500 パラレル~ゆかりお嬢様と執事の和樹さん
パラレル話です。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですって」
「お嬢様、なぜ逃げるんです?」
私は豪奢なソファをぴょんと飛び越えて、その背を挟んで彼と対峙する。
彼もまた負けじとジリ、とソファににじり寄ってくる。
「あなたこそ、なぜそんなに追いかけてくるんですか!」
「なぜって、それはこれが私の仕事だからです」
「いいえ、前の執事はここまでしませんでしたっ」
「前の執事は前の執事、私は私のやり方でやりますと最初に言ったはずです」
彼がぎしりとソファに片膝をかけて近寄ってきたと同時に私は走り出し、後ろにあるベッドへとジャンプすれば思っていた以上の柔らかさに足を取られ「うわあ」という情けない声とともに倒れ込む。
「はい、捕まえた」
いつの間にかベッドの横に立っていた彼は、私の右腕をゆるりと掴みあげる。
「うう、髪くらい自分で乾かせますって……」
「そう言いながらいつも乾かし忘れて、朝になって酷い寝癖に涙目になっているのはどこの誰でしょう」
はあ、と溜息をついた彼のもう片方の手には、ヘアブラシとヘアオイルが握られていた。
三ヶ月前に「新しい執事だ」と父に紹介された彼・和樹さんは、眉目秀麗・文武両道を地で行く、まさに完璧超人だった。
この容姿ならどこぞの御曹司のほうが似合いそうだけれど、ある日屋敷の中に忍び込んだ不審者を涼しい顔して片手で捻り上げている姿を見て「人は見かけによらないのね」と私は一つ学んだ。
そして、この執事さんは私専属の執事として時に厳しく、時に優しく私に接してくれている。
小学校からずっと女子校だったこともあって、なかなか異性に慣れない私は、最初こそ彼を警戒していたものの、彼が私の下着を平然と仕舞っているところを目撃し、ほんの一瞬気が遠くなったものの何かもうどうでもよくなってしまった。
今では兄よりもざっくばらんに気兼ねなく話せる心強い存在だ。
「さ、座ってください」
彼は恭しくドレッサーの前のイスを手で指し示す。
わざとらしいんだから、と口を尖らせながらも素直にストンと腰を下ろせば、彼はドライヤーのスイッチを入れる。
コオっという音ともに温かい風が首を撫でると同時に髪に触れる指の感触に、思わず私は肩を揺らす。
「え、ちょっと待って!」
「はい?」
「指で梳かなくてもいいですよ!」
「でも、指で梳かないと絡まりますよ」
「さっきヘアオイルつけたからそんなに絡まりませんって! というか、私自分でやるから大丈夫です」
クルッと後ろを向いて彼の手からドライヤーを奪い取ろうとすれば、その手を上にあげられてしまう。
「お嬢様、私の仕事を盗らないでください」
目を潤ませて眉を下げ、悲しげな顔を見せつけてくる彼。
その表情に私が弱いことを知っていて彼はここぞという時に使うし、私も分かっていながら彼の罠に嵌ってしまうのだ。
「わ、わかりました……」
「はい、じゃあ続けますよ」
ケロッとした声音で、彼はまた私の髪にその指を絡める。あまりの変わり身の速さに、私は思わず「うそつき」と呟いた。
「はい、乾かし終わりましたよ」
「ありがとうございます」
ぶっきらぼうにお礼を伝えれば、彼は気を悪くするでもなく、ふっと笑みを零した。
「じゃあ、今日はもうここまでで大丈夫です。あとは寝るだけなので」
おやすみなさい、と口にしようとすれば遮るように「ええっ」と彼の演技がかった驚き声。
「何を言うんですかお嬢様! まだやることはありますよ!」
「えっ、でももう寝るだけって」
「寝る前に歯磨きをしなければいけませんよ。あっ、仕上げは僕が。それから、お嬢様が眠るまでの間、枕元で絵本を読み上げなくては……お嬢様はどのお話がいいですか?」
ニコニコと楽しげな彼に、私は深く深く溜息をつく。
「和樹さん」
「はい?」
「眠る前にホットミルクが飲みたいです。用意してもらっていいですか?」
「はい、承知しました」
「い・ま・す・ぐ飲みたいんです! さあ、用意してきて!」
さあさあ、と彼の背中をぐいぐい押しながら彼を突き出すようにドアの外へと放った私は、素早くドアを閉めてガチャリと内鍵をかける。
「え、お嬢様!?」
ドアの外から彼の声とともに、ガチャガチャとドアを開けようという音が聞こえてくるが、構うもんかと私は叫ぶ。
「もう本当に過保護! 和樹さん、私のこと三歳児だと思ってませんか!? わたしもうすぐ十八歳! あとちょっとで結婚だってできる年齢なんですよ! 甘やかさないで! 私は寝ますから、部屋に入ってこないでくださいね!」
「ちょ」
「入ってきたらクビです!」
ベッドに入り込んだ私は勢いよく布団を頭から被る。
先程まで騒がしかったドアの外も静まり返り、どうやら彼は諦めてくれたようだとホッと一息つく。
『童顔』『子供っぽい』と散々言われるが、私はもうすぐ十八歳。これでも十分大人なのだ。
なのに、彼ときたらいつまでたっても子供扱い。
「失礼しちゃうよね」
きっと懲りずに彼はまた私のことを子供扱いしてくるだろうから、その時はまたこう言ってやるんだ。
『私は大人なんだから』って。
彼のタジタジ顔を想像しながら、私はいつの間にか眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
静かな部屋にドアの開く音が響く。
聞こえてくるのは彼女の微かな寝息と、時々寝返りを打った時の衣擦れの音だけだ。
僕は息を潜めて、彼女が眠るベッドへと近づく。
「う、うぅん……」
小さな寝言がはっきり聞こえる距離まで近づけば、口端から涎を垂らした、それはそれは健やかな彼女の寝顔が無防備に晒されていた。
僕は思わず手を伸ばして、彼女の頭をそっと撫でる。
「ふっ、まだまだ子供だな」
「おとな、だもん……」
小さく呟いた声に応えるかのような彼女の寝言に一瞬息を呑んだが、彼女が起きることはなく、未だに夢の世界の住人のままだった。
『もう結婚だってできる年齢なんですよ!』
「……知ってるよ」
囁くような声は闇夜に吸い込まれていく。
君を見つめる僕の表情なんて、君は知らなくていい。
パラレルのはずなんだけど、関係性はあんまり変わってないような……あっるえぇ?(笑)
実は最初はお嬢様の年齢をさらっと十六歳って書いてたんですけど、そういえば成人引き下げに合わせて十八歳になったんだっけ……と慌てて修正しました。
ところで、和樹さんがどうやってお嬢様専属執事の座をもぎ取ったのか気になりますねぇ。
成人間近なお嬢様に男性をつけて身の回りのあれこれをさせるかなぁ? って。
……暗躍した気しかしないよぅ。




