付いていない。
「もう終わりましたから。ね、ゆかりさん」
ゆかりはクマに抱きついたまま、そろりと目を開ける。和樹は立ち上がってゆかりに手を広げていた。
「僕、これ以上クマに嫉妬したくないですから。ね?」
ゆかりはようやくクマから手を離すとのそりと立ち上がり、とてとて歩いて和樹の腕の中にぽすりとおさまる。
ぎゅうっと和樹にしがみつき、ぐいぐいと押してソファーに座らせようとする。
これは、店で何かあったか? それとも……とにかく、ゆかりがいつになく甘えんぼモードになっていることは一目瞭然だった。
和樹がソファーに座ると、ゆかりが飛び込んでくる。
押し倒すように馬乗りになると、首に腕を回してますますぎゅっとしがみつく。
ゆかりはすうっと和樹のにおいを吸い込み始める。二十秒ほどかけて、深呼吸のように長く。そして唇から、同じくらい時間をかけてゆっくりと吐く。唇の位置も相まって、和樹はゆかりに自分の心臓を暖められているかのような気分になる。
和樹は左手でゆかりの腰を抱き、右手で小さな肩をぎゅっと抱きしめてから、ゆっくりと頭を撫でる。
「ゆかりさんから積極的にきてくれるなんて、嬉しいですね」
わざと軽口を叩くと、胸元からくぐもった声が聞こえてくる。
「和樹さん……今日の私、とってもワガママになってます。めいっぱい、ぎゅー電したいです」
「仰せのままに。お姫様」
和樹はわざと、いつもより力を強めてゆかりを抱き締める。
「……頭も、いっぱい撫でて」
「ええ。ゆかりさんは、いつもとってもがんばってますからね」
和樹は右手でゆかりの後頭部をぽんぽんと叩いてから、そうっと撫で始める。一定のリズムで優しく。
少し経つと、子供たちが入り口からひょこりと顔を見せた。
気付いた和樹は柔らかい笑顔を向け、口パクで「お・や・す・み」と告げる。
子供たちも心得たもので、大きくひとつ頷くと、互いに顔を見合わせて自分の両手で口をふさぎ、物音を立てないように、ゆかりに自分たちの存在を悟らせないように、静かに部屋に戻っていった。
しばらくそうしていると、和樹にしがみついていたゆかりの腕の力が少し抜けた。
ひたすらしがみついていたゆかりが、和樹の胸にすりすりして甘えてくる。ほどなく、心音を聞こうと左胸にぴたりと右耳をつけてきた。右手は、力は入っていないものの首に巻き付いたまま。左手は、和樹の右胸に添えられている。
「ゆかりさん。今、ぎゅー電何パーセントくらいですか」
「んー、63%くらい」
「チュウ電は、必要ありませんか?」
「うん……今チュウ電したら、和樹さんのエッチなスイッチ入れちゃいそうなんだもん」
「ははは……」
ピタリと密着してゆかりさんのボディラインの柔らかさとしなやかさを実感している僕に何を今更、と和樹は思う。
とはいえ貴重なゆかりさんのデレタイムだ。全力で堪能させてもらう。
和樹はもはや、しまりのない顔を隠しもしなかった。
世間で恋人成分を補充することを“充電”と表現するようになってから、ゆかりも甘えるときに、和樹さんを充電させてとおねだりしてくれることがあった。
そのうち、ハグをぎゅー電、キスをチュウ電と表現するようになった。
どうやらハグやキスほどダイレクトな表現でない分、ゆかりの中でおねだりのハードルが下がるらしい。
和樹にとってはすることは一緒なのでどちらの表現でも大して変わらないのだが、ゆかりがたくさん甘えてくれるのならばどちらでも大歓迎である。
ゆかりがうっとりした表情で大きく息を吐き、吐息まじりに告げる。
「和樹さんの心臓、トクン、トクンって動いてる。とっても安心する。だぁいすき」
