510―1 真弓・高校三年生2(前編)
お高い焼き肉を堪能した数日後。
煌びやかなシャンデリアの光がゆらゆらと揺らめいた薄暗い空間。壁一面ガラス張りで三十六階のこのフロアは夜景が三百六十度見渡せる。チラリと右を見れば私でもわかる有名な歌舞伎俳優たちが個室に入っていく様子が見えた。うわ……と思っていると、髪をぴしっと決め洗練された女性スタッフがにこりと微笑み、おかわりのお茶を用意してくれた。
目の前の大きな銀盤の向こうには長めの白いコック帽を被ったシェフがじゅうじゅうとかぼちゃや玉ねぎを焼いている。
「いや、ほんと、すごい……」
語彙力のない感想をぽつりと漏らせば、隣に座っている乾さんの口元がゆるんだ。
そう、両親と焼肉に行った後、早速大会優勝のお祝いをしてほしいと乾さんにメッセージアプリで懇願すると、早々に二つ返事でOKがきた。
頻繁に日本へくることのない彼だから何ヶ月後になるかなと思っていたらなんと、一週間後に仕事で日本に滞在するからと、そこで鉄板焼きに連れてってくれることになった。
そして、今夜とうとう憧れていた目の前でお肉を焼いてくれる鉄板焼きというものにお目にかかれたのだ。しかも高級店の中の高級店!
鉄板焼きとリクエストしたものの、どんなお店に連れてってくれるか分からなかったから、とりあえずお気に入りのブルーグリーンのワンピースを着てきた。十八歳の誕生日、お母さんに成人だからとねだって買ってもらった少し高めのブランド物だ。もちろん髪もそれに合わせてハーフアップにしている。よかった、デニムとか履いてこなくて。自分グッジョブ!
料理にいたってはもう、前菜からクライマックスだ。ウニとキャビアが乗ってるローストビーフサラダ、フォアグラのお寿司、トリュフのスライスが散りばめられたコンソメスープ……高級食材がこれでもかと自分の胃に入っていく。お肉にたどり着く前に幸せ死にするのではないかと自分を心配してしまう。
「時間はあるんだ、ゆっくり食べろ」
乾さんはウイスキーが入ったグラスを一度カランと揺らしてそれを口に含んだ。
「はい……と言いたいけど、お父さんが家に帰る前には先に帰っておきたいんですよね」
「ほう、和樹くんは今日家に帰ってくるのか」
「そうですね。昔より家に帰ってくるようになりましたよ。私が小学生の時なんて一ヶ月に一、二回しか顔見ないときがあったし」
懐かしいなぁ、と自分が小学生の頃を思い出す。私は昔から割と冷めてる……というか大人びていた(周りの大人談)ので、父が仕事であまり帰らなかったことを一度もとやかく言わなかった。
むしろ、お母さんに「大丈夫? 寂しくない?」って心配されたけれど、だって仕事だししょうがないじゃない? そのお金で割といい生活送らせてもらっているんだし、ということを小学生なりに母に伝えると目が点になっていた。今思うと可愛くない小学生だったな、おい。
そんな事を考えていると、焼き野菜ができ上がったのかシェフが目の前のお皿に乗せてくれる。食べやすいように一口サイズにカットされている、素晴らしい、ホスピタリティ!
