491 いつもどおりに
ゆかりは珍しく少し難しい顔をして一枚の紙を読み込んでいる。
「えーっと、今年は栗きんとんと伊達巻多め、かぁ。大人の男性でも甘いおかずが好きな人が多いのかしら。ちょっと時間かかりそうだし、早めに手をつけないと渡せなくなっちゃうわね。材料は、さつまいも、栗の甘露煮、砂糖、クチナシ、卵、はんぺん……」
ゆかりはすっかり作り慣れたおせちの品々の材料をメモ帳に書き出し、それから必要な分量を計算して買い出しの準備をする。
ここ数年、ゆかりは和樹の独身部下たちからの懇願により、おせち料理の一部を手作りしてお裾分けしている。
最初の頃こそ和樹は申し訳なさそうにしつつ僕以外の男にゆかりさんの手作り料理なんて……と苦虫をこれでもかと噛み潰しつつ、それでもこのお裾分けがあるかないかで彼らの熱意と集中力、営業成績が全然違うのを知っでいるだけに止められなかった。
いや、そもそもは和樹も一度きりにするつもりだったのだ。
だが長田がゆかりの前でうっかり口をすべらせた。
「正月出勤で好評だったおせち料理のお裾分けはもうないのか」
と。もしかしたら他の部下らにせっつかれ、わざとかもしれないが。
ゆかりの目がキラリと煌めいた。
「お仕事を頑張って和樹さんを助けてくれる皆さんがそれほど期待してくださっているのでしょう? それならわたしも頑張りますよ。和樹さんのお手伝いできて嬉しいし」
はにかみながらゆかりにそう言われては、和樹に反対などできるはずもなく。
ゆかりをぎゅっと抱きしめながら
「よろしくお願いします」
と言うことしかできなかった。
それから毎年、一人一品限りと制限し、材料費にわずかに色を付けた金額をもらうことを取り決めて渡している。
独身部下たちは心の中でむせび泣いているのを面に出しながら悩み抜いて決めた今年の一品を
「ははーっ! 有難き幸せ!」
と捧げ持つように受け取るのが、会社ではすっかり年末の風物詩となったと聞いている。
今年リクエストされたのは栗きんとんと伊達巻が多い。今回買い出しする材料の種類はそこまででもないが、伊達巻は特に器材の都合上、一度に大量に作るのは難しい。卵焼き用の四角いフライパンや鬼すだれ(伊達巻用の巻き簾)が一般家庭に大量にあるはずないのだから。だから早めに作り始めることにしたのだ。
結局、おせち料理作りは丸一日……では終わらなかった。やはり伊達巻作りは少数ずつなので時間がかかる。
気分を変えて夕ごはん作りを、と思ったものの、同時に「さすがに今日くらいは手を抜きたい」とも思う。
伊達巻と栗きんとん作りで充満する甘い香りでお腹いっぱい胸いっぱいな気分になってしまったせいもある。
ゆかりは頬をぺちりと叩いて気持ちを切り替える。
「よし、今日は鍋にしよう」
白菜をザクザクと切り、大根は火通りを考えて一センチ厚さのイチョウ切り、蕪は八つに割り葉は四センチ長さに切る。鶏肉は皮をつけたまま一口大に切る。糸こんにゃくは一口分で結う。椎茸は少し悩んで軸をおとし笠の表面に切り込みを入れる。エノキは食べやすいサイズに分けた。
この時点でけっこうな量になってしまい、このままでは鱈が鍋に入らないことに気付いてしまった。食べ始めてから、というか和樹が帰ってきてから追加するか決めればいいだろう。
鍋つゆは先日見つけて惹かれた新商品のゆず塩だ。
つゆと具材を入れてみれば、随分と白い鍋になってしまっていた。椎茸と、大根や蕪の葉しか色味がない。慌てて人参の薄切りを追加する。
作りおきも出すつもりだけど他にいいものなかったかしらとゆかりは冷蔵庫の中をさっと見回し扉を閉める。
豆腐と油揚げを見付けた。
これは入れるとしても食べる直前かなぁと考えていると、子供たちが帰ってきた。
もこもこと着込んでいるのに鼻の頭やほっぺが真っ赤だ。
「「たっだいまぁっ!」」
「おかえりなさい。ふふふ、真弓ちゃんも進くんも寒いのに元気だねぇ」
ふたりはスンスンと鼻を鳴らす。
「今日のごはん、甘いの? もしかしてホットケーキ?」