思わずだらしなく弛む口。
「においもね、とってもいいにおい。柔軟剤とか同じの使ってるはずなのに、なんでかなぁ。ずうっと傍でスースーしたくなる」
普段ならここで体臭だの体温だの遺伝子だのについて蘊蓄を披露するところだが、今求められているのはそれではない。
「僕も、ゆかりさんのにおい大好きですよ。お店が終わったときに纏っているコーヒーのにおいも大好きですけど、ゆかりさん自身からは甘い香りがしています。たまに、お菓子みたいにそのまま食べちゃいたくなりますね」
ゆかりがくすくすと笑う気配がする。抱き締める腕に、密着する胸に、腹に小刻みな振動が伝わる。
「ねえ、ゆかりさん。提案があるんですけど」
「ん……なんですか?」
「今からお風呂、一緒に入りませんか? 久々にサロン和樹を開店しますよ」
「そうですねぇ。……いいですよ」
ふたりでお風呂に入って。
ゆかりは和樹の背中を流す。小さな手が広い背中をすべる。
「あ、ここ。私が昨日引っ掻いちゃったんですね。痛いですよね。ごめんなさい」
「謝らないで。ゆかりさんに付けられる傷なら大歓迎だし、全然痛くないから。……さあ、次は僕がゆかりさんを洗う番ですね」
ゆかりは、背中どころか全身をくまなく磨かれた。文字通り、頭のてっぺんから足の爪先にいたるまで。
くたりとしながらふたりで湯船に浸かる。ゆかりは、和樹に背中を預け、前を向いたまま話す。
「めいっぱい甘えさせてくれてありがとうございます、和樹さん。少し元気戻ってきました」
「そうですか。それはよかった」
「はい。あの……眠る前にちょっとだけ、私からチュウ電してもいいですか?」
ヒュッと和樹が息を飲む気配がする。ゆかりを抱き寄せた和樹は耳元で囁く。
「大歓迎です。少しと言わずいくらでも」
「……それは無理!」
慌てたゆかりの動きで、水面がパシャリと音を立てた。
ゆかりの、湯にのぼせたわけではない真っ赤な耳の可愛らしさに思わず、耳たぶに口づけをひとつ。ぴくりと反応するゆかり。
「もう、出ましょうか」
「そうですね」
ゆかりが念入りなスキンケアをする間に和樹はゆかりの髪を乾かす。自分でやるより艶やかに仕上がるのが、ゆかりは少し悔しい。
今度はゆかりが和樹の髪を乾かしていく。
「できました!」
仕上げに背中から抱きしめて、旋毛に口づけを落とす。振り向いた和樹はいつもより甘くてゆるゆるな笑顔だった。
「では、行きましょうか」
和樹がゆかりをエスコートして、寄り添いながら寝室へ向かう。
明かりを消して、ふたりで一緒のベッドに潜り込んだ。
「和樹さん……」
ゆかりは和樹の頬に手を添えて、リップ音を立てるキスを何度か贈る。それから、そっと和樹の唇を食む。角度を変えて何度も。息が上がりそうなところでゆっくりと唇が離れていく。
「おやすみなさい、和樹さん。昨日も今日も明日も大好きです」
「おやすみ、ゆかりさん。昨日も今日も明日もその先も、ずっと愛し続けます」
ふたりは、朝まで熟睡した。
目覚めたら欠片も覚えていない夢の、ふわふわとしあわせな気分だけはふたりとも覚えていた。
ゆかりさんがひたすらデレて甘えてるだけで終わりました。
ほら、日常を送るだけでもけっこう頑張らないといけないじゃないですか。
そこを、たまには褒めたいし褒めてほしいよね。
ただ、それだけの、それしかないお話でした。
ゆかりさんにとっては後から振り返ると恥ずかしくて後悔することもあるくらいのデレっぷりですが、和樹さんにとっては至福のご褒美タイムです。
いやぁ、子供たち、本当に空気の読めるイイコに育ってますなぁ。