ホクホクにいい焼き加減のカボチャを一つ口に入れて咀嚼するとじわぁと甘さが口いっぱいに広がる。美味しい。ハッピー。素敵。しあわせ。
「まぁ、何にせよなるべく早く帰らないといけないな」
乾さんも目の前の焼き野菜に手をつけ始める。私はごくんとカボチャを喉に通してお手拭きで口をとんとんと抑えた。
「そうですね、勿論今日のことはお父さんに話してないので……お母さんには言っているけど。話したらきっと来られなかったし……」
「ばれるとややこしくなる」
「そうですね……はぁ、面倒臭い」
お父さんと乾さんは二十年来の仲らしい……といっても仲良いわけではないみたいで、むしろすこぶるよろしくない。顔を合わせば何かと突っかかっている。お父さんが。
ちなみにお母さんと私は乾さんに特に問題なく良くしてもらっている。乾さんが日本に来るときは必ず喫茶いしかわに寄ってくれるし。
ちなみに、なぜ仲が悪いのか昔は気になっていたが、理由を本人たちに聞くことが今もできないままである。
長田さんにそれとなく探りをいれると
「学生時代からのライバルらしいが、まぁ昔、仕事でも色々と。和樹さんの気持ちも分からなくもないが……いや、まぁ、色々あったんだよ、色々と」
と濁された。色々って、なんだそれ。二人のことをこれ以上あれこれ詮索するのは面倒臭いことにしかならないと思ったのでそこで終わりにしたのだ。
そうこう話しているうちに目の前の鉄板に分厚い牛肉が乗せられた。長細い和紙のメニュー表を見れば、メイン牛フィレ肉ステーキと書かれてある。
シェフが「シャトーブリアンです」と告げたが、牛肉の部位がほぼ分かっていない私に「フィレ肉の中でも柔らかい最上級の部位だ」と乾さんが教えてくれた。「さっ、最上級……」と呟くとシェフがニコリと微笑んだ。
焼き加減をシェフに伝えて私は乾さんに部活のこと、大会のことを話した。
実は柔道を始めたのは高校生になってからだ。中学では英語部という名の実質お茶会部に入っていて超ゆるゆるな学生生活を送っていた。しかし中三の頃、偶々事件現場を目撃してしまい、犯人にナイフを振りかざされた瞬間、現場にいたおじさんが華麗に犯人に一本背負いきめているのを見て、なぜか「これだ!」と思い、高校生になると友達の静止や他の部活勧誘に脇目もふれず、柔道部に入部した。お父さんの遺伝もあってか、自分で言うのも何だが才能があったのか、部内一、地区一と順当に勝ち上がり、気付けば全国一という頂きに立ってしまった。自分でもびっくりするくらいトントン拍子だ。まぁそれ相応の努力はもちろんしたが。
「それは和樹くんと手合わせでもしていたのか? 彼は強いだろう。学生時代に手合わせした時はかなりの実力だと思ったのだが」
「いえ、それが一度もなくて。お父さんにそんなヒマないでしょうし、手合わせしても、本気、だしてくれるかなぁ……いや、その前に柔道部に入ること結構渋っていたからなぁ……」
柔道部に入ったとお父さんに伝えると、やれ怪我が増えるだの帰り遅くなるんじゃないかだの、散々お小言を言われたのだが、そこはお母さんが説得に入ってくれた。昔からお母さんは私のしたいことを否定しない、危ないことをした時はそりゃ怒られたけど。
「ふっ。当たり前だが、和樹くんは本当に君のことを愛しているんだな」
「ええー? いやぁ……どうでしょうね? 会えばお小言説教三昧で嫌になっちゃう! お母さんにはデレッデレで優しいのに……」
口を尖らせてプクッと頬を膨らますとククッと笑声が聞こえた。
「もう、笑わないでくださいよー」
「ああ、すまん。君は本当に彼に似ているからそんな顔をされると、な」
すると、目の前の鉄板でシェフが牛フィレ肉にワインをかけた。途端に大きな火がぼわっと上がる。ひぇっと声に出してびっくりしてしまったが乾さんは微動だにしない。ちょっと子供っぽいなと反省してしまったが色々と初めてのことなので許してほしい。
「さぁどうぞ、牛フィレ肉のステーキ、ミディアムレアです」
目の前の岩塩とワサビが添えられた石皿に、カットされたステーキが乗せられた。
それと大会優勝おめでとうございますと、先程の会話を聞かれていたのかシェフがふわりと微笑んでそう言った。少し恥ずかしい。
ありがとうございますとお礼を告げ、いざ最上級のシャトーブリアンステーキに塩を少し付けて口に含んだ。
「〜〜〜〜〜っ!」
なんだこれ、こんな牛肉の食べたことがない……!
噛む、というより口で溶ける……!
柔らかい! スポンジケーキのよう!
と心の中でセンスのない食レポが展開された。
「ん、美味いな」
乾さんも満足しているようだ。ちなみに乾さんの焼き加減はウェルダン、向こうの人は完全に焼かれているのが好きなのかな。
それにしてもなんて幸せ! やっぱりお母さんも誘えばよかったかなぁ。乾さんなら一人増えたところで支払い大丈夫そう……と少し失礼なことを考えながらお肉を咀嚼して飲み込んだ、その瞬間。