「ブッブー! 違いまーす! 今日はお鍋よ。この前新しく出た鍋つゆ買ったでしょう? それを食べるんだよ。甘いにおいはおせちの伊達巻と栗きんとんでした」
「そっか」
子供たちの推理を楽しく聞きながら答えているうちに穏やかな気持ちになり、ふっと思いつく。
「そうだ! 真弓ちゃん。お鍋にもちきん入れようと思うんだけど、自分で作る?」
「作る!」
餅が好きな真弓はぱあっと表情を明るくする。
「今日のお餅はこれです。じゃん!」
丸餅生タイプ・個包装真空パックのものを取り出した。
「で、油揚げはこれね。まず油揚げをまな板に置いて、上から菜箸をゴロゴロします。こうすると中を開きやすくなるの」
「はぁい。ゴロゴローゴロゴロー。このくらいでいい?」
「いいよ。そしたら包丁で真ん中から半分に切ります」
ゆかりが指ですっと線を引いたあたりに、真剣な表情で包丁を入れる真弓。
「そうそう。上手だよ真弓ちゃん。この半分に切った油揚げの真ん中から開いて袋状にします。力を入れて無理に開くと破けちゃうから気を付けてね」
「わかった。そーっと、そーっと」
真弓はいささか慎重すぎるほどそろそろと、油揚げを袋状に拡げていく。
「できた! 全部破かずにできたよ!」
「わぁ、よくできました」
ゆかりがにっこり笑ってパチパチと拍手すると得意げにする真弓。真弓のこういうときの表情は和樹にとても似ているなと思う。
「ひとつだけやって見せるね。この袋にお餅をひとつずつ入れて、出入り口のところを爪楊枝でこんなふうに留めてください」
スパゲティがあれば爪楊枝がわりにそれを使っても良かったのだが、あいにく使い切ったばかりだ。それに今の真弓には力加減が難しいだろう。そう判断しての爪楊枝だ。
「うん、わかった。あと真弓がやってもいい?」
「ええ。お願いします。できたもちきんはこのお皿に並べておいてね。このお餅はすぐ火が入るから、食べるちょっと前に鍋に入れようね」
「はぁい。ふふっ。もーち♪ おーもちっ♪ おーもちっち♪」
すべての準備が整い、あとは食べるだけ。子供たちはソワソワしている。
「お父さん、まだかなぁ」
「ホントにもうすぐ帰ってくるかなぁ」
少し眉を寄せている進に、やや困り笑いするゆかり。
「進くんたら。お父さんはうんと頑張ってお仕事してるんだから、そんなふうに言わないで」
「うん」
「今の話は内緒にしましょう。三人だけの秘密ね」
「わかった」
「真弓ちゃんもそれでいいかしら」
「もちろん。聞いたらお父さん泣いちゃうかもしれないし」
「あははは。お父さんカッコつけたがりだから泣かないだろうけど、でも泣きはしなくてもショックは受けると思うわ」
「うん」
ピロンッ。
ゆかりのスマホに通知が入る。すっと目を走らせる。
「カップラーメンのスタンプ……なるほど。もうすぐ帰ってくるみたいだから、もちきん入れましょう」
「「え?」」
子供たちは揃って首を傾げる。その様子が可愛らしくて、ゆかりはくすりと笑う。
「カップラーメンはすぐ帰るって意味なの?」
「どうして?」
「ふふふ。『すぐ帰る』って言うか、『三分待ってね』って意味だよ、きっと」
「ああっ」
「だから今からもちきんを入れると、お父さんが帰ってきた時にはもちきんが食べ頃よ、きっと」
「そっか。お父さん帰ってきたらもちきんできあがりだ!」
和樹が「ただいま」を言うまで、あと一分。
長々と年末年始のお休みを頂戴してしまいました。
今年もよろしくお付き合いくださいませ。
ゆかりさん的正月準備の一幕でした。
手抜きでざく切りどどんと放り込む鍋をチョイス。
でも本当に手を抜きたい時って正直、お湯沸かしただけでも「ワタシエライ!」って気分になるくらい何もしたくなかったりするから、鍋は十二分に手をかけてるお食事だと思いますです。はい。
あくまでも私個人の意見として、ですが。
さて、今回もちきんの材料にしたお餅。
イメージしてる市販品はいくつかあるのですが、東の角切り餅ではなく西の丸餅にしてしまいました。
今の私に身近なのもありますが、このお家には丸餅のほうが似合うかなって気がしたので。




